落語を見て思う事
好みの落語家さんが近くで公演すると聞くと、予定が合えば出掛けるようにしている。
頭を空っぽにして笑うのはとても貴重な時間だと思う。
色々な問題が積まれている今は特に。
知っている落語でもついつい引き込まれて笑ってしまうと、『話芸』だなぁと思うのだ。
まぁ、稲川淳二の怖い話も『話芸』だと思うのだが。
そして、ふと思う。
小説を書くのは何と言うのかと。
「話す」芸だから『話芸』。
じゃあ「書く」のは『書芸』か。聞いた事がないな。
「書」だと『書道』だよなぁ。何だろう。
しばらく考えるが思い付かない。
「書く」と思うから思い付かないんじゃないのかと気付き「文章」ならどうだろうと考えた。「文」の芸。
『文芸』か。
そうだ。『文芸』だ。
文芸書とか文芸部とか言うじゃないか。
考え始めてから、ほぼ半日経ってからの事だった。
何故気付かなかったのか。
自分の語彙の無さと頭の悪さに泣きたくなった。
文章を書く時に辞書が必須なのは昔からの事だが、言葉が分からなければ辞書も引けない。
方言と標準語の壁は高い。
当然、ネット検索も苦手である。
友人・知人達との会話だと、言葉が出なくても『アレ』で済んでしまう。
自分の代わりに言葉を出してくれたり、ニュアンスで意図を汲んでくれるからだ。
だが、文章ではそうはいかない。
『話芸』の肝は抑揚と間が大半だと思うが、どちらも文章では難しい。
言葉の選び方・並べ方。
知っている言葉が多い程組合せも増える。
まずは語彙を増やすべきだな。
という理由を付けて、今日も本を読む。