(5)
瑛太はなにを思ったか、Tシャツとジャージという部屋着にサンダルをつっかけて家を出る。
「な、何? どうしたの」
薫もつられて外に出る。瑛太はだんまりのまま鍵をかけて歩き始めた。
薫は追いかける。角を曲がったところでやってきた母と鉢合せる。
「お騒がせしました、復活したので――っていうか薫が大げさにしすぎるんですけど。熱もなくて風邪気味なだけなんで」
「……そおお? でも学校休んだんでしょ?」
「眼鏡が壊れてたから、行っても無駄だと思って」
母は訝しげに瑛太を見る。そして瑛太の額に手を伸ばす。
(あ――! 瑛太怒るってば!)
反抗期真っ盛りの反応が返ってくるのを予想した薫だが、瑛太はまったく抵抗せずにされるがままになっている。
(ど、どういうこと……!? わたしはダメで、お母さんはいいって、どういうこと!?)
意味がわからない。呆然と見つめる薫の前で、母と瑛太は本当の親子のようなやり取りを続けている。
「あら、ほんと。熱ないわねえ――だけど、どこ行くつもりなの?」
「ハルさんの家が売りに出されるらしくって、お祓い頼まれたから下見です」
「わざわざ今日行かなくってもいいんじゃないの」
「そのあと眼鏡修理に行くんで」
折れた眼鏡の柄を指差すと、母はあっさり納得し、無理するんじゃないよ~と送り出す。
「ちょ、ちょっと、瑛太! なんでお母さんには抵抗しないわけ!? わたしにはめっちゃ抵抗したくせに!」
「薫は姉貴面しすぎでムカつくから」
「はぁ!?」
瑛太はそれっきりまたむっつりと黙り込んだ。薫とは話もしたくない、そんなオーラが出ている。だが放っても置けず付いていく。
静かになると、どこかで蝉が鳴いているのに気づく。
(あぁ、もうすぐ夏だ)
日が暮れるのは随分遅くなった。生ぬるい風が頬をなで、夏がもうそこまで来ているのだと思う。
ハルさんの家の庭はすでに夏模様に変わっていた。梅雨の雨とたまの晴れ間ですくすくと成長したのだろう。木々も雑草も伸び放題。しかも春に掃除にやってきたときとは比べ物にならないくらいの量だった。
あれから二月も過ぎれば、こうなって仕方がないと思う。
雑草をかき分け社跡へと向かう。そこだけ草の丈が違うのですぐにわかった。
社だったものは、濃灰色にくすんでしまっている。
「……おじいちゃんがここに来てお祓いするの?」
瑛太はやっと口を開いた。
「まあ、たぶん。ついて行ったことないけど、いままでにもやってるはず」
瑛太は残骸の破片を拾い上げる。今日は降っていないが、腐りかけの木々は昨日の雨を吸って、重そうだった。
彼はいくつかの破片をつなぎ合わせたりして、観察をしはじめる。
「瑛太、なにしてんの?」
「昨日神明神社に行ったって言ったろ。そのときに思いついたんだ。社の形態にヒントがあるかもって。もしかしたら忠実に作ってるかもしれないから、撤去される前に見ないとまずいって思った」
「社の形態?」
「まず鳥居の形。神明神社だと、鳥居の形は神明系」
瑛太は土の上に枝で鳥居を描く。まず地面。そこに二本の柱が描かれる。
「ほら、二本の柱がこうして立ってるだろ? その上に乗ってるのが笠木。それを支えるのが島木」
柱と柱に一本線を渡す。そしてそこを指差した。屋根のようになっている上が笠木のようだ。
「で、その下、少し隙間を開けて鳥居を固定するための貫が入る」
先程笠木、島木といった部分の下にもう一本線を引く。鳥居には柱の上部を二本の木が渡されているが、それの下側のことだろう。
「これが柱を貫通しないのが神明系の鳥居だな。で、全体的に直線的な、シンプルな形をしてる」
ふうん、と見ていると、瑛太はその隣に今度は先程笠木、島木と言った部分が反った形の鳥居を描いた。意外に器用だ。
「他に鳥居の形は、こんなふうに反りがある明神系ってのがあるけど、神社によって鳥居の形は決まってるって言っていい」
「稲荷に朱色の鳥居があるみたいな?」
瑛太は頷く。
「じゃあここの鳥居、朱くなかったから、稲荷は除外できてたかもしれないよね」
「いや、これだけ変色してたら確定できないだろ」
瑛太の言葉に頷く。確かに剥がれたと言ってもいい朽ち方ではあった。
「あと社の形も特徴がある。神明神社は神明造だし、二ノ宮神社は権現造、この間行った伏見稲荷の本殿は流造で……みたいに色々様式が違って、神社によって違うって言ってもいい」
瑛太は小さくため息を吐く。
「まぁ、この状態だと、判別つかないけどな」
「とりあえず……写真撮っておくね」
腐ってしまっていて廃材にしか見えないけれど、薫は写真に収める。その間瑛太はずっとああでもない、こうでもないと廃材をつなぎ合わせていた。
やがて七つの子のメロディが響く。初夏の今だと午後六時に鳴るはずだった。薫は空を見上げる。雲が薄く広がった空が赤かった。
帰らなければならない。そう思うと不安がせり上がった。このまま帰ったら大変なことになりそうな気がした。
「少しだけもらって帰っちゃだめかな? 御神体なんでしょ、これ。このまま全部廃棄されると、不安じゃない?」
薫がそう言うと、瑛太はハッとした顔をした。
「……そうだった。いや、社はあくまで御神体を置く場所なんだ。あー……そっか。屋敷神だったら見ることができるのかもしれない」
気づかないとかうっかりしてた。瑛太はそう言いながら悔しそうにする。
「どういうこと? 御神体が、この残骸の中にあるってこと?」
「いや、この社にはそれらしきものはなかったと……思う。っていうか、普通の神社でも御神体を見ることが禁じられてることが多い。俺もうちの神社の御神体、見せてもらってないし、それどころかじいちゃんも見たことないはず」
瑛太はそろそろと残骸を持ち上げる。
「そもそも、御神体って自然のものであることが多いんだ。岩とか、樹木とか。ほら、大きな岩とか樹齢何百年っていう木にしめ縄がかけられてる事とかあるだろ。昔の人間は、そこに神が宿ると信じていたんだ」
うんちくを聞きながら手伝おうとすると「ささくれてて危ない。怪我するぞ」と遮られる。
「平気だよ」
「怪我したら弓が引けないだろ」
それもそうかと、手を引っ込める。せっかく肘の故障が直ってきたのに、また怪我をして試合に出れないのは、さすがに悲しい。
「瑛太こそ怪我しないでよ?」
そう言って軍手代わりにハンカチを差し出す。
(御神体、かあ)
薫は記憶を探る。昔まだお社の形を取っていたとき。どんな形状をしていただろうか。そこに何かものが祀ってあっただろうか。
(たしか箱みたいなのに屋根がついていて、しめ縄がかけてあって、お供え物があって……でも)
少なくともわかりやすい御札などは置いていなかったと思った。
もしそんなわかりやすいものが落ちていたら、先日気づいていただろう。
瑛太はしばらく残骸の中を探っていたけれど、それらしきものはやはり見つからなかった。
何気なく見ていると、小さな石が目についた。じっと見つめる。手のひらの上に乗るサイズの、どこにでもありそうな玉砂利だ。
(これじゃあ、ないよね?)
拾って観察していると、諦めたのか瑛太が立ち上がった。
「神棚にも御札がなかったくらいだしな。やっぱり、無駄か……しょうがない。帰るか」
肩を落とした瑛太に、薫も続く。
だが途中、名残惜しくて振り返る。
社の向こう、草の中にぴょんと飛び出した錆びた井戸のポンプを見て、ふとハルさんに怒られた時の事を思い出す。
「そういえばさ。井戸で遊んでて、怒られなかった?」
「そうか?」
「なんだったかな。激怒されたのは覚えてるんだけど。古くて使ってないのに、変なのって思って」
「ふうん……」
瑛太はさほど興味を示した様子もなかったが、おもむろにスマホを取り出して庭の写真を何枚か撮る。
そのまま眼鏡修理に行くという瑛太に、薫は付き添いを希望した。だが、「そのくらい一人で行ける」とあっさり断られて帰路についたのだった。