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神様の名前探し 2  作者: 山本風碧
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(4)

 瑛太が体を返してもらえたのは、家に帰ってからだった。とたん、保健室での白昼夢できごとが蘇り、体が震えた。怒りに任せて学生服を脱ぐと、私服に着替える。

 早退などするつもりもなかったが、瑛太は両眼とも0.03の強近視で、眼鏡がなければ学校にいても何もできない。早退してしまったからにはこの時間を有効に使う。

 親に連絡は行っているだろうかとスマホを見ると、母親からは『まだ帰れないんだけど大丈夫?』とメールが入っている。『平気。眼鏡壊れたから、作り直してくる』と返信し、無人の家を出る。

 傘をさして通学路を逆戻りする。まだ授業時間だから知り合いに会うこともないだろう。

 途中、駅の前を素通りする。眼鏡は津田沼で買うつもりだったが、それより先に、どうしてもやりたいことがあったのだ。

 眼鏡がないせいで、視界がかなりぼやけているが、高校までは歩き慣れている道だ。歩けないほどではない。


 校門をすぎると、無人の弓道場を横目で見ながら瑛太は左に曲がり、大通りへと出た。

 横断歩道で立ち止まる。歩行者用横断ボタンを押し、乗用車や大型トラックで渋滞した道を渡ると、《神明神社入口》という石碑を睨む。

 以前このあたりで胃がしくしくと痛んだが、慣れだろうか、今日はなぜかまだ痛みはやってこなかった。

 車一台がやっと通れる細い道を傘をさして歩く。本降りとなったせいでスニーカーは色が変わっていた。

 一歩、また一歩と進むに連れ、胃がだんだん重くなり、歩みが緩む。

 だが、『ここ』を攻略しなければ解決はないような気がしていた。


「伊勢に一体何があるってんだよ。なあ……さっさと出ていけよ――!」


 余計なことをしやがって。

 あの言葉を止められなかった自分を殴りたかった。もっと全力で抵抗していたら、薫の前であんなことを言わないですんだかもしれないのに。

 さらには他の男に、自らの場所を譲り渡すようなことはなかっただろうに。

 白昼夢の中で、さんざん抵抗したけれど、あの厄介者は瑛太をとうとう解放しなかったのだ。

 学校で出てくるなど今までになかったから油断していたが、昼間は寝ないのだから当然といえば当然だった。

 あのあと――保健室を出たあと、薫はあの先輩に何と答えたのだろう。もし、是と答えていたなら、どうすればいい。

 不安と焦燥が身を焼いていく。

 鳥居の前に立つ。貫の貫通していない、シンプルかつ特徴的な神明鳥居。見るだけで全身が粟立った。立入禁止のマークにも見え、足が固まる。

 鳥居の外から中を覗き込むと広い境内には遊具が置かれている。


(児童公園……?)


 ブランコに滑り台。今は雨で無人だけれど、晴れていても鬱蒼と茂った木々で薄暗く、なんとなく気味が悪く思えた。

 何か見間違ったかと思うが、中央の石垣の上に勾配の強いこけら葺の屋根、突き出した千木、高床式の床という特徴的な社を見つけ、


(……あぁ、そうか――鳥居も社も神明造り……ってことは)


 ひらめいたとき、全身が何かに刺されたような痛みに襲われた。

 堪えて一歩足を踏み入れる。刹那。空が光る。境内が照らされ、楠の大木の影が地面に映し出される。

 轟音が響き渡った次の瞬間、瑛太の視界は真っ白になっていた。



 *



 翌日、瑛太は学校を休んでいた。

 母から回ってきた情報によると、どうやら昨日雨に濡れて風邪を引いたらしい。


「御見舞くらいなら行ってもかまわないよね?」


 母に聞くと、「長居しないのよ」といちごのパックをお見舞いに持たせてくれる。

 家を尋ねると、瑛太の母はまだ仕事のようだ。早退はできなかったらしい。

 親がこどもの病気で仕事を休んでくれるのは一体何歳くらいまでなのだろう。

 薫の母は症状に寄るけれども、結構休みを取ってくれている気がするが、そもそも薫はさほど病気をしないのだと思い出す。

 瑛太は先日の腹痛に続けてだから、親としても簡単に休むことはできなかったのだろうと解釈する。そうじゃないと、一日ひとりぼっちだったろう瑛太がなんだか可哀想だったのだ。

 クラスも違うし、そもそも理系の彼と文系の自分では授業内容も違う。

 学習面ではまるで役に立つことはできない。

 いちごを手渡したら帰ろうと思っていたけれど、現れた瑛太の顔を見たとたん、薫は玄関に押し入って扉を後ろ手で閉じた。

 表情は暗く、ひどくだるそうで、なにより顔色が尋常じゃなかった。看病が必要だと思ったのだ。

 ずかずかと上がり込み、居間へと続く扉をあける。すると、明かりで照らされたダイニングテーブルの上には大量の資料本とノートが置かれている。目を眇めてみると、それは古事記と日本書紀の解説本。付箋紙が大量に貼り付けてあり、開かれたノートには何かぎっしりと書き込まれている。


「まさか――ズル休みしたの?」


 薫はそう尋ねつつも違うと思う。これはズル休みではなく、体調が悪いくせに休養を取っていないというやつだ。


「いいだろ別に。どうしても調べたいことがあっただけ。午前中は寝てたからもう大丈夫」


 瑛太は薫の腕をつかむと居間から追い出す。そして玄関の三和土に追いやって迷惑そうに言う。だが、とても大丈夫には見えなかった。


「じゃあ、どうしてそんな顔してるわけ? あ……やっぱり頭打ったとか……!」

「だから、ただの風邪だって。熱もない」

「うそでしょ?」


 額に手を伸ばそうとすると払いのけられる。

 ムッとした薫は彼を睨んで、気がついた。彼の眼鏡が歪んだままなのだ。

 よくよく見ると、柄の部分がビニールテープのようなもので無理やりくっつけられている。即席過ぎて、見ていて危なっかしい。


「なんで、眼鏡直ってないわけ?」

「今日体調良くなったら、行くつもりだっただけ」

「なんで昨日行ってないの。最初に行くべきだよね? 早退したのにどこ行ってたの」


 矢継ぎ早の質問に瑛太は鬱陶しげに息をつく。怒っている時、薫が譲らないことを、幼馴染の彼はよくわかっているのだ。

 瑛太は渋々口を割った。


「……神明神社だけど」

「え……なんで、だって、神社巡りはおやすみって」


 しかもよりによって神明神社。


「アイツが学校で出てきたから。一刻も早く解決したかったんだよ」


 瑛太が面倒くさそうに吐き捨て、薫は思い出す。

 前回その神社に行ったとき、彼は体調を崩して途中で引き返したのだ。


「一人で行ったの!? え、行けたの!?」

「鳥居をくぐるのが精一杯で、結局は気がついたら家に帰ってきてた」


 無謀さに薫は腹を立てた。


「声かけてくれればよかったのに!」

「別にいいだろ、俺のことだ。俺がどうしようが、俺の勝手だ」


 投げやりな態度に、急に何を言い出すのだと薫は目を見開いた。


「最後まで付き合うって言ったよね!? なんで――」

「そうしたくなっただけ。近所の神社に一人で行くくらい……別に大したことじゃないだろ」


 目を逸らしたまま瑛太は言うが、薫は納得行かなかった。

 小さな神社と言っても、神明神社だ。天照大神の祀られた、瑛太にとっては鬼門のはずの場所だった。前回のことを覚えていないわけでもないだろうに。


「なにやってんの。馬鹿みたい」


 呆れると瑛太の目が吊り上がる。低い声で言う。


「とにかく、帰れ」

「どうして。家に上げてよ。そんな具合悪そうなのに、置いて帰れないよ」


 ほうっておくと寝ずに調べ物を続行するのが目に見える。


「だから今、家にだれもいないんだって」

「じゃあ、なおさらじゃない」


 瑛太は頑として薫を家にあげようとしない。通せんぼをするかのごとく、三和土の上で仁王立ちだった。

 決して狭い玄関ではないのに、瑛太が細いくせに案外大きいのと、ドア側に押しやられているせいで妙に狭く感じる。


「大丈夫だって言ってんだろ。こどもじゃあるまいし」


 瑛太はじりじりと距離を詰め、玄関のドアに腕を突く。押し出してしまおうという気なのだろう。だがそうはさせるものか。

 態度が気に入らない薫は足に力を入れ、背中でドアノブを隠す。


「開けろよ。帰れ」


 薫が首を横に振ると、瑛太は苛立ったようなため息を吐いた。


「薫さ……自分がなにしようとしてるか、本気でわからないのか?」


 例の分別の話かと思うと苛立った。ぎり、と瑛太を睨む。


「昨日……瑛太が」


 保健室でのやり取りを思い出して、今の態度と比べると腹が立った。なぜか涙が出そうになるが、ぐっと堪える。


「ただの幼馴染だって言ったよね? 姉弟だって、自分で言ったじゃん」

「…………!」


 瑛太が動揺したのがわかった。

 あんな飄々とした顔で、余裕さえある顔で言っていたというのに、今更なんなのだろうと思う。

 薫と瑛太は幼馴染だ。これまでも、これからもずっと。

 だから薫は幼馴染として、彼に干渉する権利がある。この権利は絶対に手放したくなかった。


「わたしだってそう思ってる。なら、どうしてだめだとか言うわけ。幼馴染なんだから、姉なんだから――こういうときくらい世話させてよ」

「薫、黙れ」

「黙らないよ。なんなんだよ、瑛太、偉そうに命令ばっかり」

「いいから、黙れ」

「いや。だまらな――」


 カツン、なにか音がして顔を上げたとたん、瑛太が薫の口を空いている方の手のひらで塞いでいた。

 後ろに後ずさろうとしたが、背中はすでに玄関のドアに付いている。

 壁と瑛太に挟まれ、薫は目だけで彼を見上げた。

 そしてはっと息を呑む。

 先程の音は眼鏡が落ちた音だろうか。瑛太の顔には遮るものがなにもなかった。

 無理矢理に口をふさがれている。だというのに、瑛太の顔がなんだか泣きそうにみえて、怒りより驚きが勝つ。

 長い指は骨ばっている。大きな手は薫の顔半分を余裕で覆ってしまう。

 兄にだってこんなことはされたことがない。

 おおよそ瑛太らしくないどこか強引で乱暴な行為だった。驚きすぎて言葉を失った薫は、ただ言葉もなく瑛太と見つめ合う。

 意外に長いまつげ。その下には朝露に似た透明感のある瞳があり、一心に薫を見つめてきて、薫はそんな場合じゃないのに一瞬彼に見とれた。

 思えば、カミサマではなく瑛太と眼鏡無しで見つめあったのは数年ぶりなのだ。

 どこか甘く、熱っぽい眼差しに急に動悸がひどくなり、薫は瑛太から目を逸した。すると、考える余裕が少し戻ってくる。


(え、これってもしかして……か、カミサマ? だってこの妙な色気、瑛太とは思えないし……!)


 けれど、口が塞がれていて尋ねられない。

 鼻だけで息をしていたけれど、次第に息苦しくなる。


「……薫」


 頭上で瑛太が何か言いたげに口を開いたときだった。

 薫のスマホと、瑛太の家の電話がほぼ同時に鳴り響いた。


「…………!」


 急に張り詰めていた空気が霧散した気がした。金縛りが解かれたような心地で、反射的に互いから離れる。

 瑛太はどこか夢から覚めたような顔をして、直後気まずそうに顔をしかめた。


(…………び、びっくり、したあ……)


 緊張が緩んだとたん、顔に血が集まってくるのがわかった。

 心臓がうるさい。そんな自分が、なんだか別人のようで怖い。

 薫は慌てて瑛太から顔を逸して、高い音を立てながら震え続けるスマホに目を落とす。

 表示を見ると母だった。とたん日常の中に戻ってきた気がして、薫はホッと息をついた。


(あー! お母さん、ナイスタイミング!)


 通話ボタンをタップしながら目で追うと、瑛太は瑛太で家電を取っている。


(え、電話とか出て、大丈夫!? カミサマだったら――)


 不安になった薫の耳に母の声が響き、薫の注意はそちらに傾いた。


『薫ー? 瑛太ちゃんの様子は? 遅いから何かあったんじゃないかって』


 ぎくりとした。今あった事を口にするのは、さすがにはばかられる。


「え、ええと、なんか顔色悪いから熱計らせろって、おでこ触ろうとしたら、めちゃくちゃ抵抗してきたから揉めてんの。反抗期なの? あれ」


 なんと言えばいいか、とっさに喧嘩のきっかけを口にすると、なんとか普段の調子を取り戻せてほっとする。


『……あー……なるほどね。わかった。じゃあお母さんも行くからちょっと待ってなさい』


 母は『そっちの心配はしてなかったわー』とか、なんとか、なんだか気の毒そうな声色で言う。


「うん。おかゆとか作ってあげたほうがいいかも。って、上がろうとしたらさあ、玄関で通せんぼだよ。バリケードみたい」

『瑛太ちゃんが大人で嬉しいやら悲しいやら』


 母はそう言うと電話を切る。

 どういう意味だと頬を膨らませる。

 ちらりと見ると、瑛太は何か険しい顔で通話中だった。その顔には、相変わらずの不安定さで壊れた眼鏡が載っている。


「――え、でも、取り壊し!? って――相続人が見つかったってことですか」


 どうやら瑛太に戻っているようだと、薫は胸をなでおろした。

 雰囲気がぜんぜん違うし、きっとさっきのあれはカミサマの仕業だ。

 それならば瑛太に文句を言っても仕方がない。薫が切り替えるしかない。あのことにはもう触れないのが吉だ。

 ――というより、触れるのがなんだか気まずくて怖い気がしたのだが。


「……ええ、ああ、なる……ほど。遠縁ですか。わかりました、お祓いの件は、祖父に伝えておきます。ちょっと下見に行かせてもらいますけど、いいですか? ……はい、よろしくお願いします」


 瑛太が受話器を置く。


「誰? 何の話? 相続人? お祓い?」


 気まずさを吹き飛ばすようにいっぺんに尋ねると、瑛太は一瞬気圧される。

 そしてこめかみを揉みながら「……順に言うぞ」と大きなため息を吐いた。


「自治会の人からで、……ハルさんの家が売りに出されるらしい」

「え」


 なんとなくいつまででも調査できると思いこんでいたけれど、それが叶わなくなると気付いた薫はぞっとする。


「で、高値で売るために、不動産屋が相続人にアドバイスをしたらしくって」


 新情報が出てくる度に、薫は目をどんどん見開いた。


「相続人? みつかったわけ?」


 売りに出されるということは、持ち主が現れたということか。理解するとともに薫は驚く。ハルさんは身寄りがなくて、だからこそカミサマの調査に時間がかかっているのだ。


「自治会が弁護士に依頼して、相続人探してもらったらしい……けど」


 色めき立つ。相続人ということは、ハルさんの血縁という可能性が高い。ならば、あの社について何か知っているかもしれないと思ったのだ。

 だが、瑛太は小さく首を横に振った。


「期待しても無駄かも。かなりの遠縁で、顔も見たこと無いらしいから」

「……そっか……」


 薫は肩を落とした。


「で、話を戻すけど、あの社があるせいで土地の買い手がつかない可能性があるから、撤去したいらしい」

「撤去?」


 瑛太は頷く。


「もうハルさんの家から完全にヒントがなくなるってこと」

「めちゃくちゃヤバイじゃん!」


 青ざめる薫だったが、瑛太はまだ冷静な顔をしている。


「ああ。だけど、まだ諦めるには早い。さすがにそのまま廃棄物ってのも怖いらしくて」

「あー……」


 だからあれ、誰も処分できずにそのまま放置してたんだよね、と思い出す。

 瑛太はようやくそこで強張った顔を緩ませた。


「だから、うちを通して二ノ宮神社に社のお祓いを頼んできたんだ」

 


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