ムツキとナァ
96&46 2話 笑顔
遠い昔、僕という人間が生まれた。最初は孤独だった。でも、二人になった。理由や経緯は忘れてしまった。一人の僕が二人になった。そんな感覚だった。そのことがとても嬉しかった。嬉しくて、嬉しくてどうしようもないくらいだった。
「ムツキぃ。ナァ・クショロが来ているぜ?彼女はお前の相手だろう」
「うっせぇな。分かっていんぞ、フィーナ」
「んじゃあ、早く行け」
二人は棘のある言葉を交わした。そして外へと目を向けた。そこには誇らしげに輝く白熱の太陽があった。清々しいと言う言葉を当てはめるには少々、きつかった。
羨ましいな、あいつは一人でも堂々としている。ムツキはふと思った。どうしてこんなことを思ったのか、自分でも定かでなかった。ふと昔のことを思いだした。
『闇は決して光に勝てない』
『え?何言っているの?勝てるに決まっているじゃない、自分が消えれば光も消滅するのだよ?』
『んだよ、それは完全に両者敗北、勝ってもいねぇじゃん』
それはいつの会話だっけ。あいつと話したのは何年前だっけ。自分の片割れで、恋人で、今は裏切り者。不思議なことをよく言う奴だ。ナァ・クショロはそういう奴だった。
外に出ればナァの姿が目に入った。暫く二人は歩いていった。
幼い日々はあっという間に過ぎて行った。母や父の仇をとろうとして好きな人を裏切った。辛かった。でもね、光よりも闇のほうが怖いよ、強いんだよ、言い訳がましいことを唱えて、ナァは隣歩く片割れを優しく思った。
「さ、終止符を打ちに行くか」
何が強いだ。断然、弱いに決まっている。こんなにも苦しい場所に一人で耐えられるわけがないだろう。死んでも死にきれない、そんな感じなのに。それなのになぜお前は笑顔でいられる。そうやって、仮面をつけていられる。ナァよ、答えてくれ。ムツキは嘆く。
「さあ、どうしたら、笑って最期を迎えられるのでしょうか」
そう言ってナァは剣を天へと突き立てた。
ナァが出て行ったあと、部屋にいたミドリにふと質問をした。
「ミドリ、僕はどう映っていますか、その瞳に」
「え?どうって。ふふ、とっても不思議に見えますよ」
「見える……、か。映っているのは違うのですね」
「面白いことを言うね。そうだね。ひとえに同じ、なんて言えないよ」
笑って誤魔化す彼はどこか違う場所を見ていた。戦場でも見えるのかと思った。いっそそうであって欲しいとも思った。今、誰もいない、誰も見ない場所で二人は戦っているはずだから。それに耐えられないから。きっと辛いだろうし、でも見ていてくれたなら少しは楽になるかと思う。シロは無意識に発生した思考を中断させた。
「ミドリは、ここにあるのかも怪しいね」
厳しい一言に苦笑いだった。それがミドリにできる、精一杯の反応だった。彼に悪気はないのだろうがその言葉は真だ。ここに居るようでいない。本当に立っているべき場所には立っていないのだ。誰かに決められた道を突き進められているような、自分では何も決めていないのだろうって思わせたい自分は愚かだ。責任を負うことをひどく恐れているのだ。そうなのだ、きっと。いや、本当は違う。自分の選択が最も嫌いなのだ。そしてそれを実行しようという自分がさらに嫌なのだ。ミドリは彼の一言で自分を省みた。けれども彼を見ると、彼もまた自分の内と戦っていた。
「なんでこの世界には対が存在するのでしょうね。それさえなければ……」
あるいは、と続けようとしてやめた。あるいは、も何もあるものか。自分がいるこの世界のほかに現実なんてない。この世界から抜け出せない。シロはなぜかそう思った。そう思うしかなかった。
「いま、自分で解決したね」
「あぁ。独り言ですよ。気にしないでください、ミドリ」
そう言って彼は全てを封じ込めてしまった。
96&46 3話 戦い
目の前にいるのは、かつて、あたしの好いていた相手だった。自分の手で終わらせるのだ。そう、自分で。
目の前にいるのは、かつて、俺の好いていた相手だった。己の意思を以って終わらせるのだ。自分の意思で。
「スズガミ・ムツキ……――――、覚悟!!!」
悲鳴にも似た叫び声だった。
「望むところ!!!」
かつての英雄は語る。仲間とは共にある者、敵とは対にある者。ならばこの世界の“対”は間違っていないか。共にあった者であるのに、今は対として立っている。問えば分かるだろうか、素晴らしい関係ではないこの矛盾した関係を。
自分に科した罪の重さは重すぎて、この鎖をいつか誰かが断ち切ってくれることを願っていた。でもそんなこと願えない。だから……――――――。
一振りを見て、自分は無へ帰るのだと決めた。その決定に従って、振り落される剣にすべてを任せた。瞬間なんてものはなく、彼の必死な目とたじろぐ心に微笑むしかなかった。
「死ねっ」
彼の言葉は遮られた。けれども耳に響いてくる。恐怖と絶望、死ぬことへの違和感。拭えない後悔、裏切りの罪。響いてくる、耳の奥にこびりついて。あぁ、ルフェナ。あたしと君はどうやら違うようだ。こんなに苦しいよ。君はこんな状態でも笑っていられるでしょう、ね、ルフェナ。言いたいことがあるんだ、彼に。どうか神様、届けてはくれまいか。最後の望みだ。
「愛している………――――――――――」
全ては終わった。終わりを告ぐのは己の手で、全ては無くなった。対は消えた。途端に涙が溢れた。彼女が最後に言った言葉に、心の底が震えている。強張る体と燃えるように熱い心は、伝えねばならないと訴えかけてくる。
「愛している、俺も愛しているよ。……、ナァ・クショロ」
天上には無数の星が輝いていてそれは素晴らしい夜だった。空気は澄み切っていて、でも肺を満たす空気は棘を持っていた。ほぼ直感でしかなかったが確信した。ナァ・クショロは死んだ。きっとムツキは帰ってこない。迎えに行こう。
外は寒かった。違う、寒いような気がした。清々したような夜空だ。月明かりの照らす道は薄暗くて妙だった。
「ムツキ」
やっとの思いで発せられた。目の前に居るのは覇気の在ったムツキではない。入れ物と言えば聞こえの良いただ中途半端に完成した、いや、欠けた人間だったモノが、ムツキとして存在していた。そうしてその眼前にはナァ・クショロの死骸――灰――があった。
「帰ろう」
我ながらその言葉しか言えなかった。覚悟はしていたはずだったのに、簡単にバッサリと切られた。そんな感じを受けた。彼は此処で生きている、それでも生きているのだ。そう念じて信じ込ませて、手を差し出した。
「帰ろう、ムツキ」
精一杯の優しさを込めて放った言葉は地に落ちた。もうムツキには、彼には、彼だったモノには届かない。強制的に連れて帰っても彼は戻ってこない。これを虚しさと呼ぶのだろう。朝まで会話をしあっていたのにもう、言葉を交わせないのか。
「なぁ、ムツキ。帰って来いよ」
愛していた。ずっと愛していた。聞こえているよ、フィーナよ。だけれども、どうも体が動かない。まるで他人の体のようで。失ってしまった者の大きさに押しつぶされてしまったようだ。いつかそちらへ帰りたい、戻りたい。けれどもそこにナァは居ない。居ないのだ。愛していた、ずっと愛していた者を無くすとは、心を失うも同然だったんだよ、フィーナ。お前は無くさないでおくれ。こんな世界で奇跡を願いたい。
口元が動いたように見えた。
「――――」
「え?」
近寄って観察をする。でも、もう動かない。
最後に見るのは走馬灯。何て言われているが、俺が見たのは驚愕の表情を浮かべたフィーナと星空。そうして灰になってしまったナァだった。思い出を呼び起こすこともなく人生を終えた。そう、これが俺の運命だった。
「ムツキ!!!!」
叫んだ。肺にあるだけの空気を吐き出して叫んだ。
無くすことは恐ろしく、失うことは哀しい。知っていたはずだったのに。いざ場面を体験するとそんな言葉と押し退けたくなる。悔しくて、惜しくて、悲しくて、苦しくて。何と言っても耐え難い痛みが発生し脳を占めるのだ。なくしたくない、そう強く思ってしまった。