第64話 一矢の賭け
駆けつけたメクチェート達を見て、ウィーナは彼らに心の中で感謝する。しかし、同時にサクスの圧倒的な力の前にやられてしまうのではないかという不安も過ぎる。本当だったら、彼らには自分のことなど放っておいて逃げるように呼びかけたいところだが、フィーバが二階で一撃必殺の矢――聖剣ジークを矢に変化させたもの――を撃つチャンスを狙っているところだ。
少しでもいい、メクチェート達がサクスの注意を引きつけてくれたら。ウィーナは増援に期待を寄せた。それにしても、フィーバはなぜ自分に構わずさっさと矢を撃たないのか。ウィーナに当たらないように機を窺っている内に、メクチェート達が殺されるような結果はウィーナは望むところではない。しかし、女神の力を取り戻したときのことを考えると、自分は彼らにとって、そこまで犠牲を払われてまで守られる価値がある存在なのだということも自任している。
今は、不甲斐ない自身の境遇に耐えるしかない。命を張ってウィーナを守ろうとしている彼らの姿を、目をそらさずに見つめ、心に刻みつけることしかできないが、それだって所詮は部下を盾にする行為を勝手に心の中で正当化しているに過ぎない。
たとえ、部下達の犠牲の上に力を取り戻したとしても、その為に死んでいった彼らは浮かばれるだろうか。死んでしまったら何にもならない。だからウィーナは思う。そうまでして私を守るな、と。
しかし、今この瞬間は敵を倒す千載一遇のチャンスなのだ。頼む。申し訳ないが、今しばらくの間堪えてほしい。力を取り戻したら、今まで散々守られてきた分、何倍の結果をもって埋め合わせはしよう。自分はその為に生きている。女神の力を失って、ここまで守られる立場になったのは初めてのことだった。
先程、冥王の城で一兵士として乱戦の中に身を投じたのはそんな自分を恥じて、死に場所を探してのことだった。そこをハイムに見咎められ、刃を喉元に突き付けられてまで戦場から遠ざけられた。いや、正しくは、別の戦場、冥界民間軍事契約組織調整委員会に渦巻く陰謀を突きとめるという別の役割を果たす為だ。やはり、自分は軽々に命を投げ捨てることができる立場ではない。今は、何とかして生きぬかなければならない。
ただし、フィーバには私に構わず矢を撃ってほしい。何をフィーバはためらっているのだろうか。
サクスの獰猛な欲求を内包した手が、ウィーナの胸から、肌を伝って腰のラインへと滑る。このような辱めを受ける前に自分もろとも射抜いてほしかったのだ。
フィーバに撃てと呼びかけたかったが、そんなことをしたら肝心のスナイパーの潜伏場所をサクスにみすみす教えることになる。ド素人以下の、下の下の振舞いだ。そんなことはできるわけはない。自ら囮としてサクスの前に姿を現したとはいえ、何もできない自分に対して慙愧の念を禁じ得ない。
そんな思いがウィーナの頭を巡る中、メクチェートから強い魔力が沸き出ているのをを感じた。彼は部屋に入った瞬間に状況を把握したらしく、余計なことは一切言わず直ちに自分のすべきことを始めた。
「聖光防御!」
メクチェートが、柄に呪文が刻まれた長い杖を振ると、凄まじい明るさの光が放出された。これは光属性の防御魔法である。大広間全てがまるで天界の空の下のように明るくなり、目の前のサクスの青い肌の皮膚に細かく刻まれた組織的な皺まで見えるほどだった。なのに、眩しさは全くない、神聖な何かを感じる柔らかい、暖かい光だった。
光はウィーナ、ワナンバー、ハッシャー、そしてメクチェート自身を包み込んだ。
「この雑魚がっ! エターナルフォースブリザード!」
サクスが怒りの表情で、メクチェートに向けて手をかざした。
「エナジーデコイ!」
メクチェートは杖を持っていない左手から魔力を放出し、部屋の上空に宝石のように光り輝く魔力の結晶体を形成した。詠唱はほぼゼロ時間。後出しにも関わらずサクスの技より発動が早い。
瞬間、メクチェートのエナジーデコイは凍結して粉々に砕け散った。あの結晶体を身代わりにして敵の技を誘導したのだ。
「何っ!? 小癪な真似を!」
サクスが不快そうにエナジーデコイを睨む。
「聖光防御! 聖光防御! 聖光防御! 聖光防御! 聖光防御ーっ!」
サクスの注意がそれた隙に、メクチェートはやたらめったらと防御魔法を連発し、仲間達にどんどん重ねがけをした。その分、ウィーナを守る魔力の加護の力もどんどん強くなっていくのを肌身に感じた。
「ぐわっ!」
ウィーナとサクスの間に魔力の稲妻が走った。魔法を重ね過ぎた結果、相手の体に宿る邪悪な属性と、メクチェートの魔法の聖なる属性が反発したのである。たまらずサクスはウィーナから手を離した。
その瞬間、上方から一条の光の筋が飛来し、真っ直ぐにサクスの心臓のど真ん中を貫いた。サクスの肉体に風穴を開けた矢が床を砕いて突き刺さる。
「ぐあああああっ!」
サクスは煙を上げる自らの胸の穴を見て、自身に起こっていることが信じられないといった様子で体中をわなわなと震わせた。
「何で? ウィーナ様あ……? 何でなんだよおおおっ! ボクは! ボクはああっ!」
サクスの両目から涙が流れ落ちた。自己中心的極まりない落涙だった。
ウィーナが矢の飛んできた方角を見上げた。二階の廊下は吹き抜けになっている。そこにシャツとトランクス一丁で、弓を構える三白眼の男、フィーバがいた。
「フィーバ殿!?」
ワナンバーが仰天した様子で二階の廊下を見上げた。
「ハッ!」
ウィーナは地面に突き刺さった矢に手をかざして念じた。矢は光を放ってその輪郭を変え、一本の剣・聖剣ジークに戻る。
ウィーナはすぐに剣に飛びついて、一瞬の所作で天界流剣術の構えを取る。そして、すぐさま苦しむサクスの脳天目がけて剣を振り下ろした。
決着はウィーナ自らの手でついたかに思われた。しかし、何とサクスは振り下ろされた剣を、自らの頭部に到達する寸前に両手で挟んで受け止めたのだ。
ウィーナは相手の生命力に驚愕するが、そのまま剣を振り下ろそうとする。しかし、力ではとてもかなわなかった。
「ぐがあああっ!」
サクスの脚から蹴りが放たれ、ウィーナの腹部に命中した。
「がはっ!」
ウィーナは潰れたような悲鳴を上げ、屋敷の奥へと吹き飛ばされた。頼みの綱の聖剣ジークが手からこぼれ落ちる。メクチェート達とはサクスを挟んで一段と距離が離れる。
床に叩きつけられたウィーナは、両手を床について身を起こすが、咳と共に若干の血を吐いて床を赤く染めた。息が吸えない。喉にこびりつく異物感。空気を取り入れねば。頭がくらくらする。
メクチェートの執拗な防御魔法の重ねがけがなかったら、即死していたことだろう。しかし、ウィーナの体を包む光の衣は消失していた。あれだけ何度もかけていた防御魔法が、今の蹴り一発で全てもっていかれてしまったのだ。恐るべき威力だ。
「ハイパーヒール!」
部屋の入り口近くから、メクチェートの声が聞こえる。すると、ウィーナは青い光に包まれ、一瞬にして傷が完治した。
「邪魔をするな!」
サクスは胸に穴を開け、血走った目で苦悶の表情を浮かべている。しかし、戦う力は十二分にあるらしく、メクチェートに向かって凄まじい闇の波動を放った。
「エナジーデコイ・リフレクト!」
メクチェートは再び相手の技より早く上空に魔力の結晶体を生み出し、そちらに攻撃を誘導させた。しかし、今度は先程とは違った。身代わりとなって砕け散った結晶体が、宝石のような雨粒となりサクスに飛来したのである。それと同時に、メクチェートの脇に構えていたハッシャーが動いた。
メメントモリ隊のヘンリーの死体が持っていた超高級装備品・オリハルコン製の剣と盾を拝借し、メクチェートの前に陣取ったのだ。
「こいつ……。さっきからムカツクなああっ!」
エナジーデコイのカウンターはサクスにささやかなダメージを負わせたらしかった。サクスは自身の負傷とうざったいメクチェートの魔法に対して攻めあぐねたようで、構わずウィーナに向かっていき、彼女に密着して抱き込んだ。
「貴様っ!」
ウィーナは苦し紛れに叫ぶが、何の意味もなさない。
「余計なことはするなよ! ウィーナ様は死ぬことになる!」
サクスが言う。ウィーナはサクスの腕の中だ。これでは仲間は手を出せないであろう。
「……サクス、お前は私のことが好きではなかったのか。お前は好いている女を盾にするのか?」
ウィーナは相手の心理的動揺を誘った。それを聞いてサクスは底意地の悪そうな、邪悪な笑みを浮かべた。
「ウィーナ様がいけないんですよ。ボクを騙し討ちになんかするから。でも甘く見ましたね、ボクの生命力を。この程度じゃ死なないんですよ。大丈夫。奴らはウィーナ様を攻撃できっこない。もうこんな奴らに構うことなんてない。さあ二人で委員会へ行きましょう」
サクスはメクチェート達を無視して撤退するつもりだ。ウィーナを抱いたまま翼を広げ、宙に舞い上がる。
「お前達! もう構わん! 私もろともやれ! コイツはダメージを負っている! 倒すなら今だ!」
ウィーナは意を決して叫んだ。自分が連れ去られてどんな目に合うのかは容易に想像がつく。だったらここで殺してくれるのが慈悲というものだ。
「多少は覚悟の上で何とかアイツだけを攻撃することは?」
ハッシャーがえらい早口でメクチェートにまくし立てた。
「そんなことをしてみろ。あの敵には狂気が宿っている。ウィーナ様への執着が尋常ではない。私達にウィーナ様を取られるくらいなら自らの手で殺すことを選択しかねない」
「そんな」
ハッシャーが失意の表情を作る。
「ウィーナ様」
メクチェートは食い入るような視線をこちらに向けるだけでサクスを攻撃しようとしない。やはり手が出せないのだ。
「ううっ……」
二階で様子を見守るフィーバにもう武器はなかった。彼は風属性の攻撃魔法が使えるが、やはりウィーナを巻き込んで使うことはできなかった。
「クソッ! 何か打つ手は!」
ハッシャーが何かにすがるように言ったが、何も解決策は出てこなかった。
そうこうしている内に、サクスは翼を広げて上昇始めた。
そのとき、屋敷の玄関辺り、メクチェートやハッシャーより背後に立っていたワナンバーが突然前方に向かって疾走し始めた。メクチェート達を通り過ぎ、サクスやウィーナのすぐ近くまでやってきた。
「デッドリーガス!」
ワナンバーが両手を突き出し、灰色のガスのような気体をウィーナやサクスに向けて噴射した。『デッドリーガス』とは、広範囲に致死性の毒ガスをばらまく毒属性の魔法であった。
「ワナンバー! 何をする!」
メクチェートが叫ぶ。
「死ねええっ! デッドリーガス!」
制止の言葉に構わず、ワナンバーはガスを出し続けた。
「うぐっ!」
ウィーナはガスを吸い、たちまちの内に意識が朦朧とし始めた。しかし、ウィーナを抱きかかえている肝心のサクスはけろりとしていた。聖剣ジークの矢で貫かれても死なぬ男だ。この程度のデッドリーガスなど通用しないのだ。
しかし、今のウィーナはそうはいかない。構わずやれと言ったが、これではやられるのはウィーナだけである。苦しくて、体内に毒が回り、呼吸が荒くなった。
「ウィーナ様! ウィーナ様! しっかりして下さい」
サクスが驚愕の表情でウィーナに呼びかける。お前だけには安否を気遣われたくない。
「やめろワナンバー! サクスには効いてない!」
二階から様子を見ていたフィーバは、ワナンバーに声を張り上げて警告した。
「死ね! 死ね!」
ワナンバーは血走った目つきで、文字通り闇雲に灰色のガスを噴射し続ける。
ウィーナはもはや視力も衰え、ガスの灰色の幕によって前方の様子も確認できなかった。体中の感覚がなくなり、意識が消えていった。
◆
「やむを得ん。ハイパーヒール!」
メクチェートは前方のガスの塊に向けて杖を振った。
「ハイパーヒール! ハイパーヒール!」
上級回復魔法『ハイパーヒール』をガスの幕に向けてかけまくる。これでウィーナを回復させるのだが、狙いが定められずサクスにまで魔法をかけてしまう。すると先程せっかくフィーバが矢で射抜いた相手の風穴まで治療してしまうが、この状況ではもう仕方ない。ウィーナの命の方が優先だ。
「エターナルフォースブリザード!」
ガスの幕の中からサクスの声が聞こえた。ワナンバーの周囲に冷気が立ち込めるが、その魔力はメクチェートの『聖光防御』によって防がれた。防御魔法は効力を失ったが、ワナンバーは無事だ。
「ワナンバー! やめろおおっ!」
ハッシャーもワナンバーに警告する。
「ここで息の根を止めないと駄目だ! 今殺さないと皆殺しにされる。内臓グチャグチャにされてみんな殺される!」
ワナンバーはわめきながら一切の手心を加えずにガスを噴射し続ける。しかし、室内で使用しているため、当然の結果としてワナンバーの周囲にもガスが充満し始めた。
「う、うぐ……」
ワナンバーは自分が噴射した毒ガスを自分で吸い、咳き込んで苦悶の表情を浮かべ、脚を折り床に膝を突く。『聖光防御』がサクスのエターナルフォースブリザードで相殺されてしまったため、ワナンバーはまともにガスを吸い込んだのだ。
「ワナンバー!」
ハッシャーはワナンバーを助けるべく慌てて彼の下に駆け寄った。
「はああああーっ! 浄化の花!」
メクチェートが杖に魔力を凝縮させ、床に向けて杖を振る。すると彼の周囲から、屋敷の床を突き破ってたくさんの真っ白な花びらを持つ花が生える。花は次々と生まれ、フロア一面が花畑となる。これら魔法の花で空気を浄化させようというのである。
「おのれええっ!」
ガスの幕から青い腕が伸びた。怒りに満ち溢れたサクスが、気を失ったウィーナを片手で抱きかかえたまま、もう片方の手でワナンバーの頭をつかんだ。
「ファイヤー……」
ワナンバーがガスの放出をやめ、今度は手に赤い炎を凝縮させた途端、鼓膜を破るような爆音と共に、大爆発が巻き起こった。彼の魔法がガスに引火したのである。
「うわああああっ!」
メクチェートは腕で目元を多い衝撃に備えた。屋敷内に激しい爆炎が巻き起こったが、メクチェートが生み出したたくさん浄化の花が、デッドリーガス・砂煙・黒煙・爆炎を全て吸収してくれた。
「うおっ!」
二階にいたフィーバが低い悲鳴を上げた。外周を囲む廊下の一部が爆発で破損し、フィーバを巻き込んで崩落したのである。
大爆発の直後でも、浄化の花の効果によって嘘のように明瞭に開けた視界。澄み渡った静寂と空気。淀んだ物質を吸い過ぎて枯れ果てた足元の花々。
そこにあった光景。まるで消し炭のようになって原型すら留めていないワナンバーの死骸。爆発で数メートルも吹き飛ばされてヒクヒクと痙攣しているハッシャー。瓦礫を掻き分けて立ち上がったフィーバ。額から一筋の血が流れている。そして、ワナンバーの死骸のすぐ側。サクスが自らの背中で、ウィーナを爆発から守っていた。
彼の胸に開いた穴はすっかり癒えていた。メクチェートがウィーナもろとも回復させたからである。今の爆発でも大したダメージはなかったらしい。青く逞しい背中から湯気が出ているに過ぎない。
「そ、そんな! ウィーナ様! ウィーナ様ああっ!」
気を失っているウィーナを見て、サクスは泣きついた。ウィーナは目を覚まさない。先程のハイパーヒールでは回復しきれなかったのだろうか。
「ウィーナ様! あああ……」
フィーバも負傷したらしい右腕をかばいながら、酷く動揺してその様子を見守る。
そのとき、一階の奥にある、仮眠室へと続く部屋の扉が勢いよく開け放たれた。ホウキにまたがって宙を滑走するユーイが現れたのだ。
「何っ!?」
サクスが咄嗟にユーイの方を向く。ユーイはサクスにそのまま突っ込んでいき、彼の目の前ぎりぎりをかすめてすれ違った。そして、サクスが首をそちらへ曲げた途端、ユーイはサクスに背を向けたまま急速に真上に上昇し、更に腹を天井に向けて上下逆さまの姿勢でサクス目がけて反転した。それから爆発的に急加速し、180度回転して姿勢を元に戻すと、再びサクスの脇を横切った。
そこでサクスは気付いた。ウィーナがいない。
ユーイはすぐに華麗な空中慣性ドリフト走行でメクチェートの脇までホウキを滑らせた。ユーイの背後には、ぐったりとホウキにぶら下がっているウィーナがいた。
「メクチェート殿!」
「でかしたユーイ!」
メクチェートはすぐにウィーナの顔を見た。その様子は青ざめて、まさに死人そのものだった。
・マクシミリアン
冥界の住人である爬虫類タイプの戦士で、ウィーナに仕える平従者である。
鱗に覆われたトカゲ型の種族で槍を武器としている。
チャピオよりは若干落ち着いているが、粗野で乱暴な面が目立つ男。ヘイト・スプリガン事件のときに非番だった為に、職場の状況がよく分からず、屋敷に集合してウィーナの戻りを待っていた。
サクスがウィーナを狙って屋敷に乗り込んできた際に、仲間と共に応戦した。次々と仲間が殺されていくのを見て勝ち目がないと判断し、ワナンバーをサクス向けて突き飛ばし、その隙に逃亡した。そして、眠っているウィーナ達を起こして状況を報告した。しかし、その後は恐れから加勢に入るのをためらい、屋敷の3階で待機していた。そのとき殺されたと思っていたワナンバーがやってきて、マクシミリアンに身代わりにされた件を非難するが、逆にマクシミリアンは開き直ってワナンバーを殴り飛ばしている。その途中で、サクスが屋敷1階で唱えた『エターナルフォース内臓エクスプロージョン・ランダム』という理不尽極まりない魔法を受け、体が内部から膨れ上がってしまう。必死に助けを乞うが、内臓をまき散らして内部爆発して死亡した。
HP 170 MP 50 攻撃力 150 防御力 70 スピード 100
運動能力 80 魔力 150 魔法耐性 150 総合戦闘力 920




