第63話 女神とケダモノ
ウィーナとフィーバが一階へ向かい階段を駆け下りていくと、下方から階段を駆け上がってくる人物が現れた。平従者の魔術士で色白の人相の悪い男、ワナンバーである。
「ワナンバー!」
フィーバが声を上げた。ウィーナも足を止める。
「うわあああああっ!」
ワナンバーは血の気が失せたような蒼白の表情で、死にもの狂いで階段を上がってくる。そして、有無を言わさず、正面に立つウィーナやフィーバを乱暴に押しのけてそのまま通り過ぎていった。
「ワナンバー! 下はどうなっている?」
ウィーナが振り向いて問いかける。
「ああああっ! ウィーナ様ああああっ!」
ワナンバーはウィーナの名を叫んでおきながら、すれ違ったウィーナに見向きもせず上の階へと突っ走っていった。相当な恐慌状態らしい。それにしても生きていたとは。マクシミリアンの報告と違う。
二人は彼のことは放っておいて、一階へと急いだ。
「私はこのまま一階へ行く。お前は位置取りをしろ」
「了解しました」
二階でフィーバと別れ、ウィーナは独り一階へと走る。自分の身を守る従者は一人としていない状況。一か八かの賭け。力を失った女神に、改めて緊張が走った。恐れが全くないわけではないが、これだけ部下を死なせてしまって、最早自分だけが助かろうと動くわけにはいかなかった。
意を決してウィーナは大広間に差しかかった。部屋に見えるのは以前からあった蛇女・シュロンの死体に加え、メメントモリ隊・ヘンリーとアリエス、そして派遣従者大納言アズキの死体だった。
そして、それら散乱した死体の中央に立つ男。青い肌で背中に悪魔のような翼を携えた男。彼がサクスらしい。禍々しい力が、ウィーナの素肌に突き刺さった。
「サクス! 私はここだ!」
ウィーナの張りつめた声がエントランスホールに響き渡る。サクスがこちらに視線を向けた。
「ウィーナ様!」
サクスの目に輝きが宿った。そして、翼を広げて丸腰で下着姿のウィーナに滑空飛行で接近する。
ウィーナは咄嗟に身を翻してかわそうとするが、それも叶わず。サクスの圧倒的なスピードに反応しきれない。あっという間にウィーナはサクスに両腕をつかまれた。
「ぐっ!」
つかまれた手首に相手の強い握力が降りかかる。ウィーナは顔を歪めた。
「ウィーナ様! ボクはこのときを待ってたんです! あなたとこうして二人っきりになれるこの瞬間を!」
沸き上がる興奮を抑えきれないらしい。サクスはウィーナに顔を寄せ、両者の距離はまさに唇が触れ合わんとする程にまで縮まった。目の前の男の荒い息遣いから、下心にまみれた下劣な欲望を感じ取ることが容易にできた。
「貴様! さてはエイカンまで……。何のつもりだ。なぜ仲間を手にかける!」
「こんな連中ウィーナ様には相応しくありません! 女神であるウィーナ様に仕える資格があるのは、ボクのような崇高なる生命体でなければならないんです」
「相応しくない……。確かに、不甲斐ない私には過ぎた者達だったかもしれない」
ウィーナはサクスを鋭く睨みながら、震える唇で自嘲の笑いを微かに浮かべた。
「ウィーナ様……。まだあんな奴らのこと気にしてるんですか。よろしい。ボクとウィーナ様の二人っきりの世界にしましょう! エターナルフォース内臓エクスプロージョン・ランダム!」
サクスは何やら意味の分からない術を唱えた。
「何をした?」
「フィールドにいる敵一体(もちろんウィーナ様は敵じゃないから除外☆)をランダムで内部爆発させる素晴らしい技です。誰か一匹死にます。くじ引きみたいに一匹ずつ邪魔者を消してくなんてなかなかいい趣向でしょ?」
「何だと!?」
ウィーナが目を見開いて驚愕した。マクシミリアンの報告を合わせて考えると、今屋敷で生き残っていると推測される味方はフィーバ・ユーイ・マクシミリアン・ワナンバー・ケニー。そして安否が分からないのはユーイ・ケニー。メクチェートとハッシャーは外出していてまだ戻ってきていない。ここでいうフィールドとは屋敷の中。誰が死ぬのか。考えたくはなかった。
フィーバがエントランスホールの真上に当たる、二階の外周の廊下の柱の陰に陣取ったのは、既にウィーナとサクスが一階でもつれあっているときであった。ここからは天井が吹き抜けになっているエントランスホールを上から狙撃できる絶好のポジションである。しかし、この状況ではウィーナまで矢で射抜いてしまう可能性がある。撃てない。ウィーナは自分もろとも撃てと言ったが、そんなことはできるわけがない。
フィーバは自分に言い聞かせた。落ち着け。冷静になれ。息を殺して待つんだ。スナイピングに絶好の機会を。チャンスさえくれば、自分は絶対に的は外さない。でも待ち過ぎて機を逸し、奴にウィーナを連れ去られてしまったら?
矢一本を託されたシャツとトランクス一丁の男は、固唾を飲んで階下に広がる光景を見守った。
ワナンバーが三階まで逃げ延びてきたら、廊下にはマクシミリアンが壁に寄り掛かって手持ち無沙汰に待機していた。彼は一人で逃げるのも気が引け、かといって加勢に入るのも恐れていたので、こうしてその場に留まっていたのだ。そこにワンナバーが食ってかかった。
「ワナンバー! お前生きてたのか!」
「マクシミリアンてめえっ! なんで俺を見捨てて逃げやがった!」
ワナンバーは息を切らしながら、蒼白だった顔を今度は怒りで赤く染めた。
「……仕方ねえだろ! 俺達が助けに入ったって皆殺しになるのは目に見えている。だとしたら一人でも多く逃げてウィーナ様に連絡した方がいいだろ!」
マクシミリアンは正論を言ったつもりだったが、ワナンバーは聞く耳を持たなかった。
「だったら何で俺が生贄なんだ! テメーが俺をアイツがいる方へ突き飛ばしたんじゃねーか!」
「わざとじゃねえ! そこまで考えて動く余裕はなかったんだよ!」
「嘘つけ! お前はハナッから俺を盾にして、自分だけ生き延びるつもりだったんだろ! 仲間を見捨てて自分だけ逃げやがって!」
ワナンバーは手を伸ばしてマクシミリアンの胸倉をつかんだ。
「俺だけじゃねえ! ユーイだって逃げただろうが!」
「突き飛ばしたのはお前だ! しかも人のこと邪魔呼ばわりしたろ? 気を失っているときも助けてくれなかったんだろ!」
「……何なんだよオメーは。さっきからグジグジグジグジ言いやがって。だったらどうだっつーんだよ。あぁ?」
マクシミリアンは開き直り、爬虫類特有の冷たい視線をワナンバーに向けた。
「なっ……だっ、俺が……」
ワナンバーはマクシミリアンの突き放した態度に動揺して、しどろもどろになって台詞を噛んだ。それを見たマクシミリアンが軽蔑したような笑いを投げかけた。それを受け、ワナンバーの腕は衝動的に動いた。
「レーザービー……あっ!」
ワナンバーが魔法を放とうと腕を構えて詠唱をした途端、マクシミリアンは彼の腕をつかんでねじ上げ、もう片方の手で彼の顔面を殴打した。
「オラアアアッ!」
「がへっ!」
先程大納言アズキにボコボコに殴られ、顔を腫らせていたワナンバーはたまらず頬を押さえた。マクシミリアンは構わずワナンバーを床に突き倒して馬乗りになり、さらにワナンバーの顔面を殴った。何度も何度も殴り続けた。
「調子乗んなコラアアッ! このクズがっ! このクズがっ! テメーに隙があったからいけねーんだろうが! 自業自得じゃねーか。トロいからいけねーんだよ! なんでこっちが危険を冒してテメーなんか助けなきゃいけねーんだ! ああっ!? 自分の身を守ることくらい、戦闘じゃ自己責任なんだよ! 派遣にボコられてるような間抜けを盾にしてっ! 一体何が悪い! ええ! 何が悪い! 何が悪いんだ! オラ! オラアッ! テメーからは給料もらってねえええっ!」
「ヒッ! ヒイイイイッ!」
ワナンバーは抵抗できず、情けない悲鳴を上げながら殴られるままになっていた。
そのときである。
「ギャアアアアッ!」
突然マクシミリアンが殴る手を止め、素っ頓狂な悲鳴を上げた。
両手で頭を押さえて苦しそうに膝を付いた。ワナンバーは訳も分からずその光景を見る。
「ウゲエエエエッ! だじげ、だじげでえええっ! ぐるじいいっ!」
マクシミリアンの鱗に覆われた緑色の皮膚が不気味にボコボコと脈動し、拳程度の大きさのコブがあちこちに浮き沈みする。その度に彼は苦痛に喘ぎ目をひん剥いた。
「ひゃああああっ! どうしてこうなったあああっ!?」
どうしてこうなったのか全く意味が分からないが、その光景にワナンバーは恐怖した。
終いには、マクシミリアンの体全体が風船のように膨張し、体中が真っ赤に赤熱し始めた。
「ぐげげええ! ワナンバー! だのむ、だじげでえええ! ブピッ! ブポビゲ! ブジャジャ!」
マクシミリアンは見るにもおぞましく、いびつに、醜く、異形に膨れ上がった。
「ひっ!」
ワナンバーはその様子に怯えておずおずと後ずさりする。
「ブゲエエエッ!」
とうとうマクシミリアンは爆発した。骨片を、眼球を、臓器を、血液を周囲にまきちらし、バラバラに分解された。ワナンバーの頭上に、細分化された死骸が肉片のシャワーとなって彼に降り注ぐ。
その光景にワナンバーの思考が停止した。そして、ある考えに行きつく。この現象、サクスが何かやったのではないか。そうしたら、次は自分がマクシミリアンと同じ目に合うのではないか。
「あっ……。ああああああああっ!」
ワナンバーは廊下を突っ走り、突き当りの窓に身を投じ、三階の窓から飛び出した。
その頃、メクチェートとハッシャーの二人が、民間人の引き渡しを終えて屋敷へと帰ってきた。そこで彼らが見たものは、消滅している結界と、門の前に転がっているキッカイセーの腕であった。二人の間に緊張が走り、無言の言葉が交わされた。目を合わせ両者頷く。
そして、二人は全速力で屋敷へ入るべく駆け出した。
その瞬間、上方でガラスが割れる音が聞こえた。二人が足を止めて上を見上げると、何と屋敷の三階から人が飛び降りてきたのである。
よく見ると見慣れた人物だった。ワナンバーである。
「わあああああっ!」
ワナンバーは悲鳴を上げて落下し、鈍い音と共に庭の芝生へ墜落した。身体能力が低い魔術士とはいえ、そこは戦闘員だ。三階から落ちた程度で重傷を負うようなことはなかったが、足をくじいたらしく、ふらふらと立ち上がり、足を引きずって門へと歩きだした。
足より目を見張ったのはその見るも無残な顔である。相当殴られたのであろうか、服装からでしかワナンバーと判別できないくらいに腫れ上がっていた。
「ワナンバー!」
メクチェートはすぐに駆け寄り、ワナンバーに上級回復魔法『スーパーヒール』をかけてやった。彼の腫れた顔と引きずっている足が瞬時に治療される。
「一体何があったんだ?」
不安げな表情でハッシャーが問う。
「うわああああっ!」
ワナンバーは質問には答えず、すぐにメクチェートを突き飛ばし、一目散に逃げ出した。
「おい待て! どこ行くんだ!」
ハッシャーが慌てて後を追い、メクチェートも続く。
逃亡するワンナバーは門の近くに転がっていたキッカイセーの腕につまづいて転んだ。一体何につまづいたのか、倒れ込んだワナンバーは転がる腕を視認すると顔を真っ青にして「わああああっ!」と再び絶叫した。
ハッシャーがワナンバーに追いついて、彼の肩をつかんで問う。
「おい! 屋敷で何が起きている? 何で結界が消えた? ウィーナ様は大丈夫なのか?」
「知らん! 嫌だっ!」
ワナンバーは顔を振り乱して頑なに拒否の態度を取る。
「……話にならん。ハッシャー、屋敷の内部に魔力の揺れ動く気配を感じる。中で戦闘が起こっているぞ。急ごう」
メクチェートが屋敷の方に視線と杖を向けて言った。
「ワナンバーはどうしますか?」
ハッシャーが言う。
「中の様子を知っているのはワナンバーしかいない。戦力にもなるんだし、連れて行こう」
メクチェートはワナンバーを立ち上がらせた。
「嫌だ! 嫌だあっ!」
「今更何を言ってんの!」
ハッシャーもメクチェートに協力し、抵抗するワナンバーの肩を持って連行しながら玄関へと進んだ。
「ウィーナ様! さあ、ボクと共に! あなたは永遠にボクが守ると誓いましょう!」
サクスが屋敷の壁にウィーナを追い詰め、力づくで詰め寄った。
「汚らわしい、触るな!」
ウィーナは絶望的な腕力差にもめげず、懸命に抗う。
「綺麗で、暖かい胸だ……」
サクスは恍惚の表情を浮かべて、ウィーナのブラジャーを手でさすった。
ウィーナは歯を食いしばってサクスを睨むことしかできない。
その様子をフィーバは二階で一部始終見ていたが、こうも壁際に寄られ密着されていては矢を撃とうにも撃てない。歯がゆい思い極まりなかった。
そんなとき、屋敷の門が勢いよく開かれた。
ウィーナにとっては加勢。サクスにとっては敵の増援。現れたのは中核従者メクチェート、平従者ハッシャー、そして、彼ら二人につかまれて無理矢理連れてこられたような感じのワナンバーであった。
「ウィーナ様!」
追い詰められたウィーナの姿を見て、メクチェートの表情が強張った。
・チャピオ
冥界の住人である獣人タイプの戦士で、ウィーナに仕える平従者である。
ハイエナの獣人で、その脚力から発揮される瞬発力が自慢。思慮が浅く軽挙な面がある。ヘイト・スプリガンの事件発生時に非番だった為に情報の伝達がうまくいっておらず、状況がよく呑み込めていないままウィーナの屋敷に出向いていた。
そんな折に、強化を施されて遥かにパワーアップした元同僚・サクスがウィーナを狙って屋敷にやってくる。チャピオは門番のキッカイセーが殺されたことを察知したが動じず、数の優勢から余裕の態度を取る。他の仲間と連携して攻撃を仕掛けるが全く通用せず、ここでようやく相手の圧倒的な強さを理解する。危機感を覚えた瞬間に態度を180度転換させて必死の命乞いを行うが、サクスの放ったエターナルフォースブリザード(相手は死ぬ)を食らって瞬殺された。
戦士としては標準レベルの域を出ないが、剣に魔法をかけて雷の属性を付与するなど、案外テクニカルなこともやってのける。正規戦闘員ではない派遣従者を見下しており、大納言アズキとの仲間意識はなかった。
HP 90 MP 20 攻撃力 100 防御力 30 スピード 160
運動能力 170 魔力 40 魔法耐性 50 総合戦闘力 660




