第53話 静寂なる狂気
時空の塔・20階――。
下界へと続く扉の前で、ハイムはウィーナの弟・ウォーンと対峙していた。
「なぜ、あなたがここに?」
「私は天界の命により、この扉を守る者」
ウォーンが毅然とした態度で言う。
「……ウォーン様。私は下界に行かなければならない訳があるのです。たとえあなたがウィーナ様の弟であろうとも」
その先は言わずもがな。ハイムは短刀を両手に構えた。例え誰が相手だろうと任務遂行の障害になるのであれば排除するだけだ。
「ハイムさん。私はあなたと戦う気はありません」
優しげな口調だった。出会ったときから、彼から殺気を感じない。
「ならば、ここを通してくれると?」
「はい」
「何故?」
「あなたがここに来た理由は知っています。冥界の為、また下界の為に、お待ちしておりました。ここからは私も同行いたします。慣れない下界は不案内でしょうから」
ハイムはウォーンに対する警戒心を緩めるつもりはなかった。しかし、彼は騙し討ちをするような人物ではないことも同時に分かっている。
「協力して頂けるなら、これ以上の心強い味方はありません。どうかこちらこそ、よろしくお願いします」
ハイムは柔らかく微笑し、感謝の心を込めて頭を下げた。神族の騎士であるウォーンの実力は折り紙つきだ。かりそめの肉体である現在のハイムより遥かに高い戦闘能力を持っている。
「本来なら、この十年間の積もる話をお伺いしたいところですが、時間もないでしょうから、早速行くことにしましょう」
ハイムは頷き、ウォーンと扉の前に並んだ。
「ハイムさん。これから下界であなたが見る光景は、女性のあなたに見せるには忍びない程の、凄惨で痛ましいものとなりましょう」
ウォーンの口から発せられた言葉に対して、ハイムは何らの動揺を見せなかった。下界の状況など関係ない。ただ任務を遂行するのみ。ハイムの胸中に占めるのはその一念である。迷いなど死ぬ可能性を無意味に釣り上げるだけだ。
「ウォーン様。ご忠告ありがとうございます。でもご心配なく。修羅場に関してはあなたより慣れていると思いますので」
「……強い女性だあなたは。ただ、姉と違ってあなたの強さは悲しい」
「悲しいだなんて。そういう風に思ったことはありませんでした」
ハイムは言う。
ウォーンは寂しそうな笑顔を作りながら、巨大で重厚な扉の取っ手をつかみ、両手でゆっくりと、それでいて力強く解放した。石がきしむ鈍い音が鳴り響き、薄暗い時空の塔に柔らかい光が差す。
「太陽の光は初めてですか? 下界の遥か天空にある日の光。それは天界などより遥かに高い位置から我々を等しく照らしているのです」
ウォーンが問いかける。ハイムも太陽の存在は知っている。なぜならヴァンパイアであったハイムにとって太陽の光は最大の弱点だったからだ。
ウォーンが先程の台詞の最後に「その体が幸いしましたね」と、一言付け加えた。
「ええ。ヴァンパイアであることを捨てたが故、でしょうね……」
ウォーンの言う通りだ。ヴァンパイアであったら下界の昼間は活動できない。アメリカーンから授かった今の肉体は不死ではなく、太陽の光も問題にならない。
扉をくぐると、そこはどこかの城の一室のようだった。石造りの殺風景な部屋であったが、窓からは太陽の光が差し込んでいる。
「ここは?」
ハイムが周囲を見回しながら問う。気味が悪いほど静まり返っており、寒気がするほど空気が澄んでいる。
「ここはディログ大陸のメルール王国。十年前、姉が握力大魔王の侵略から救い出した国。そして、復活した握力大魔王を再び倒した救世主・イケメンコの城です」
ウォーンは言いながら窓に近づき、「いや、元メルール王国と言った方がいいでしょうか」と言いながら外の景色を眺めた。
ハイムも窓から外をのぞく。
この部屋は城の四階か五階か。かなり地上からは離れた階層のようだ。
ハイムの眼前に広がっている光景は、予想を超えた不思議なものであった。城の周囲は城下町のような人の活気が感じられるものは一切存在しておらず、見渡す限り一面の広大な草原に、金属の、機械の触手のような管がまるで地面に根を張っているように、複雑怪奇に枝分かれしながら張り巡らされている。
「これはこの大陸の環境を回復し、大地を浄化する装置です」
ウォーンが言う。ハイムにはその光景が不気味でおぞましいものに見えた。大地を浄化するというよりは、大地を浸食して、蝕んでいるかのようであった。
「浄化?」
「握力大魔王が蘇り、再びこのメルール王国へ進行してきたとき、魔界からの瘴気がディログ大陸の一面を覆い、大陸は闇に包まれ死の土地となりました。イケメンコは握力大魔王を倒し、魔界の軍勢を退けることに成功しました。しかし、そのとき、大陸はもう人が住めないほどに汚されていたのです」
「何てことなの……」
魔界のヴァンパイアの王女であったハイムは、当然その瘴気の強力さはよく知っている。下界の弱い人間では、魔界の瘴気には耐えられないだろう。
「ウォーン様。私のことを恨んでおいででしょうか? 自らの使命を果たした後、後の魔界の治世を放棄して、不死の吸血鬼である体を捨て、ウィーナ様の下に走った私を」
魔界の忍者の里で隠されながら育ち、魔界のヴァンパイアを全て滅ぼしたハイム。その後、ただ一人残された正当なる最高位のヴァンパイアであるヴァンパイア・ロードの血統を持った王女ハイム。本来なら、その圧倒的な力を持つ絶対者として王女から女王に即位し、魔界を統治してしかるべきだった。
しかし、ハイムは死ぬことなく悠久の時を生き続け、魔界に飽くなき戦乱を巻き起こしていたヴァンパイアを嫌悪し、ウィーナにすがり自らの運命を立ち切ってしまった。
そのために、絶対的な支配者がいない魔界ではまたしても戦乱の世が巻き起こり、握力大魔王のような新興勢力が台頭し、人間やエルフ、獣人などが暮らす下界へと侵略を開始した。もしハイムが女王となって魔界を治めていれば絶対に握力大魔王などのいいようにはさせないだろう。メルール王国のこの有様は、ハイムが原因ではないだろうか。
「……はい。正直言って、少しお恨みしています。私は姉ほど心が広くないし、握力大魔王がこの大陸に引き起こした惨状を直接目にしてきた。この大事に、姉は冥界に追放されて贖罪の念に駆られるばかり。そしてハイムさんも姉を再び女神として返り咲かせようとはしなかった。しかし、私が一番恨んでいるのは、この状況をただ見守ることしかできない、私自身です」
ウォーンは苦々しい顔をして顔を少しうつむいた。十年前と変わらず、誠実な人だ。ウィーナの弟らしい。
「ウォーン様も苦しんでおられたのですね」
ハイムが慰めの言葉を紡ぐ。ウィーナが冥界に追放され、天界でもさぞかし形見の狭い思いをしてきただろう。ウォーンは神族とはいえ、ウィーナのような神ではなく、神に仕える神兵の一人だ。彼一人では、メルール王国が魔界に侵略されるのをどうすることもできなかったに違いない。
「私には分からない。姉上もあなたも。勝利の女神であることも、魔界の女王であることにも執着のないあなた方が。自身の役割の重さを分かっておいでなのでしょうか?」
ウォーンは言いながら顔を上げ、外に広がる異様な風景を見渡した。
「ウィーナ様は自身の役割をご理解なさっております。だから私がここにいます」
ハイムは窓から目を離し、ウォーンを真っ直ぐに見つめながら言った。
「ウォーン様、時間がありません。私はイケメンコに会います。そして冥界に連れて行きます。力尽くでも」
ウォーンも窓から離れ、部屋の出口へと歩みを進めた。
「分かっています。姉上が再び勝利の女神となり、この下界、冥界双方を救うことを私は望んでいます。でも大丈夫。イケメンコは逃げません」
「お言葉ですが、今、私の仲間であるロシーボという者が、たった一人でヘイト・スプリガンという強大な敵に立ち向かおうとしています。時は一刻を争うのです」
ハイムは丁寧だが押しの強い口調で言った。
「そうでしたね。それでは説明は省きます。急ぎましょう!」
ウォーンは部屋を飛び出し、城の廊下を疾走する。ハイムも後に続いた。
たどり着いたのは、城の最上階の大広間らしき扉の前。走っている間にハイムは気がついた。外を覆っている機械のような触手が、この部屋に集約されているのだ。しかし、そんなことハイムには関係ない。この下界の仕組みなどより、まずは一刻も早くイケメンコを冥界に連れて行かなければならないのだ。
「この奥にいるのは、勇者イケメンコとメルール王国第一王女・メルーリアです」
ウォーンが言う。扉の奥には、ハイムが今まで感じたこともない、強大で不気味な気配が存在していた。
「ハイムさん。まずは話し会いましょう。イケメンコは話の分かる者ですが、問題は王女です。彼女を説得できるかにかかっているでしょう。私も協力します」
「分かりました」
ハイムが頷くと、ウォーンは扉を開けた。
そこに目に入った光景。部屋の中は見たこともないような機械がまるで壁をなしているかのように周囲一面に配置され、一番奥には触手が収束されているオブジェのようなものがあった。ロシーボに見せたら内容が分かるかもしれないが、ハイムにはその原理はさっぱりだ。
「ウォーン殿。あなたはまた性懲りもなく。何を考えているかは知らないが、我らに口出しするのはご遠慮願おう」
男性の声だ。声の主は、こちらに歩んでくる、きらびやかな文様がきざまれた鎧に身を包み、深紅のマントを背中に羽織った騎士のような男。彼が下界の救世主・イケメンコに間違いないだろう。
年齢は30代後半くらいだろうか。短髪で口髭を蓄えており、がっしりとした顔つきを持つ武人然とした人物であった。
「イケメンコ殿。今日は良い話を持ってきました。下界を救うチャンスです」
ウォーンが訴えかけるように話した。イケメンコからは重苦しい雰囲気が伝わってくる。
「イケメンコ。あなたには冥界に来てもらうよ」
ハイムが切り出す。
「冥界? なぜ?」
「あなたの仲間だったカマセーヌが、恐ろしい化け物になって冥界で暴れまわっているの。あなたに復讐したくてね。知らないとは言わせないから」
ハイムはチェンジバトンを取り出し、イケメンコに手渡そうとするが、彼は応えず、腕を組んでこちらを見据える。
「残念だが私はここを離れん。メルーリア様を一人にすることはできない」
「そう。じゃあ連れて行く」
ハイムはすぐに腰の鞘から二本の短刀を取り出し、殺気を放ちながら身構えた。
「ハイムさん!」
ウォーンが諌めるが、ハイムは聞く耳を持たない。
そのとき、イケメンコは部屋の後ろに視線を移し、そこに安置されている巨大なオブジェのようなものを見上げる仕草を取った。
ウォーンとハイムもそちらに視線を移す。
その巨大なオブジェの頂上に、肌色のものが見えた。それは女性の上半身だった。
触手が一挙に集約されているオブジェと女性の上半身が融合しているのだ。この部屋に入った瞬間からその存在がメルーリアだということをハイムは認識していたが、改めて見ると、何とも形容しがたい気分に襲われる。
「いつ見てもおぞましいお姿ですね。メルーリア殿」
ウォーンが吐き捨てるように言い放った。
「ウォーン殿。それは聞き捨てならん」
「本当のことでしょう」
ウォーンとイケメンコ。両者の険悪な視線がぶつかり火花を散らす。
「初めまして。ハイム様。魔界で最も高貴なヴァンパイアの頂点に立つお方。私はメルール王国王女、メルーリアと申します。このような異形の肉体になり果てた姿ゆえ、礼を失する態度しか取れないことをお許し下さい」
高く、透き通るような女性の声。オブジェの上半身から発せられた声は、距離は遠くなのにまるでハイムの頭の中に直接響いているように明瞭に聞こえた。おそらく声に何らかの魔力が宿っているのだろう。
ハイムは睨みを利かせ合っている二人の男の間を素通りし、メルーリアの正面まで歩みを進めて、胸に手を当てて、恭しく膝を付いた。
相手が王女であれば、こちらも王女。相手の国に出向いたときに、他国の王族に対して取る魔界流の礼義作法に則って行動させてもらうことにした。
「……私は元ヴァンパイア・ロード。サーヴァル家王女。ハイムと申します。本日はお願いしたい儀があってまかり越しました」
ハイムの応えに対して、メルーリアは気品溢れる微笑を浮かべた。怪しげな触手に覆われた機械の塊である下半身とのギャップは強烈なものである。
「申し訳ありませんが、彼をお貸しするつもりはありません」
メルーリアの声が頭に響く。凛として、強い意志を感じされる口調だ。
ハイムは跪いたまま、歯を食いしばった。そして、歯を食いしばるのをやめ、口元を歪め不敵な笑みを浮かべた。そしてポロリと言い放つ。
「戯言を……」




