3 『新たな仲間?』
──這いずってきたのは、薄汚れた白色のローブを身に纏った少女だった。
十代前半の少女にしても低身長で、百四十ほどあるだろうか。聖職者を思わせるローブから覗くのは赫色の双眸。あどけない顔立ちはまさに妖精のようだ。早綾とエトナよりも年下に見えるが……。
恰好は、少女が乞食の類だと断言できるほど散々なものだ。全身を覆う装身具である修道服は汚れと煤だらけで赤が滲み、端々が破れている。何語かで記された文字が裾の柄に見られるものの黒い染みで塗り潰されていた。砂や埃も引きついて誰かに踏まれたのか、靴裏の痕が頭巾にくっきりと残っている。
実際、通りがかる人たちに片っ端から乞うていたらしい。
そんな乞食少女は──。
「ありがっ、ありがとう! 君たちいい人だね!」
「え、うう、はい」
「感謝は口の物を飲み込んでからにしてください。下品です」
そうだねっ、と華が咲くように少女は笑んで食事を続行する。みすぼらしい姿を見過ごせなかった早綾は、エトナの反対を押し切って彼女に食事を提供したのだ。露骨に嫌そうな顔をしたエトナは渋々、少女に自らの席を譲り、現在は早綾の隣へと移動している。何故だかそれから、機嫌が如何ばかりか回復したのは早綾としては不思議でならなかった。
新たに注文した銀貨一枚の定食をがつがつと平らげる少女の形相は凄まじい。早綾は圧倒されてエトナの背中に隠れかけたほどだ。食べ物を口にすることが相当なかったのだろう。──もしや、今朝までの早綾たちよりも困窮しているのかもしれない。
二人が三十分かけて談笑しながら量を減らしていた食事を、彼女はものの数分で片してしまった。
呆気にとられている早綾たちを他所に、満面の笑みで手を合わせる。
「ご馳走様でした……とっても、おいしかったよ!」
「お粗末様でした。豪快な食べっぷりですね、実に犬のようです」
「いえいえ、あたしの胃袋なんて大将には全然及ばないし──」
少女は笑顔で謙遜するように手を振る。エトナは表情一つ変えずに舌打ちをしていた。
早綾はいきなり嫌味を言うエトナにはらはらしながら、恐る恐る尋ねる。
「あ、あの。あなたの名前、教えてくれます、か?」
「そーだね。まだ言ってなかった。あたしの名前はイルル。イルル・ストレーズ。魔術師だよ。ちょうどこの街に来たのは……一か月くらい前かな?」
「……魔術師、というならカーディフ大学を目指しているのですか?」
「ううん、あたしは魔術師。別に研究者を志してはないんだ。だから大学にきょーみない」
溌剌な少女ことイルルは、頬を掻きながら左上に視線を逸らす。
イルル・ストレーズ。粗末な身なりの少女は比較的最近、迷宮都市に足を踏み入れたようだ。聞くと、何やら曰くのある物品を捜索に来たとのこと。詳細については「魔導具の一種らしいよ」と、彼女自身も把握していないようだ。どうも彼女の保護者にあたる人物が探しており、ただ頼まれたらしい。
勢い込んで、迷宮都市に身一つで乗り込んできたようだが──完全な無計画が上手くいく訳ない。早々に捜索は行き詰まり、金の手持ちもないイルルは無論、貧困に陥った。遂には身包みも剥がされ、路傍に落ちていたローブを着衣することに相成ったらしい。
つまり考えなしの自業自得である。とんでもない阿呆ね、と隣のエトナがうっかり零していた。
「それで銭を稼ぐため冒険者登録になったけど……全然達成できなくて」
苦難の時分を思い出したのか、イルルは項垂れる。
冒険者稼業は一人では難しい。最下級モンスターとされるゴブリンの素材狩りも、戦闘慣れしていない新人では相当苦労する。早綾も最近マシになってきたばかりだ。冒険者になった当初はエトナの稼ぎに頼りっぱなしだった。
魔術師と言うからに戦闘に不慣れなのだろうし、なかなか達成できない気持ちは共感できる。
「それだったら故郷に逃げ帰ればいいじゃないですか。あなたにも帰る家はあるのでしょう?」
「ん……でもそれは、ちょっと。黙って出て行っちゃったし、先生も怒ってるだろうし……見つけたら帰る」
どうも母国に逃げ帰る選択肢はないらしい。結果を出すまで帰りたくないようだ。
歳は見た目同様、早綾より四つ下の十二歳と聞いた。年相応の意地張りなのかもしれない。
こうして今までの早綾たちと遜色ない、寧ろ超すほどの貧しさに至る訳だ。
もう何日も口に入れておらず、餓死寸前で乞食を繰り返していたのだそう。乞食に対する風当たりは当然のように強い。人に殴られ蹴られ、唾を吐きかけられて──舗装された道の端々から伸びる雑草、路地裏に捨てられた食い繋いでいたらしい。
一通り身の上を話し終えたイルルは「ほんとーに、感謝してるよっ!」と
早綾は照れ臭くなって俯くが、エトナは冷然とした姿勢を崩していない。
「話は分かりました。では、あなたはサーヤの慈悲にどれほどの対価を齎してくれるのですか?」
「えっエトナ……!」
無償のつもりだったのに……早綾は呟く。
彼がイルルに食事を与えたのは、同情の側面が強かった。まるで自分たちを見ているようで、見捨てる選択ができなかったのだ。これは早綾の自己満足なのだから何も要求する気はない。
驚愕の意思を受け取ったのか、早綾を一瞥したエトナは嘆息する。
「早綾が認めても私は認めません。貴重な銀貨を消費するようでは、折角の報酬が無駄になります。大事に節約して使うはずだったお金ですから。こんなことを許していたら、すぐに極貧生活に逆戻りですよ」
「そんな、そうだけど……困ったときはお互い様でしょ?」
「いや、あたしも借りっぱなしじゃ申し訳ないっ! ちゃんとお礼はするよ!」
目を瞑り、イルルは手を膝に置く。姿勢を正して真面目な顔をつくった。
腹を決めた様子に、早綾も背筋を伸ばして応対する。
「……その前に。お願いを重ねることになるけどっ、君たち冒険者だよね? 他に一緒に迷宮探索する仲間はいる?」
「い、いないけど……」
「なら!」
大げさに机に両手を叩き付け、早綾の方にイルルは深々と勢いよく頭を下げた。
「対価はあたし自身! 一応あたし魔術師だから結構役立つと思うよ! ごはんくれたお礼に、君の言うこと何でも聞くからっ!」
※※※※※※※※※※
「却下です」
「え。……ええエトナ! 即答なんて酷いんじゃ……!」
「サーヤ。考えてもみてください。どこの馬の骨かも分からない不審者を仲間に入れるなど、不用心も甚だしいです。イルルなる不審人物が詐欺師の類でない保証がどこにありますか。私たちのお金やあなたの大事にしている魔剣が、翌日なくなっていない保証はどこにあるのですか?」
「うう……」
「しかも無償で銀貨一枚のご飯を奢った挙句、ですよ? 理解していますか、銀貨は今朝の私たちでは逆立ちしても手に入れられない金額だったんです。それを出し惜しむことなく人に恵む。はあ、なるほどそれはあなたの器の広さが為せることでしょう。しかしお人好しにすぎる部分は頂けません。あなたのそんな部分を狙う輩は、迷宮都市に数えられないほどいるでしょう」
「……ごめんなさい」
「そもそも、あれほどの阿呆を仲間に引き入れては危険です。ああいう手合いはうっかり皆を危地に晒します。それに年上に敬語を使えないような輩を私は仲間と認めたく……」
堰を切ったように捲し立てる諫言を前に、早綾は段々と頭が下がっていく。
イルルが早綾とエトナは一旦、密談をするために席を立った。早綾はこういう陰湿な真似の必要性は感じていなかったが、隣に腰を下ろしていたエトナからの声なき視線に耐え切れなかったのだ。イルルの自分語り中にも、色々もごもご何か言いたげだったエトナ。もっとも、イルルの話には流石の早綾も突っ込みたい衝動に駆られたため、理由も分からなくない。
現在、こそこそと二人が話しているのは調理場への通路付近。通路の壁には『フーファロの憩い場』の裏手に構える武具店の広告が、横一列にびっしり張られている。
この通路は道幅が広く、酒場の全景を眺められるため常連客の間でも『密談場所』として重宝されているのだ。現代の飲食店で言うところの手洗い場と同様の意味合いを持っていた。
ただ勿論、よほどの阿呆でもなければ……ちらりと視界の端に映るテーブルで、楽しげに飲み物を啜る少女はそうかもしれないが……二人で席を立てば心証はよろしくない。遠くで話し合っていれば、十中八九自らが噂されていると読み取れよう。
だから壁面の羊皮紙に描かれた武具を吟味するふりをするのが定石だ。
早綾とエトナも形だけは羊皮紙を見上げながら話し合っている訳である。
「……大体ですね。仲間なんかこれ以上必要ないでしょう? 私たちは石級冒険者にすぎません。高値の依頼は受領できませんし、人を増やしても取り分が少なくなってしまうばかりです」
「でも、人が増えた方がその、難しい依頼も挑戦できるんじゃないかな……?」
「時期尚早という話です。今の時期から人を増やせども損ばかりです。──百歩譲って仲間を増やすにしても、私たちがもっと上級になったら。最低でも青銅級になるまでは不要でしょう」
尤もらしい断言で締め括るエトナに、早綾も閉口する他ない。
むむ、と早綾は唸って顎先に握り拳を当てる。
確かにエトナが言う通り、イルルは浮浪者のようで信用に値しないかもしれない。迷宮都市では無法者がのさばっているのは、経験から重々承知しているつもりだ。代表的な出来事でも「保護者であるベルン中将から貰い受けた金を奪われる」「協力すると持ち掛けられ、任務完了と同時にモンスターの囮にされる」「銅貨十枚相当の値のつく素材を、銅貨五枚と偽られた」と枚挙に暇がない。阿呆を装い、お人好しを謀る者がいても不思議ではない。それが、足が床につかずブラブラ揺らすイルルでない理由もまた存在しない。
果たしてイルルが信頼に足る人間だろうか。嘘発見器はない今、そんな確証は持てるはずがない。
反論がないと見るや、エトナは「早くテーブルに戻ってお断りを伝えましょう」と肩を竦めた。
「よぉ、ルーキー二人。銀貨級の注文入ったときゃビビったぜ、まさか本当に財宝持ったゴブリン狩ったのか?」
「ね、熱血さん……あれ? 今日は、おどかして来ないんです……か?」
「嬢ちゃん物足りねぇかい? そんならすまんかったが、こりゃ俺の配慮だよ。そらぁ密談中の奴らに向かって大声出すのは空気が読めてねぇしな。ってか、熱血さんじゃねぇっての」
背後からのっそり現れたのは、エプロンがはち切れそうな巨漢こと熱血さんである。片手には空の食器を大量に乗せていた。どうにも空いたテーブルの片付け中らしい。
物足りない訳じゃないよぉ……早綾は顔を引きつらせつつ事情を説明する。
噂通りの財宝ゴブリンを偶然発見、討伐して大金を手に入れられたこと。ついでに頭を悩ませているイルルの問題についてを相談した。熱血さんは熟練の元冒険者、何より身近にいる大人である。忌憚なく相談事に乗ってくれる熱血さんの人柄は、この迷宮都市において貴重だ。
仕事中にも関わらず、黙して耳を傾ける熱血さん。
通りがかる従業員からいちいち小言を頂いていたが、聞き終わると──にかりと破顔した。
「まずはおめでとさん、といったところだなぁ。終いにゃ飢え死にかとはらはらしてたモンだが、大量に稼いだんなら大丈夫そうだ。安心したぜぇ」
「あ、ありがとうございます……」
素直に祝福の台詞を言ってくれる熱血さんに頭を下げる。
この街では早綾が心置きなく話せる相手は非常に類稀なのだ。
「ただ今ある金に胡坐掻くんじゃねぇぞ! 冒険者ってのは綱渡り、コツコツ貯めるのが吉だぞ」
「言われるまでもありませんよ」
「ハハハ! こっちの嬢ちゃんにゃ余計だったか!」
豪快に笑い声を上げると、次の話題に移る。
ちらりと熱血さんは、遠くのテーブルのイルルへと視線を投げると。
「そんであっちの、バカそうな新しい嬢ちゃんだが……良いんじゃねぇか? 一回くらいは依頼に連れていくのは十分アリだろうよ」
「──しかし熱血さん」
「まぁ待て。言いたいこた分かる。けどな二三言交わしても人柄なんてのはさっぱりだ。キジョーのクーロンって奴だ。実際に性格が知りたいなら、迷宮に連れていくのが一番だ」
「それは熱血さんの持論ですか」
「モチロン。誰かの持論持ち出すのは、ちぃとばかししっくりこねぇ」
いつもより食って掛かるエトナに、堂々と熱血さんは返す。その立ち振る舞いは、彼が自分よりも長く人生を歩んだことを再認識させる。
エトナは一旦口を閉じると、近寄ってきて早綾に囁きかけてきた。
「……所詮、熱血さんの言葉です。真に受ける必要はありません。彼の考え方がそうなだけで、私たちが盲目的に従うのはそれこそ良くな────」
「エトナ」
「え、ええ。何ですか……?」
早綾は熱血さんの話を鑑みながら、
先ほどから彼女の様子がおかしい。冷静沈着で柔軟な対応をするエトナにしてはあまりに頑なだ。冷淡な対応ながら引き際はきちんとしていたのに、先ほどの熱血さんとの会話には棘があった。人を寄せ付けさせない棘が。まるで絶対仲間に入れたくないようにも見える。子鬼酒が回っているせいだろうか。身近な人間に飲酒を好んでするタイプはいなかったため、早綾には判然としないけれども。
熱血さんの話は尤もだ。印象論だけで拒否するのは道理に合わない。
だから早綾は控え目ながら提案をしてみた。
「一回だけ。一回だけでいいから、イルルと一緒に迷宮に行かない? 仲間にするかどうかはそこで決めなくちゃ、その、やっぱりわかんないし」
「…………………………………………サーヤが、どうしてもと、言うなら」
早綾の懇願に、長考の末エトナは渋々と折れてくれた。
肩を落とし、拗ねたように不満顔の彼女に「ありがとう、エトナ」と早綾は申し訳なくなって言う。
すると何やらぶつぶつ呟いて踵を返したため、慌てて早綾はエトナの背中を追いかけた。
※※※※※※※※※※
テーブルに戻る新人二人を見守りつつ、熱血さんは一人頷いていた。
彼らの小さな背中はちっぽけ。けれども彼らの目前には光り輝く未来を幻視するほどの『若さ』を見た。
自分にもああいう時代があった。青臭い褪せた思い出を懐かしみながら呟く。
「いやぁ若いね。かぁー、少し羨ましくもあるがなぁ」
「熱血さーん! そろそろ新人の相談も終わったなら早く食器持ってきてくださいー!」
「おう、分かった!」
調理場から響く大声に、それ以上の声量で返答して踵を返す。この店では通常の業務以外に、悩み相談や新人への配慮も重要な仕事として存在する。従業員も承知していることだ。体裁として立ち話に興じる熱血さんに嫌味は言うが、実際のところ全員が納得している。
本当に気の良い奴らだ。熱血さんは些かばかり歩調を速めながら、頬を嬉しそうに緩めた。
「んあ? ちょっと待てよ」
足を止める。
ふと、思い出したのだ。否、単に脳内で連想しただけだが。
「そういや……財宝持ちモンスター狩った奴ら、俺のトコに来た以降一人も見掛けてねぇな……」