3 『最下級冒険者の苦悩』
都市の中心に構える迷宮と、東西南北の門を結ぶ大通り『迷宮通り』は昼夜問わずに盛況だ。
防具を装備し武器を提げた老若男女が跋扈し、誰も彼もが歴戦の強者に見える。
僕よりも小さい子とかも、女の子も逞しかったり筋肉が想像以上にあったりして……みんな僕より強そうだ。
『迷宮通り』は石畳を敷き詰め舗装されており、数々の露店と店が軒を連ねている。
それというのも、この迷宮都市が大陸でも珍しい立ち位置にあるからみたい。
ダンジョンから採掘、採集される希少資源は他では決して手に入らないものなんだって。
モンスターって存在もダンジョン内からしか出現しないらしいし……考えてみると謎だらけだ。
だから近隣にある商業国家のマティウス王国ってところからも、沢山の有名な商店が出張して商戦に参戦してたりするみたい。中でも『ポルタ家』っていう豪商が元締めのようで、そこの当主が度々視察に来るときとかは噂になったりする。
大物なんだなって、よく分からない僕は思うだけなんだけどね。
「……サーヤ、乾杯します?」
「中身お水だけど」
「それは言わないお約束ですよ。大事なのは気分です──では」
『乾杯!』
耳心地のいい音を杯同士で鳴らして水を口に含むと、不思議に蜂蜜酒を飲んでいる気がする。
場酔いだね、うん。
もしくはただ空しいだけだね。
それでも僕とエトナはうきうきしながら、向かい合わせで各々定食に手をつけ始める。
他と比べてどれだけ貧相でも、ご飯の時間は苦しい生活の中で数少ない娯楽なんだ。
ここは『フーファロの憩い場』。迷宮通りの中でも一番リーズナブルで、僕たちの行きつけのお店だ。
店内には比較的新しい装備を付けた、新人冒険者たちの姿が目立つ。
迷宮都市の新人の大部分はこの店に通うため、冒険者の登竜門って見做す人も多いそうだ。
店の名前は大陸の神話に登場する風神フーファロからとられてるらしい。彼の別名が豊穣との神のため、あやかっているのだろう。だからか周囲の飲食店にも『フーファロの』って言う枕詞の店名は結構多かったりするんだ。ちょっとややこしいから、店主さんの名前で区別してる。
みんな変な人だから覚えやすくて、良くも悪くも癖が強い。
たとえばこの『フーファロの憩い場』では……。
「嬢ちゃん二人、今日も頑張ってるかぁ!?」
「わわわわわぁ!?」
「『熱血さん』、いい加減サーヤをおどかすのは止めてください」
「ハハハハ、習慣になっててすまんなぁ! って、だぁれが『熱血さん』だぁ!」
ああう、心臓が飛び出るかと思ったよ……今更耳に手を当ててもジンジンするだけで意味ないや。
突然おどかしてきたのは、豪快に笑う丸刈りのおじさん。身長は百八十くらいで、大柄と言うより引き締まった身体をしているエプロン姿の中年男性。『フーファロの憩い場』の店主さんだ。
みんなからは『熱血さん』って呼ばれてる。
見た目も元気も暑苦しいからが主な理由らしい……僕もそれには同意するしかない。
ちなみに本人は『熱血さん』って呼ばれると喜んでくれるようだ。
ただ笑顔だけど怒鳴るから、僕としてはエトナに教えられるまで嫌がってるものだと思ってた。
初見でびっくりして以来、気に入られてしまったのか業務中にも熱血さんは僕たちの様子を窺いにくる。
そのたびに驚かしてきて、正直苦手な人だったりする……。
エトナは表情一つ変えないのがホントすごい。
こんな厳つい人に大声出されたら反射的にビクついてしまう。
「つっても、常連さんで面白ぇしよアンタらは! 俺としちゃあ期待の二人組なんだよ」
「私たち、一つも面白いことをした覚えはありませんが」
「そういうトコだよ、冒険者にゃなかなかいねぇきれーどころの一人が物怖じしねぇのと……」
え、何で僕にちらりと視線を向けてくるの!?
「……きれーどころのもう一人が、面白いくらいに反応してくれるからなぁ!!」
「ひぃ!」
「熱血さん。大声、禁止です」
「おっと、すまねぇすまねぇ」
やっぱりそんな扱いなのか!
よくよく周りを見渡してみると、店内のお客さんの目がこっち見てるし……!
へこむ僕を一瞥したエトナが、冷徹そのものな色の目で視線を寄越すお客さんを睨んでいく。
彼女の威嚇でだいぶみんな好奇の注目をすぐさま散らして、それぞれの会話へと戻っていった。
やっぱりエトナ怖いよね……。ちょこっとみんなにシンパシーを感じてしまう。
嘆息するとエトナは同様の温度の視線を熱血さんにももたげる。
「ただ茶化しに来たなら早く仕事に戻ってください。ほら、丁度そこに店員を呼ぶ客がいるでしょう」
「まぁ待て! それだけじゃねぇ……期待の新人二人に耳寄りな情報を持ってきてんだよ」
熱血さんは内緒話をする格好で、こちらに顔を突き出してくる。
それにも少し身体を退きながら僕は、興味を唆られた様子のエトナと一緒に顔を近づけた。
にやり、と熱血さんは口端を歪めて話し出す。
「実はな……最近迷宮に潜ってる新人たちの噂──噂っつっても信憑性はかなり高い奴──なんだが、一層、二層まで辺りの浅い階層で異常事態があってんだとよ」
「異常事態、ですか」
「ああ。なんでも出没する下級モンスターが貴重な財宝を装備して歩いてるんだと。物によっちゃあ、金貨十枚以上で取引される物品もぶら下げてるって話だ」
「そ、そんなことあるんですか!?」
驚きのあまり、大袈裟に聞き返してしまった。
一瞬後に気付いて、はっと再び見回すと店内は静まり返っている。
は、恥ずかしい……。
僕が肩身を狭めて項垂れ黙っていると、また徐々に賑やかさを取り戻していった。
ほっと胸を撫で下ろす僕を他所に、エトナが眉間に皺を寄せて懐疑的な声を上げる。
「……眉唾ものの話です」
「俺もそう思ったんだが……羽振りの良くなった新人は勿論、常連も口揃えてそのこと言うんだよ。実際に見せびらかしてる奴も二、三人じゃねぇ。その話を耳に入れて一攫千金を狙ってるのも少なくねぇし、本当に手に入れちまった奴もいるのは確かだ。まあ、迷宮に潜るときに頭の隅に留めてても良いんじゃねぇか? こっちの弱気な方の嬢ちゃんも気になるらしいしな!」
「ううう……」
熱血さんは気持ちよく笑って締め括る。
と言うか、僕は男だから『嬢ちゃん』じゃない……。
いつも訂正するんだけど、まともに取り合ってくれたことはない。
冗談だと流されてるんだろう。
無駄と知りつつも男宣言を口にしようと思ったとき、熱血さんは「そろそろ仕事に戻るかぁ! さっきから従業員の目が痛ぇ」と背後を気にし始めた。
そして僕たちに掌を見せると、熱血さんは踵を返す。
「気張れよルーキー二人! こっから一秒でも早く卒業して、勇ましく成長した姿を見せてくれよ!!」
陽気な声色を残して、熱血さんは厨房のほうに戻っていく。
明るい人だった。嵐みたいな人でもあったかな、と思う。
けれど思わず、熱血さんの別れ際の台詞で僕は俯いてしまった。
何度も何気ない言葉がリフレインして、ずきずき胸の辺りが傷んだ。
──『卒業』『成長』
悪気のある言葉じゃないんだろう。
ここは新人冒険者の登竜門。
大半の人たちは一年もしたらここから去っていく。
新人のための店を経営する『フーファロの憩い場』には『美味い』より『安い』料理しかない。
一年すれば収入が安定して他の店に流れていったり、冒険者稼業に見切りをつけたり、あるいは死んでしまったりして、必然的に客層が入れ替わる。
勿論、熱血さんの人柄とか店の新人たちが作る浮ついた雰囲気を好んで残留する人も少数ながらいる。
けれど九割以上の人たちは、店から姿を消すんだ。
熱血さんはそれを覚悟して──むしろ一期一会と新人の成長を喜んで──店を構えている。
それはすごく素敵なことだ。
熱血さんのことは苦手だけど嫌いじゃないのは、彼のそういう一本通ったところがあるからだ。
けど……現状の僕に、その言葉は重すぎた。
半年経って、僕は自分の実力の壁を感じている。
ダンジョンに出没する最下級モンスターの筆頭である『ゴブリン』を倒すのも精一杯。
二匹以上出てくると手に負えない。
一般的に『これからも冒険者稼業で食べていける人』はゴブリン退治に慣れるまで一ヶ月とかからない。
できない人は生き残れやしない。
いつか些細なトラブルで力不足が災いし命を落とすか、割の合わなさに転職するかの二択に迫られる。
残り半年程度で僕が『フーファロの憩い場』から卒業する未来は、全然想像もできない。
そして冒険者って職業に、僕の性質はまるで合ってない。
最近では貧血になることはなくなったけど、未だに血を見ると顔から血の気が引いてしまう。
暴力を振るうのも振るわれるのも好きじゃない。
才能も性格も。
男らしくない僕には何一つもないなんて、信じたくなかった。
「真贋はともかく、財宝の話は気にかかりますね。何か裏がありそうな予感が…………サーヤ?」
エトナの声。それでちょっと目が覚めた。
場酔いでも、酔って情緒不安定になってたみたいだ。
前向きに行かないといけないのに……そうじゃないと、僕に居場所なんかないんだから。
最後に一口だけ飲み込んだ水の味は、なんだかちょっと塩辛かった。