2 『僕達は最下級冒険者』
僕が拠点を置く、迷宮都市──その中心に位置する立派な門構えのギルド──の隣にある中級冒険者向けの宿──の隣の薄暗い路地。ドブネズミと埃、吐瀉物とカビの香りが仄かに漂う空間。
昼間でも日差しが届かないここには、激しい雨足もまた遠い。
そこの奥にひっそりと張ったテントが、僕たちの『家』だ。
「おかえりなさい、サーヤ……ずぶ濡れですね」
「ただいまエトナ。風邪引いちゃいそうだから、布貸して……」
「はいはい、分かってます。どうぞ」
ギルドで達成報告を終えてテントに戻ってくると、優しさと冷たさが半々の声音で出迎えてくれる。
面映ゆくなるくらい、可愛い女の子だ。
肩口で切られた鼠色の繊細な髪を些か揺らし、理知的なスカイブルーの瞳で僕を射抜く。
白い手足を継ぎ接ぎの長袖と短パンから覗かせている少女。身長は僕とよりも少し低いんだけど、殆ど変わらない──百五十センチほどかな。元の世界じゃ中学生ぐらいの幼い顔立ちで、大人しそうな小動物を想起する。けど初対面のときの彼女にしてみれば、僕が年上でしかも男という真実が信じられなかったらしい。失礼な話だよ、異世界に来ても扱いが変わらないなんて。
彼女の名前はエトナ・ボルカチオ。
異世界に転移してきた僕と一緒に冒険者を営む、僕の唯一の相棒だ。
彼女──エトナからボロ切れみたいなタオルを受け取ると、濡れていた髪や身体を拭き始める。
返り血を浴びた服は脱いで、小さなテントの端にきれいに折り畳まれたボロの服を着る。
最初の頃は女の子の前で着替えるなんて恥ずかしかったけど、今じゃ馴れたものだ。
「……サーヤ、あなたは男の子なんですから胸は隠さなくていいのでは……?」
半目でエトナが言ってきても、僕は僕で譲れないものがある。
堂々と胸を曝すのは……ちょっと、僕には心の準備とか色々足りない。
うん、男らしくないのはこういうところなのは自覚してる。
でも僕にはまだ早いもん。
「もん、じゃないですよ。全く。サーヤは全然男らしくないですね」
「え、口に出てた!?」
「いいえ。どうせサーヤのことだから──と、想像してみただけです」
冷静に頭を横に振るエトナ。
さとり妖怪みたいに心を読んでるみたいな的中度だ。
やっぱりエトナはすごい。
着替え終わったから、僕はその場に座る。
このテントに椅子はない。
当たり前のことだけど、この街の警邏隊にこの拠点が見つかると捕まってしまう。
椅子とかテーブルみたいな調度品は大きくて、急いで逃げるときに不便で置いていないんだ。
だから布越しにごつごつした石が、お尻を突いて痛い……。
「今日の稼ぎはどれほどですか?」
「……銅貨五枚」
「お疲れ様です、サーヤ。私の方は銅貨十三枚。今日もギリギリですね」
「うう、また負けた……」
「勝ち負けじゃありませんから。そう、気を落とさないで下さい」
ポンポンと肩を叩いてくれる。
なんだか慰められてるみたいで、釈然としない感じはすごくする。
僕の方が男なのに……。
街で取引される通貨は金貨、銀貨、銅貨の三種類だ。
金貨一枚で街の高級店でたらふく食べられるくらい。
銀貨一枚で僕らの行きつけの店で高い部類のメニューが頼めるくらい。
銅貨一枚じゃ特に何もできなくて、銅貨十枚でやっとまともな定食にありつけるぐらいの値段だ。
食べ物基準なのは僕が他のことに、あまりお金を使わないからだ。
武器を購入するだけの貯えもない。
服飾品も二束三文で売られる布切れを買って、縫い付けてるだけだったりする。
せっかく可愛いのに、エトナがお洒落できないのは……責任を感じる。
僕が差し出した銅貨五枚を手に取ったエトナは、テントの奥側で腰を下ろす。
五枚のうちの二枚を小型の壺に貯金して、残りを彼女の腰に巻いた雑嚢袋に放り込んでいる。
そして、深々と溜息をした。
「冒険者稼業も楽ではないですね」
「……ごめん。僕が不甲斐ないから……」
「謝らないでください。……職なしよりはマシです」
「それは、そうだけれど」
迷宮都市、或いはダンジョン都市。異世界の大陸でも唯一存在する、ダンジョンと呼ばれる謎多き地下施設を中心に作られた街のことだ。ダンジョンには未だに底を見せない程に地下深くまで階層があって、異形のモンスターや、未発見の植物や鉱物が眠っていていたりする。それの発掘採集、脱走したモンスターの盗伐、もしくは下層へ下層へと道を切り開いていくことを生業とする者がいた。
彼らは自らを冒険者と自称する。
様々なギルドという集団に属し、日々を生きていく荒くれ者の集まり……というのが、冒険者の一般的なイメージだろう。
半年ぐらい冒険者をしている僕も、まだそのイメージは晴れない。
異世界転移して、根無し草だった僕がありつける職が冒険者だけだったからなのだ。
どうしても粗野なノリに付いていけないところがある。
「……ずっと気になっていたんですが、その剣はどうかしたんですか」
じっとエトナが見つめるのは、僕が傍らに置いた、紺色の薄汚れた布に包んだ長物。
勿論これは、収穫物である黒い剣だ。
今まで僕が愛用していた、端々に血が残る直剣は抜身のままその隣に置いている。
わざわざ余った布で拾った剣を隠す真似をしていたのは単純な理屈だ。
僕みたいに弱そうな冒険者が、こんな立派な剣を持って歩いてたら襲われてしまう。
迷宮の都市の治安はお世辞にも良いとは言えない。
周囲を見渡すと、ごろつきや柄の悪い人たちが跋扈してる街なんだ。
だから常日頃からビクビクして表を歩かなくちゃなんだけど……。
「この剣はね。うん、実は……」
かくかくしかじか。
拙いながらの説明でも頻りに頷いてくれていたエトナは、あらかた僕の話が終わると。
「なるほど。盗みを働いたかと気が気でなかったのですが」
「そんなことしないよ!」
「冗談です、サーヤがそういう人でないことは知っていますから」
知ってるならからかわないでよ。
僕が頬を膨らませると、エトナは相好を崩して微笑んだ。
……信頼されてるのか、いじられてるのか分からなくなってきた……。
僕が混乱しているとき急にエトナは真面目な顔になって、その不思議な剣を手に取って見始めた。
「見る限り……ただの剣ではなさそうですね。放つ瘴気も尋常じゃありませんし……剣身には文字魔術の刻印が緻密に刻んでありますね。現代で研究している機関のカーディフ大学でも、ここまでの物があるかどうか……『失われた時代』の魔導具の類いの可能性も……」
ぶつぶつとよく分からないことを呟くエトナ。
見てるのは……剣の表面に楔形文字を思い起こさせるような文字がびっしり書き連ねてあるところかな?
魔術的な意味合いを持つ字らしいんだけど、僕とか普通の人は読めない。
とりあえず僕に読み取れることなんて一つだけで。
「つまり、この剣はすごいってこと?」
「平たく言えばそうですね。……魔剣、と呼ぶべき代物のようです」
魔剣。僕はその言葉の響きに、ずきゅーんと胸が打ち抜かれてしまう。
見た目が男っぽくなくたって、心はいつでも男なんだ。
特殊な剣に惹かれるのは男子たるもの嗜みだよね!
テンションが上がる僕を余所に、エトナは眉を寄せながら剣を検めている。
検分が終わると、僕に剣を返却してエトナは平坦なトーンのまま口を開いた。
「そうですね。不吉な予感もしますし、質に流しますか? 高値で引き取ってくれそうですけれど」
「い、いやいや! 死んじゃった人の物を質に売るなんてダメだよ!」
「それならば勝手に拾ってしまったのもどうかと」
それを言われると僕も弱いけど……っ!
僕は返された魔剣を胸に抱いて、エトナの冷気を含んだ視線に真正面から相対する。
……怖い。
「どうしてそんなに怯えるんですか……まぁ、いいです。こんな業物を墓標にしたままなのも剣が可哀想でしょう。私から何も言うことはありません」
「え……ホント?」
「本当です。──では、そろそろ晩御飯を食べに行きましょうか。奮発する余裕はありませんので、あと魔剣を持っていくのを忘れないでくださいね。ここに置いていたら盗まれますので」
「分かってるよ!」
僕の毎日の楽しみがご飯の時間だ。
思わずさっきとは一転して、大きな声で返事してしまう。
呆れ半分の顔をしているエトナと一緒に、僕たちは路地裏から出て行った。
──僕たちは最下級冒険者。
まともな拠点もないどころか、宿をとるお金もない。
英雄から程遠い位置にいた僕たちは、こうして日々を生きていた。