(7)
それから半年以上が経つ。
何か変わったかというと、変わったようで何も変わっていない。ニーナは相変わらず澪と仲良しで、毎週のように遊びに来る。たまに彼氏も交えておしゃべりしていることもあるくらいだ。
ああ、そう、変わったこともあったっけな。
――ニーナが俺の部屋に来なくなった。俺のところに愚痴りにくることもなくなった。ゴースト彼氏をやらされることもなくなった。けれども廊下ですれ違えば「よう、直」なんて気安く話しかけてくるし、あの日のことがまるでなかったかのようだ。ううん、その平和さが、あの日の存在をかえって主張していた。
あの日、ニーナを拒絶したのは俺だ。けれども俺は、机の奥底にしまった秘密を捨てられずにいた。もしかしたら、と思ったからだ。もしかしたら……そんな奇跡を信じたらいけないだろうか?
長い冬が終わり、澪が大学受験を終えて東京に引っ越すことになった。その引越し当日も、ニーナは我が家にやってきた。応対に出て、澪を呼ぼうか、と言ったら、ううん、とニーナは首を横に降った。
「澪にも会いに来たけど、今日はあんたとも話がしたい」
「うん?」
「あたし、ずっと澪のことが好きだった」
「知ってた」
「でしょうね」
ニーナはポケットから出した飴を口の中に放った。から、ころ、とニーナの口が可愛らしい音をたてている。
「何食ってんの」
「パイン飴」
「嫌いって言ってなかったっけ」
「嫌いよ。でも」
「でも?」
「これで最後、今日で全部思い出にしちゃおうと思って」
ニーナが目を伏せて、静かに笑った。それだけで、ニーナが大人になってしまったことを俺はひしひしと感じていた。もう、あの頃のニーナじゃない。なんだか絶望的な話だった。
「直」
「うん?」
「あのね」
ニーナが声を潜めるから、少しかがんで顔を近づけた。
するとニーナの手が伸びて、俺の後頭部をむんずと掴むと、俺の唇と自分のそれを重ねた。中学生みたいなキスだった。歯と歯がぶつかって、がちりと音をたてる。舌が唇を割って入り込んできて、びっくりして思わず口をあけたら、その隙間にパイン飴を押し込まれた。即座にニーナが離れていく。
「な、に、すんだよ……」
少女みたいに顔を赤らめて唇をおさえることしかできない。
パイン飴の、ニーナいわくぶりっこの味が口の中いっぱいに広がる。から、ころ、とこの場に似つかわしくない可愛らしい音がなる。
ニーナはしてやったり、というような幼げな笑みを浮かべた。
「お互い散々な初恋だったわね!」
俺はニーナの意図がわかって慌てた。
「おい、ニーナ」
話を終わらせるなよ。俺はまだお前に好きだって言ってないよ。自分だけわかったふりするんじゃねえよ。俺の思いを、勝手に“叶わなかった恋”にするんじゃねえよ。おい、ニーナ……。
「澪ー!」
ニーナが澪を呼ぶ。澪が返事をするのが聞こえる。
「何突っ立ってんのよ。これからあたし、澪と会うんだから、あんた、あっち行きなさいよ」
ニーナに追い返されて、俺はすごすごと部屋に退散した。
二人が別れを惜しむ甲高い声が俺の部屋にまで聞こえてくる。俺はパイン飴を噛み締めた。がりり、とパイン飴はくだけて口の中で散った。俺はパイン飴が粉々になって奥歯にへばりつくまでずっと噛み続けた。嗚咽がこみ上げてきたけれど、パイン味の唾液と一緒に飲み込んだ。
俺は鍵付きの引き出しの奥からニーナのブラジャーを取り出して、ゴミ箱に投げ捨てる。
この恋はいつか思い出となるのだろう。
けれども今はまだ、このパイン味のキスを忘れられない。
(作為的なパインの口づけ 完)
これで完結です。ありがとうございました。