第七話『謎の刀』
母がどうぞと勧めれば、少女は「いただきます」とはきはきとした声で言ってから、椀を手に持って食べ始める。
見覚えのあると思ってよく見たら、妹のワンピースを着ていた。確か、母方祖父からの贈り物だったような。
妹には派手なデザインだったようで、着ているのは一度しか見たことがない。
箪笥の肥やしになっていたので、母が貸したのだろう。
よく似合っているように見えた。
「勉もしっかり食べなさいね」
「あ、はい」
母に注意されて気付く。ごはんを食べないで、見慣れぬ客人に目を奪われていたことに。
真面目に朝食を食べることにした。
「お嬢さん、お代わりはいかが?」
「ありがとうございます」
美少女はご飯をお代わりしていた。うちの妹は小食なので、びっくりしてしまう。
たくさん食べられるのはいいことだ。
食事が終わってお茶が運ばれる。
時刻は七時二十分。そろそろ学校にいかなくてはならないが、あと少しだけ大丈夫だろう。
父が話を始める。
「――まず、自己紹介をしましょう」
まず初めに、頭に撒いていたタオルを取り去る。
中から狐の耳がぴょこんと出て来た。
少女は父の異様な姿を見ても、驚いた様子はない。
「私の名は水主村翼と申します」
四十八歳、七ツ星神社の宮司をしている者だと、自らを名乗る。作務衣姿の父は全く神職者に見えなかった。
本人にも自覚があるのか、名刺はどこにやったのかと懐を探り出す。
結局名刺は見つからなかったようだ。
次に母、俺と紹介していった。今は居ない妹と、庭で飼っている柴犬のモチを紹介する。
今度は少女の番となった。
「それで、お名前を聞かせて頂きたいのですが――」
「私は『宇迦之御魂神』に仕える葛葉三狐と申します」
「あ!!」
中断される自己紹介だったが、叫ばずにはいられなかった。
今になってようやく気付く。彼女があの『ミケさん』だということに。
念のために確認をする。
「ミケツって、あの、ミケさん!?」
「はい」
「狐の像の?」
「はい」
良かった! 本当に良かった。
狐像はあやかしに盗まれた訳ではなかったのだ。
ホッとして、胸を撫で下ろす。
しかしながら、中年の父に狐耳があって、美少女系神使のミケさんに狐耳がないなんて、おかしな状況としか言いようがない。
世の中不思議なことだらけだと思った。
「話を戻していいかな?」
話を中断させたことを一度謝ってから、どうぞどうぞと勧める。
「あなたは、本当に父、稲五郎の片割れの狐で――」
「イネゴロウ?」
「はい。狐の神使だったという、父の名です」
「あれは、イネゴロウではありません。真名は狐鉄。東雲狐鉄です」
「あ、左様でございましたか」
今更明らかになる祖父の本名。
狐に鉄と書いて『こてつ』と書くらしい。
稲五郎は自分で適当に名乗ったものなのか。五穀豊穣を司る神に仕える神使っぽい名前ではあるけれど。
「イネゴロウは私の対となる神使で間違いありません」
また、大八島国――つまり日本から祖父の存在が消えてしまったと言っていた。
「では、父さんの魂はここにはないのでしょうか?」
「狐鉄は神の意に反しました。もしかすれば、魂を砕かれてしまったのかもしれません」
「な、なんと!」
神の使いが人前に出ることは本来あり得ないことだと言っていた。
ミケさんの場合は、結界の力だけではあやかしを封じることが出来なかったので、神様より授かった人型に魂を移した。緊急事態のみに許される対応らしい。
「あの、結界とは?」
「狐鉄の消失をきっかけに、この土地の結界が壊れてしまいました」
祖父さんとミケさんは、この地を守る結界の大きな拠点だった。
それがなくなり、自由に動き回れるようになったあやかしが、更なる自由を得ようとして神社を襲っているという。
「あの、宇迦之御魂神はなんと?」
「それが――」
宇迦之御魂神、稲荷神と言えば分かりやすいのか。うちの神社で祀る主祭神である。
今回の事件に対し、神様はどう思っているのかと父が聞いていたが、なんでも連絡がつかないと、申し訳なさそうにミケさんは話す。
まあ、無理もない。
稲荷神社は全国に三万社以上あると言われていた。
それだけ数があれば、神様も問題を捌ききれないのかもしれない。
……と思っていたけれど、そうではないらしい。なんでも祖父が神使を止めてから、神様との繋がりも薄くなったと。これは祖父さんが悪いというか、なんというか。
でも、祖父と祖母の出会いがなかったら自分達はこの世に存在しない。
複雑な話である。
一番の問題は結界だとミケさんは言う。
「あの、葛葉様、結界というのは、どうやって修繕すればいいのでしょう?」
「……」
ミケさんは明後日の方向を見る。
多分、あれは知らない顔だ。
つまり、自分達で調べてなんとかするしかないということである。
「なんだか、父が申し訳ないとしか」
「いいえ、構いません」
祖父がミケさんの前でいつも泣きそうになっていた訳を知ったような気がする。
きっと、大きな罪悪感を覚えていたのだろう。
俺が像磨きを始めたのは、祖父があまりにも辛そうだったからだ。
事情を知れば、納得するしかない。
「こちらも、謝らなければならないようです」
「と、言うと?」
「私自身、完璧な状態ではありません」
七ツ星神社の神使は二人で一つというか、共に存在することによって最大の力が出るようになっているらしい。他の神使はどうだか謎らしいが。
祖父さんが祖母さんを助けようと暴走し、人として暮らし始めた結果、ミケさんにまで影響を及ぼしていると言う。
「私は記憶が不完全です。基本的な神具――禁縄の使い方ですら、忘却していました。神力も、半分あるか、ないか……」
なんとなく勘で使ったら、案外上手く扱えたらしい。
うんうん大変だと頷きながら話を聞いていれば、突然名を呼ばれた。
「とむ」
「!」
びっくりした。
「とむ」って、祖父さんが呼んでいたから、それを覚えてしまったのだろうか?
肩をびくりと震わせるという、過剰な反応をしてしまったので、ミケさんは首を傾げながら、こちらを見ていた。
「あなたがとむ、で間違いないですよね?」
「は、はい、わたしはとむです」
……なんだが中学の英語の教科書みたいなやり取りをしてしまった。
それはいいとして。
ミケさんは助かったとお礼をいってくれた。
「いや、助けてくれたのは、ミケさんで」
「いいえ。とむが拝殿の鈴を鳴らしてくれなかったら、私はあやかしに敗れていました」
ミケさんはまっすぐな目で見てくるので、恥ずかしくなってしまう。
だけど、それと同時にとんでもないものを見てしまった。
壁掛け時計。
現在の時刻、七時五十分。
「うわ、遅刻じゃん!」
慌てて立ち上がり、鞄を掴んだ。
「待ちなさい、勉。父さんが車で送ってやろう」
「助かる!」
父と二人、玄関へダッシュ。後から追って来た母が弁当箱を渡してくれた。
「母さん、葛葉様のこと、頼んだぞ」
「はい、わかりました」
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
母の見送りを受けながら、ワタワタしつつ学校に行った。
体操服を忘れたけれど、ジャージがロッカーに置いてあったので、助かった。
母から体操服を持って来るかというメールがお昼時にやってくる。
微妙に遅い支援連絡だった。
◇◇◇
帰りはバスで帰った。家に帰ろうか神社に行こうか迷う。
明日は数学の小テストがあると言っていたから勉強をしたい。
でも、なんだか神社の様子も気になったので、途中下車して寄ってみることにした。
鳥居の前の狐像は両方とも台だけになっていた。なんだか寂しい気がする。
ミケさんは家に居るからいいけど。
神社に行く前に、像を洗わなくてもいいというのは不思議な感じだ。
鳥居の前で会釈だけして、参道を歩いて行く。
手と口は手水舎で清めた。
偶然、社務所から出てくる父と鉢合わせをすることになった。
「おお、勉か。おかえりなさい」
「ただいま」
父の後ろにはミケさんが居た。
「ちょうどよかった。今から奉納されている刀を見に行こうとしていたんだ」
「へえ」
なんでも、あやかしに対抗出来る神具を探していたらしい。
うちの神社にあるのは、室町時代後期に作られたものだとか。
お祭りの時とか、たまに公開している。
「なんだか、最近流行っているみたいだねえ」
「何が?」
「日本刀。この前の祭りの時に、若い娘さんが嬉しそうに刀を見に来ていて……」
日本刀のブームはちょっとだけ聞いたことがあったけど、詳しい訳じゃないので適当に流しておく。
向かう先は奉納された品を保管する神庫。
今までは半年に一度、大掃除と品目確認がある場所だという認識であった。
父が鍵を開き、中へと入る。
刀は桐の箱に収められていた。
箱の中から白く長い日本刀が出てくる。
「葛葉様、こちらが左矢川八之丞作、名物『永久の花つ月』でございます」
名物と付くのは特に優れた刀のことを言うらしい。
「同じ古代の刀で『天下五剣』と呼ばれる五振の名刀がありますが、『永久の花つ月』も負けずとも劣らない刀であると、私は思っています」
ちょっと引っかかる説明があったので、突っ込んでみる。
「あれ、天下五剣ってすごい刀の代表とかじゃなかったっけ?」
「そうだとも」
スマホで天下五剣情報を調べたら、天下五剣は国宝とか重要文化財とか、皇室の私物とか、とんでない刀であることが発覚した。
そんな有名刀と張り合おうとしているなんて、恐ろしいことを……。
なんでも、木箱の裏に天下一品であると綴られていたとか。それを信じているみたいだった。
「見て下さい。とても美しい刀でしょう」
父は自慢げに言っていた。
永久の花つ月は柄も鞘も鍔も白い刀だ。刀身は一体どうなっているのか。
ミケさんは鞘を手に取り、持ち上げる。
……なんだかスイっと持ち上がったような?
彼女が力持ちなのか、刀自身が軽いのか。父も疑問に思ったようで、質問をしていた。
「葛葉様、そちらの品、重たくないですか?」
「いいえ、まったく」
大人二人がかりで持たなければならない程、重たい刀だと父は言っていた。
そもそも、そんな刀なんか存在するのか?
「ミケさん、ちょっと持たせ――」
「こら!」
父よりミケさんと気軽に呼ぶなと注意される。
「別に、みけで構いません」
「ですが」
「昔から、とむは私をみけと呼んでいました」
「左様でございましたか」
「ああいう風におっしゃっているが、失礼のないように」、と耳打ちされる。
あと、刀を持たせてもらったけれど、めちゃくちゃ重かった。地面に落とす寸前で、ミケさんが支えてくれて、難を逃れることに。
大きさは一メートルちょっとくらい。太刀と呼ばれる品らしい。
多分だけど、持った感じで三十キロ以上はあったような気がする。
「刀って、こんなに重いもの?」
「どうだろうか。私も詳しくはないから」
あとで調べてみようと思った。
「こちらの刀、問題がありまして……」
鞘から刃を抜くことが出来ないらしい。昔、何度か祖父さんが挑戦していたとか。父は神聖な刀に触れることすら恐れ多いと、展示で出し入れする以外はノータッチ対応だった。
それにしても抜けない刀とは。なんだか怪しい。
「ミケさん、これ、呪われているとか、そんなことない?」
「いいえ、大丈夫です」
「だったらいいけど」
一度抜いてみますミケさんは言い、くるりと刀を回して腰の位置に付けた。
親指で剣の鍔を押し上げ、すらりと抜ける、と思いきや――。
「……?」
ぐっと鞘を握り、柄を引こうとしていたが、なかなか離れない。
「も、もしかして、抜けない?」
「みたいですね」
あっさりと認めるミケさん。
どうやら神の使いにも永久の花つ月は抜けないようだった。
対あやかし戦で役立ちそうな武器であったが、残念ながら使えそうにないことが発覚した。