第二十一話 最後の戦い
漆黒の髪は夜よりも暗く、吊り上がった目には朱が差してある。褐色の肌に宝冠を被り、身にまとうのは金細工の宝飾品のみ。
美しい女性の形を取っているが、その実態は残酷な夜叉そのもの。
あれがダキニ天──白狐を従え、俺達をじっと睨みつけていた。
『お主ら、我が神域に、何をしにきたのだ?』
それは、艶やかで低い女性の声。
声を発しただけで空気が震える。俺は耐えきれず、その場に膝を突く。
母は紘子を抱きしめ、衝撃に耐えていた。
ミケさんは、厳しい面持ちでダキニ天を見据えている。
『やはり、お前達は我の脅威となったか』
「な、何を──?」
『邪魔するのであれば、滅ぼすのみ!』
ダキニ天が何か呪文のようなものを唱えると、彼岸花が燃えて辺り一面火の海となった。
「なっ!? あ、熱い!」
「とむ、これは幻覚の妖術です! 騙されないでください」
「ええ、これ、幻の火なの!?」
「そうです!」
騙されるなというが、火はきちんと熱さを感じる。
精神系を侵され、そこにないはずのものをあると信じ込ませる力があるのだろう。
ダキニ天は妖術で俺達を惑わすだけでなく、眷属の狐もけしかけてきた。
五メートルほどある、巨大狐である。いきなり俺のほうへ突進してきたが、寸前で避けた。
「どわ!!」
「とむ!」
ミケさんは俺に手を伸ばすが、彼岸花から巻きあがった炎が蛇の姿をもって阻む。
「くうっ!」
母は紘子を抱きしめ、祝詞のようなものをブツブツと唱えていた。そのおかげか、母の周囲からじわじわと火が消えてなくなっている。
さすが、水主村家の大巫女だ。父さんなんかよりも、ずっと頼りになる。
紘子はじっと、ダキニ天を睨みつけていた。
この状態でダキニ天を睨むことができるなんて、我が妹ながらメンタル強い。
大狐はミケさんにも攻撃をしかける。
ミケさんが禁縄を取り出し、鞭のようにしならせて大狐を叩いた。
『ぎゃうん!』
ミケさんの攻撃は効いていた。しかし、大狐が『コーーン!』と高く鳴くと、ミケさんの手にあった禁縄はパン! と音を鳴らして弾けた。
「やはり、あの大狐相手では、禁縄ではダメでしたか。こうなれば──とむ!」
「は、はい!」
「永久の花ツ月を抜きます」
「あ、はい!」
巻きあがる火を避けながら、ミケさんに近づく。
ミケさんが柄を持ち、俺が鞘を持って一気に引き抜いた。
刃のない刀が抜ける。
ここからが本番だ。
「とむ、心の準備はいいですか?」
「あんまりできていないけれど、どうぞと言うしかないよね」
「では、いきますよ」
「これ、何回されても慣れないなあ……」
ミケさんは俺の胸に柄を当てる。すると、胸がドクンと高鳴った。
魂が活性化されているのだろうか。なんだかムズムズしてくる。
ミケさんは俺の胸に当てていた柄を引いた。すると、俺の魂が刀となって現れる。
同時に、俺の肉体はその場に力なく倒れてしまった。
「兄さん!!」
紘子が驚いて、駆け寄ってくる。そういえば、紘子には永久の花ツ月について話してなかったような。
『紘子、大丈夫だ』
「!?」
霊体になった姿で話しかけると、紘子はぎょっとして俺を見た。
「きゃあああ!!」
紘子は叫び、手元にあった禁縄を俺に投げつけてくる。
『うわっ、危なっ!!』
あれが当たったら、昇天してしまう。なんて危ないことをしてくれるのか。
「紘子、大丈夫よ。お兄ちゃんは、すぐにもとに戻るから」
母は紘子に駆け寄り、抱きしめて落ち着かせる。
紘子は手負いの獣のように、フーフー唸りながら霊体の俺を睨んでいた。
「勉、たぶん、紘子にはあなたのことが白い靄にしか見えていないの。声も、きっと届いていないから」
『な、なるほどね』
だったら、恐ろしくもなるだろう。
ミケさんは永久の花ツ月を揮い、大狐と戦っている。
神刀で弧を描くように動かすと、彼岸花の炎が消えた。
戦うのと同時に、この場を浄化しているのだろう。
だんだんと、大狐を追い詰めていく。
あと少しで勝てるというところまでいったが、ダキニ天が待ったをかけた。
『もうよい。戻れ』
大狐は二、三歩跳ねて後退し、蒸発するように姿を消した。
彼岸花もなくなり、ただの平原となる。
ミケさんはダキニ天に、永久の花ツ月の切っ先を向けた。
神様に、そんなことなどしてもいいものなのか。
ドキドキしながら見守る。
『持ってきた魂は、死する運命だった。しかし、それが覆り、生の道を歩み始めた』
生と死は天秤のように水平を保っていて、ちょっとしたことがきっかけで生が死に傾く。
ただ、一度死に傾いた天秤は覆らない。
『あの少年は、一度死に傾いた天秤を、生へ戻した。そんなことなど、ありえない。何かの間違いだ。だから、魂を直接抜いて持ち去ることにした』
「勝手なことを──!」
『勝手なことをしたのは、お主らのほうだ。あの魂を見守っていたのは我らなのに、嗅ぎまわりよって』
修二は十八歳の誕生日になる前に死ぬ。生まれた時から、決まっていた運命だったらしい。
しかし、ミケさんという、神でもあやかしでもない存在が介入することによって、修二の運命は変わってしまったのだとか。
『予定通り、この魂は我が喰らう』
『や、やめてください!!』
ダキニ天のもとへと駆け、平伏する。
『ダキニ天、どうか、見逃してくれませんか? 大事な、友達なんです!』
『ならぬ!』
『俺の寿命が尽きたあとの魂を食べていいので、どうか、修二の魂は食べないでください!』
『ほう? 自らの魂を捧げると?』
『あの、今すぐではなく、寿命がきたあとの魂ですが』
「とむ、ダメです! そんなこと」
『でも、他に捧げられるものなんてないから』
あと、ダキニ天のお寺を復活させることも約束した。
たぶん、お祖父さんに相談したら、なんとかしてくれるだろう。
『ダメですか?』
『ふむ……そうだな』
『誠心誠意、お祀りしますので。どうか、どうか、どうか!』
地面に額を付け、懇願する。
「お願いいたします!」
『まあ、そこまで言うのならば、赦してやろう』
『あ、ありがとうございます!!』
ダキニ天は手の中にあった修二の魂を解放させる。ふよふよと漂う魂は、修二の体に戻った。
ダキニ天も、姿を消すようだ。
竜巻のような炎が舞い上がり、塵の一つも残さなかった。
『これで……無事に解決?』
「ええ。とむ、よく、頑張りましたね」
『うん。ミケさんやみんなの協力のおかげと言うか』
「でも、ダキニ天に魂を捧げるなんて」
『そう言わなきゃ、修二を助けることはできなかったし』
そう言った瞬間、母のスマホが鳴る。
「はい、もしもし? あ、お父さん?」
父から電話があったようだ。
「え、修二君、意識が回復したって? それに、快方に向かっていると?」
どうやら、修二の魂は無事、自分の体に戻ったようだ。
ホッとしたのも束の間のこと。
「さて、とむの魂も、体に戻さなきゃいけませんね」
『あ、うん』
俺の魂から構成されている永久の花ツ月を、体に戻す。それは、体に刀を突き刺すという、心穏やかになれない方法を取るのだ。
痛くはないが、体に刀を突き刺すというのは何回やっても慣れない。
「とむ、いきますよ!」
『ううう、やだな~、怖いな~』
「では!」
『はうっ!』
俺の体に刀を突き刺す際、紘子までも悲鳴を上げたのは言うまでもなかった。
◇◇◇
一ヵ月後、修二は退院した。すっかり元気になり、今日も朝から俺を迎えにくる。
「おーい、トム、学校行こうぜ!」
「おう!」
部活にも復活したようで、放課後は元気にサッカーボールを追いかけている姿を見ることができた。
最近、紘子ともよく話すようになったようで、ニヤニヤしながら見守っている。
「なあ、トム」
「ん?」
「ありがとうな」
「なんのお礼?」
「なんとなく」
「変な奴だな」
「いや、夢の中で、トムがずっと俺のために化け物と戦っていてさ。俺も負けるわけにはいかないって、闘病中も気持ちを強く持てたのかもしれない」
「そっか」
蝉の鳴き声が聞こえる。
もうすぐ、夏の真っ盛りになるのだろう。
まだ朝なのに、じりじりとした太陽が照りつけていた。
「暑い」
「本当に。なあトム、放課後、かき氷食いに行こうか」
「いいねえ」
俺達は何気ない日常を取り戻す。
こうして修二と一緒に登校できることを、心から嬉しく思った。




