第四話『あやかしとは?』
『あやかし』、物の怪や妖怪と言った方が分かりやすいのか。小さい頃、修二といたずらをすれば、祖父さんに「あやかしに連れて行かれるぞ!」と怒られていたものだ。
「あやかしとか、神道の言い伝えって昔ばなしとか、物語の中での話なんじゃ?」
「いや、昔から不思議なことは多々あった」
まず祖父の存在自体が摩訶不思議だったらしい。
「母さん、勉のお祖母さんから口止めされていたんだが……」
「祖母さんが?」
父の知る不思議なこととは、祖父と祖母の出会いらしい。
「父さんは神社の鳥居の前に倒れていたんだ」
「それのどこが不思議?」
「巫女装束で」
「それはただの変態なんじゃ……」
常識を逸した祖父の格好はさておき、その当時、梅雨の時期だった。
記録的な集中豪雨に見舞われ、地盤の緩みによる災害が至る場所で発生している状態だったらしい。
これは神の祟りだと、当時の宮司であった曾祖父は判断していた。
「神様にも二面性があることは知っているね?」
「荒魂と、和魂、だっけ」
「そう」
荒魂は厄病を広げ、人の心を荒んだものにさせる。
和魂は自然に恵みを与え、人の心を優しく和ませる。
全ての荒魂が悪いものというわけではない。荒魂を持って戦場で活躍し、和魂を持って聖上に仕える伝承なども残っている。
同じ神様でも、様々な面があるのだ。
「それで?」
「ああ、話が逸れてしまったね」
なんらかの理由があり、神様の魂は荒れてしまった。
故に、土地に厄災が降りかかってきたと。
神社では神の魂を沈めようと、連日に渡って儀式が執り行われていた。
一家総出で夜通しご祈祷を奏上し、鎮魂の神楽を舞った。
だが、祈りは神に届かなかった。
そんな中で、巫女装束の祖父が現れた。
「外は土砂降り。神社の中はてんやわんや。父さんのおかしな格好を気にしている場合じゃなかったんだ」
鳥居の前で倒れていた祖父を、食事を持って来るために行き来していた祖母が発見し、保護した。
「父は母にだけ、自分は神の使いだと話していたらしい」
祖父は神を沈めるので、祝詞を読ませてくれと、宮司をしていた曾祖父に土下座をして頼んだと言う。
他人に祈祷をさせるわけにはいかないと、曾祖父は激怒した。
けれど、三日三晩儀式をしていて声は枯れ、疲労困憊状態だった。
最終的に曾祖父が折れ、祖父は神の怒りを鎮める『まつり』を行うことになる。
「それで、儀式は大成功。バケツをひっくり返したような雨は、ぴたりと止まった」
曾祖父は深い感謝をし、行くあてのなかった祖父を家に置くことになった。
そして、祖父と祖母はいろいろあって結婚をしたと。
「……昔から、父と居る時に、おかしな現象を目の当たりにすることがあった」
だから今回の事件も、不思議の中の一つ、『あやかし』の仕業であると父は考える。
「信じがたい話かもしれないが」
確かに、信じがたい話だ。
そんな奇跡、ありうるのかと思ってしまう。
でも、俺は昨晩、見た。
あれは、本当に夢ではなかったのかもしれない。
どうしようか迷ったが、話してみることにした。
「そうか、そんな夢を……」
一応、夢であったことを強調しながら語る。
父は神社を荒らしたのは、やはりあやかしの仕業であったとだと、断定するような言葉を呟いていた。
「父さん、そもそもあやかしってなんなんだ?」
祖父の昔ばなしから恐ろしいものという認識はある。
けれど、その正体について詳しく知るわけではなかった。
「あやかしを簡単に言えば、ありとあらゆる不思議なことに名前を付けたものと言えばいいのかな」
目には見えない非科学的な現象を『あやかし』と呼ぶらしい。
父は今まであやかしを見たことがないと話す。
「世界に存在する全てのものには、魂が宿っている」
地面に転がる石ころ、神社に生える大木に、地面に生える草。
全ての物に魂が宿り、個々は意志を持っている。
「良き存在は神として祀られ、悪き存在はあやかしとして世の中から切り捨てられた」
忌み嫌われたあやかしは、人々の負の感情を糧とし、小さな厄災を連れてくる。
世の中の悪い現象全ての原因を押し付けられた、哀れな存在でもあるという。
「神社はあやかしから土地や人を守る役目もあった」
七ツ星神社は人と神が交流出来るような場として建てられた。
だがそれ以外にも、結界の要となっていたという言い伝えもあるらしい。
「父さんは死に際に自分を神社の神の使いだと言っていた」
祖父さんが居なくなって、神社の結界が薄くなり、土地に住むあやかしが猛威を振るっていると言うのだろうか。
「一体、どうすれば……」
「今晩、ここで寝ずの番をしてみようと思う」
大丈夫なのか、それは……。
まあ、父はそこそこ場数を踏んでいる神主だし、狐耳もある。
なんらかの力が宿っているような気がした。
「もしもあやかしに襲われたら、どうやってやっつけるんだ?」
「それは――ひたすら祓詞を奏上して鎮めるしかないだろう」
「……」
なんか、テレビで見た陰陽師的なものを期待したけれど、やることは普段していることと変わらないらしい。
「神道と陰陽道を同一視しないでくれ」
「分かっているって」
陰陽道は古代中国の思想を元にして、仏教や神道、道教の教えを取り入れつつ始まったものらしい。
陰陽師は国家や個人の禍福や吉凶を占い、それに対応する術を施す祈祷者のことを呼ぶ。詳しくはよく知らない。
一方で神道は古代日本の始まりを辿るもので、暮らしの中から生まれたものだと言われている。
神主は様々な祭儀を行い、神社の統括をしている者達のことを呼ぶ。
この辺はよく混同されるとか。
まあ、それはいいとして。
温厚な父であったが、今回の事件は怒りを覚えているようだった。
眉間に皺を寄せ、厳しい顔で言う。
「これ以上、ここを荒すのは許さない」
先祖代々守ってきた神社だ。父は責任を感じているみたいだった。
夜が明けるまで、ここで見張りをしていると言う。
「今日は家に帰らない」
「じゃ、母さんに言ってくる」
「白の正装を持って来てくれ」
「了解」
正装とは大きなまつりを行う際に纏う服装だ。
神道で言うまつりとは、神に酒や食べ物を捧げる意味合いの『奉り』に、神が降りてくるのを『待つ』ということ、神に仕えるという意味の『祀らう』。様々な意味を含め、総じて『まつり』と呼ぶ。
人は神様にお仕えすることにより、大きな力を受けることを可能とするのだ。
まつりは神道でもっとも重要なものだと言える。
儀式の格好はテレビでよく見る陰陽師っぽいものと言えば分かりやすい。
今回は特に清浄を目的とする際に着る、白の特別な服を持って来るように命じられた。
家に帰って母に軽く事情を説明すれば、冷静に服を準備して夕食を作り始めた。
父のために、三段重ねの弁当を作る。
下の段はいなり、真ん中は煮物、上の段は卵焼きにからあげ、プチトマト、ウィンナーと、父の好物ばかり詰められていた。
白の正装と弁当を持って神社に行った。
「母さんが気を付けてって言ってた」
「ああ、心配いらない」
父には先祖代々受け継いできた大祓詞がある。
社務所にある風呂を浴び、身を清め、白の正装を纏った父の姿は頼もしく見えた。
母の弁当を手に、神社は任せてくれと、しっかり力強く頷いていた。
参道を降りて、鳥居の前の狐像の前に立つ。
今日は像を洗っていなかったので、綺麗にしてから帰ることにした。
ミケさんにも、父のことをよろしくと頼んでおいた。それから、あやかしが出るので気を付けるようにとも。
普段なら声に出して話し掛けるなんてことはしないのに、なんだか胸騒ぎが治まらなかったのだ。
言葉に出して言えば安心するかと思ったけれど、効果はいまいちだった。
夕日を背にしながら、真っ赤に染まった道を自転車で漕いで行く。
辺りは平和にしか見えない。
夜になってあやかしが徘徊して回るなんて、誰が思うだろうか。
玄関先で妹と会った。
名前は紘子。中学二年生。
ここから電車で離れた私立の学校に通っている。
最近、クールな性格の妹と何を話したらいいのか分からなくなってしまった。
小さい頃は大人しい子だった。神社でも修二と三人で遊んでいたような気もする。
でも、中学に上がってから、なんだか近寄りがたくなってしまった。
異性の兄妹とはそういうものだと、母が言っていた。
「尻尾、大丈夫?」
「なんとか」
紘子は狐の尻尾が生えた。
幸い、学校のスカートは長く、なんとか隠れているらしい。
見た感じ、ボリュームのある尻尾を隠し持っているようには見えなかった。
ふと、半そで短パンで行う体育の授業はどうしているのかと気になって聞いてみる。
「体育の授業とかどうしてんの?」
「先生が、診断書を」
「ああ、そっか」
なるほど、なるほど。
その辺も上手い具合に手を打っているようだ。
でも、尻尾が生えてショックだっただろうなと思う。
「気にするな」なんて、軽い言葉は励ましにもならない。
そんな風に考えごとをしているうちに、紘子は家の中に入って行ってしまった。
難しいお年頃ってやつである。