第三話『事件勃発』
授業が終わったらさっさと帰宅する。
家の手伝いをしているので、部活はしていない。
修二のやっている野球にまったく心は惹かれない、と言えば嘘になる。父も母も、部活をすることに反対はしていなかった。
でも、俺は部活動よりも、家に帰って神社の手伝いをすることの方が重要だった。
祖父さんが用意していた、ご褒美の駄菓子の力も大きかったのかもしれない。
そんな訳で、神社の手伝いをすることは俺の中でライフワークとなっていた。
途中、おつかいを頼まれていたことを思い出す。
白菜と豚肉と椎茸だったか。帰り道にあるスーパーで買い、残ったお金でパンを二つ購入。この時間になるとどうにも腹が空いてしまうのだ。
家に帰って買い物を母に渡した。
そのまま神社に行くと言えば、二段の重箱を手渡される。
「何、これ?」
「桜餅。みんなで食べてね」
スコーンとかクッキーを焼きそうな容姿をしている母であるが、中身は生粋の日本人だ。結婚前の氏名はエミリー・マカリスター。
総本家であるマカリスター家はイギリスに本社を置く、大手の製菓会社らしい。
何故かうちの市に支社があり、その関係で昔から付き合いがあったとか。
一族はたいそうな日本マニアで、親戚は神社を目当てにやって来る。なんていうか、セレブって感じで、住む世界が違う人達だなという印象しかない。
この辺の地域はマカリスター製菓の工場があるお蔭で大きく発展した。近くに空港はあるし、大きなショッピングモールもある。田舎町だけど、住みやすい場所なのだ。
お年寄りはマカリスター家に対し、一目置いている。曾祖父の代でも異国人の血を入れることに抵抗はなかったらしい。
一方で支社長の娘として育った母は、慎ましい家庭環境で育つ。
日本マニアの両親の教育で母はどこの誰よりも大和撫子である、というのは祖父の口癖だった。
その言葉の通り、母は日本料理が得意で、普段から自分で着付けた着物を纏うという、古風な日本人の暮らしをしていた。他の家の母親も、家では着物を着ている物だと思っていたから、修二から違うと聞かされた時は驚いたものだった。
「夜ご飯はお鍋だから、お父さんに言っておいてね」
「分かった」
どうせ神社で着替えるので、制服のままで行く。
手と口を水で清め、鳥居の前でお辞儀。
狐像に葉が付いていたので手で払う。
階段を駆け上がれば、参拝客がちらほらと。
父は箒で落ち葉掃きをしていた。ただいまと言いながらおはぎの重箱を見せ、休憩にすればと声を掛ける。
社務所には参拝客の対応をしてくれる二人の巫女さんが居た。
お守りの授与所などに誰か来れば声を掛けるだろうと思い、四人で桜餅を戴くことにする。
「エミリーさんの桜餅、とっても美味しいですね」
桜餅を食べたあと、感想を言っているのは三年前からうちの神社で巫女をしている瀬上さん。貫禄があるお姉さんだ。
「ええ、あの金髪碧眼の奥様が、桜餅を作るなんて、とっても意外です」
隣で頷いているのは、新しい巫女の野中さん。若い人だなと思っていたら、大学生らしい。
桜餅を二個食べたあと、スーパーで買ったパンを食べた。
腹ごしらえ完了。仕事着に着替える。纏うのは白い袴。
階位によって、纏う袴の色も変わってくる。
神主見習いは白、その上が浅葱、紫紋無し→紫紋有り→紫に濃い藤紋→白地に藤紋と、階級が上にいけば袴の色などが変わっていく。
着替えを手早く済ませてから、神社の掃除を始めた。
神主の仕事の中でも一番の基本となり、重要なものとなるのは神社の清掃だ。
ここは神を祀る場所であるので、綺麗な状態を保たなければならない。
参拝者にも気持ちよくお参りしてもらわなければならないので、しっかりと気合を入れて掃除をする。
十八時になれば神社の参拝時間は終了。仕上げの清掃を行う。
最後に神様へ夕拝を行う。それが終われば、神殿を閉めて一日の仕事は終わり。
巫女さん達を見送った父は振り返って言う。
「さて、勉、帰るか!」
夕食は何かなと言いながら自転車に跨る父。
……やばい。夕食の伝言を言うのを忘れていた。
◇◇◇
その日の晩は夢見が悪かった。
何か分からない黒い存在が神社を荒らしている夢で、鳥居は引っ掻かれ、賽銭箱は壊され、中身が抜かれる。参拝時に鳴らす鈴と鈴緒は地面に落ちていた。
夢なのに、とても寒かった。一月から二月の、冬真っ盛りの中に居るような。全身の震えが止まらない。
目の前には、何かがうごめいていた。その黒く大きな生き物が、こちらを振り返る。
赤い目が、ぎょろりと不気味に光っていた。
あれは一体なんの生き物なのか。熊でもない、猪でもない、初めて見る異様な生き物。
そいつが、長く大きな爪を振り上げてくる。
悲鳴なんか出てこない。
ここから逃げなければと、必死になって階段の方へ駆けて行った。
鳥居を抜ければ、狐の神使像がある場所へ辿り着く。
俺はどうしてか、必死になって狐の像に語りかけていた。
早く逃げた方がいいと。
そこで、景色は暗転する。
体をビクリと震わせ、目を覚ますことになった。
酷い夢だった。
額には汗がびっしりと浮かんでいる。
スマホで時間を確認すれば、まだ夜の二時だった。
丑三つ時だからか、このような夢を見てしまったのだろう。
そう思って眠ることにした。
早朝、父に起こされる。慌てていたので、何かと聞いてみれば、神社が荒らされたと。
警察に連絡をして、これから神社に戻ると言う。
俺も慌てて制服に着替えて、父の後を追った。
昨晩の夢を現実で起こった事件が重なったが、首を横に振って否定をする。
落ち着かない気持ちで、神社に向かった。
まず、ホッとしたのは狐像が在ったことだ。
だが、鳥居の様子を見て、絶句する。
夢で見たものと同じように、獣の引っ掻き傷のようなものがあったからだ。
「父さん、これ……」
「ナイフで引っ掻いたんだろう。酷い話だ」
ナイフだって? どこから見ても、傷は獣の爪で掻いた跡にしか見えない。
「勉、大丈夫か?」
「!」
父に肩を叩かれて我に返る。
獣の爪跡なんて、ありえない話だ。
鳥居の傷は大きさからして、北海道のヒグマとか、日本には居ないグリズリーとか、そういう大型の獣しか付けることが出来ない大きなものだった。
この地に熊は生息していない。
まだナイフで傷つけたと思う方が現実的である。
境内も酷い有様であった。
ここも、夢と同じ――。
ありえないと思った。
呆然としながら、荒らされた神社を見る。
父がコンビニで朝食と昼食を買ってから学校に行けと、お金をくれた。
いつの間にか警察が来て、現場検証が始まっている。
時計を見たら七時半になっていた。
修二は朝練があるので、今日は待っていない。
自転車を漕いで学校へと向かった。
◇◇◇
なんだか朝の事件が衝撃的過ぎて、授業も頭に入ってこなかった。
昼食は購買部にパンを買いに行ったけど、ぼんやりしていたから、コッペパンしか売っていなかった。別売りのジャムとマーガリンとコーヒー牛乳を買って屋上に行く。
スマホを取り出せば、母からお弁当を持って行こうかというメッセージが入っていた。連絡があったなんてまったく気づいていなかった。
購買部でパンを買ったから大丈夫と返信しておいた。
授業が終わって、まっすぐ神社に向かった。
鳥居は傷が付いたままだったけれど、神社の中は綺麗になっていた。
父は疲れた顔をしていた。ベテラン巫女の瀬上さんも同様である。
瀬上さんは参拝客の対応に戻って行った。
社務所で親子二人になれば、父は大きなため息を吐く。
「いやあ、捜査は難航しそうだよ」
証拠が全く見当たらなかったらしい。
そして、驚くべきことを父は口にする。
「鳥居の傷、ナイフじゃなかったみたいなんだ」
「え?」
「詳しく調べなければ分からないらしいけど、警察は獣の爪のようだと」
さっと、全身の血の気が引いたような気がした。
やはり、昨晩のことは夢じゃなかった?
夢を思い出せば、随分と現実的なものだったと振り返る。
あれが現実だったと決めつけるのは、ありえない話であった。
でも、一番の非現実がここに居た。
それは、狐の耳を生やした父だ。
念のため、質問をする。
「……父さん、神社を荒らしたのは、誰の仕業だと思う?」
父は顎に手を当て、考える素振りをした。
しばらく考えたのちに、こちらをしっかり見ながら言った。
「個人的見解だが、今回の事件は『あやかし』の仕業では、と考えている」