第二十話『卵とじうどんと、気弱なミケさん』
ひやりと、冷たいものが額に乗せられて目を覚ます。
ここはどこ、私は誰、なんて――……。
目を開いて周囲を見渡せば、何故かミケさんが座っていた。
「とむ!」
そうです。私はとむです。……じゃなくて。
我に返って起き上がろうとすれば、まだ寝ていろとばかりに体を押さえつけられてしまった。
「よかった」
「あ、うん」
ミケさんは涙目でそんなことを言う。
「みんな、無事、だった?」
「はい。あやかしも、消失していました」
「だったら、良かった」
枕元に置いてある時計を見たら、五時半過ぎだった。
外は明るい。ということは、夕方の五時ということになる。
「俺、ずっと寝ていたんだ」
「ええ……」
なんでも、高熱を出して寝込んでいたらしい。枕元に病院の薬が置いてあった。知らない間に先生が来て、いろいろとお世話になっていた模様。
「なんだろう、昨日の夜、何があったのか」
「私も、今朝がたこの家で目覚めました」
どうやら俺とミケさんは父に運ばれて帰宅をしたらしい。
二人揃って昨晩の記憶があいまいになっていた。
「とむは拝殿の前で刀と共に倒れていたそうです」
「刀って永久の花つ月?」
「はい。すぐ近くに、あやかしが散った跡もありました」
刀で倒したのかと聞かれたが、まったく記憶に残っていない。あやかしの鳴き声で鼓膜を破られて悶絶するあたりが、最後に覚えていることだった。
「意識を失ったまま、ずっと転がっていたわけじゃなかったんだ?」
「そのようですね。私も、あやかしの呪術で倒れていたようで……」
だったら、誰があやかしを倒したのかという話になる。
「刀を揮い、あやかしを滅したのはとむでしょう」
「いやいや、そんなのありえない」
「ありえます。あの刀は、それが出来るものです」
俺が刀を使ってあやかしを退治した? 信じられない話だと思ってしまう。
だが、そうでないと高熱の理由は説明出来ないといっていた。
刀を揮うには、大量の神力を消費するらしい。
「あれは、人が使うべきものではありません」
「だろうね」
今も頭がガンガンしている。もう少しだけ休養が必要だと思った。
「食事は摂れそうですか?」
「あ、うん。お腹空いた」
「だったら、何か作って貰えるように頼んできますね」
ここからメールを使って母に頼むことも出来るけれど、説明をする前にミケさんは部屋から出て行ってしまった。
枕元に置いてあったスマホを取る。通知がたくさん入っていた。
修二から「学校行かないのか?」、「先に行く」というものと、数分前に神社に行って父から容体を聞いたというメッセージがあった。友達からも数件。
修二には「大分良くなった。心配ご無用」というメッセージを送り、学校の友達にはグループメールに「大丈夫、もうすぐ元気になる予定です」という返事をしておいた。
それからニ十分後。部屋に食事が運ばれる。ミケさんも一緒に食べてくれるようで、盆の上には二杯のうどんが載っていた。母は飲み物とデザートのメロンを持って来てくれる。
折り畳み式の机を出して食べることに。
「あ、卵とじうどんだ」
「おいしそうですね」
風邪をひいた時にいつも作ってくれる、とろみのあるスープのうどん。卵がふわふわで、出汁が甘く、食欲がない時でもつるりと完食してしまう不思議なメニューだ。
久々に食べたけどやっぱり美味しい。たまに夕食でも出して欲しいなと思った。
「良かったです」
「え?」
「食欲があるので」
朝方、ミケさんが様子を見に来てくれた時の俺は、顔が真っ青だったらしい。
大変な心配をかけていたようだ。
それから、無言でうどんを食べつくす。
お茶を飲んでメロンを食べようとしたが、ミケさんは俯いたまま動こうとしない。
「どうかした?」
「え? いえ……」
メロン俺の分も食べる? と聞いても首を横に振ってお断りをされた。
メロンを食べるのが勿体なくて、スプーンを入れるのを躊躇っているのではなかった。
なんか、ミケさんが元気になる話題がないかなって思って、去年、友達と海に行った話をした。
そこはここからちょっとだけ離れたビーチで、夏休みは大勢の人で賑わう。
海の家もたくさんあって、やきそばにカレー、うどん、冷やし中華、フランクフルトにアメリカンドッグ、かき氷にソフトクリームと、メニューも豊富だった。
太陽の光にじりじりと焼かれながら泳ぎ、そのあと近くにある温泉に入って帰るのがお決まりのコースである。
「ミケさんも夏になったら海に行こう」
「楽しそうですね。でも……」
「でも?」
ミケさんはポツリと呟く。
「神使として未熟な私が、そのように遊びほうけてもいいのかと」
もしかして、またしても昨日のことを気にしているのか。
誰にだって失敗はある。そんな風に考える必要なんてないのに。
「ミケさん、大丈夫だって」
「え?」
「神社はみんなで協力して守ろう。毎日掃除をして、お祈りをして、感謝の気持ちを伝えて……」
それで、頑張った分だけ遊べばいい。
一人で何もかも抱え込むことはよくないとも言っておく。
「ミケさんは祖父さんと二人で一つの神使だったんでしょう?」
「ええ、そのように、聞いていましたが、狐鉄は、もう――」
「うん。祖父ちゃんは死んでしまった。だから、俺と家族と、みんなで一つのグループ、集まりってことに出来ない?」
俺達の中には、祖父さんの教えがしっかりと宿っている。不思議な力もあるような気がしていた。なので、神社やこの土地を守るのは、水主村家みんなの使命だと思った。
「やっぱ、だめ? 俺達、頼りない?」
「いいえ、いいえ……」
顔を覗き込んでぎょっとする。
ミケさんの眦から涙が溢れ、頬を伝っていった。
「ご、ごめんなさい……長い間、ずっと、一人だったので……」
どういう風に他を頼ればいいのか分からなかったと、震える声で話している。
祖父さんが居なくなって、彼女の小さな背中に使命という重たいものがすべてのしかかっていたのかもしれない。
どういう風に慰めていいのか分からなかった。
ミケさんの孤独と、神様より授かりし使命は、「大変だったね」と言う言葉で片づけていいものではないだろう。
静かに落ち着くのを待った。
数分後、声をかけてみる。
「ミケさん、メロンを食べよう」
返事が聞こえたので、スプーンでメロンを掬って食べる。
驚くほど甘くて、美味しいメロンだった。
◇◇◇
土曜日。
本日は母方の祖父の家に行くことになっていた。
午前中に行くという話をしていたらしいので、準備をする。
今日は休みの日で参拝客もそこそこ多い。俺とミケさんが抜けたら人手が足りなくなるので、隣町の神社から知り合いの神主さんが助勤に来てくれるとか。
祖父の家は山奥にある豪邸だ。
ラフな格好で行ったらセレブな部屋の中で居心地悪くなるので、シャツにジャケットというフォーマルな感じに見えなくもない服を選ぶ。お固くなり過ぎないように、ズボンはベージュのチノクロスパンツにした。
一階に降りて行けば、母より和室に来てくれと呼ばれる。
なんだろうかと部屋を覗けば、ミケさんが居た。
「う、うわ!」
「葛葉様、とても似合っているでしょう?」
びっくりした。
ミケさんは着物を纏っていたのだ。
祖母が少女時代に着ていたという桜柄の着物。全体的に桃色の淡い色合いで、花びらの色は白。清楚な雰囲気のミケさんによく似合っている。
髪の毛も左右を三つ編みにして、桜の花の簪で纏めていた。
なんか、すっごい可愛いし、神がかり的な感じで似合っている。
「やっぱり和服は落ち着きます」
「そっか。まあ、スカートは開放的だからね」
なんだかスカートの履き心地を知っているような発言をしてしまったが、母とミケさんは聞かなかった振りをしてくれた。
お土産の茶器と母手作りのお菓子を持って祖父の家に向かう。
母が車で送って行こうかと聞いて来たが、この後習字教室が入っているので断った。
母は書道の先生をしているのだ。
この時間帯はバスも空いているので問題ない。
「じゃ、出掛けますか」
「はい」
家の近くにあるバス停で、ミケさんと二人で待機をすることになった。