第十六話『神を呼ぶ調べ』
翌日、学校が終わったあと、神社に向かった。
ミケさんはやっぱり蘆屋大神の社を調べると言っている。
神様に関わるので、社務所にある風呂で身を清め、白衣と袴を纏った。
「さあ、水主村殿、とむ、行きましょう」
さっきから、親子揃ってテンションが低い。
神様が祀られている社には掃除とお参り、儀式以外の目的で近づくことはないからだ。
果たして、この行為は神のお怒りに触れないか、父と二人で恐れを抱いていた。
「では、今から神を呼び寄せます」
「え?」
「く、葛葉様、社の中を見るだけでは?」
「呼んで聞いた方が早いでしょう」
びっくりした。直接神様を呼ぶなんて、誰が想像をするのだろうか。
儀式はミケさんが全て執り行うと言う。
俺と父は大変焦った。
あたふたした結果、神前なので正装で挑もうという話になる。
父は家に帰って衣装の一式を持って来た。社務所で手早く着替える。冠を被り、袍を着た。
父は冠に狐の耳が入らなかったようで、左右の耳の間に被る形になっていた。狐耳の礼装姿はなんとも言えない。気にしたら負けだと思うようにする。
それから父は儀式用の祓具を持ち出し、ミケさんにお伺いをたてる。
「葛葉様、あの、蘆屋大神に御神楽を奉納させていただきたいのですが」
「ええ、そうですね。蘆屋大神へのご機嫌伺いも必要でしょう」
神楽と言えば巫女さんが舞うイメージがあるけど、七ツ星神社には神主が踊る歴史の古いものがある。主に神様をこの地に降ろす時に奉納するもので、一般参拝者の前で行われることはない。
「勉も頼む」
「ん?」
父より龍笛を手渡された。俺に吹けというのか。
八歳の頃から一ヶ月に一度習っていたが、実際に神前で吹いたことなど一度もなかった。
一番得意なのは、某龍王を倒すゲームのレベルアップした時のメロディ音。
ゲームを知らない父になんの音楽かと聞かれたので、「人が高みに到達した時の、厳かな調べ」だと言っておいた。
多分、本当のことを言ったら怒られる。
龍笛は天空を舞い上がる龍の鳴き声に似ていると言われていた。
儀式の演奏は龍笛に笙、太鼓に篳篥を使って奏でられる。
いつもは道友会の人達が演奏をしてくれるが、今回は秘密裏に行われることなので、龍笛だけで我慢して頂く。
フルオーケストラではないことを、心の中で謝罪した。
それから、末社の前に祭壇を作った。神饌、お供え物も準備して、しっかりと神様の降臨に備える。
参拝時間は終了したので、楼門を閉じた。
ミケさんが蘆屋大神の社の御扉を開く。
中にあった印はどこかで見たことがあるものだった。
祭壇の中心に描かれていたのは、格子模様の紋印。
「蘆屋 陰陽師」でググった時に出て来たものと同じである。
ということは、ここの社は蘆屋道満の英魂を祀ったものだった。
厄除けのご神徳があり、この地を守る氏神でもある。父に聞けば、荒魂として祀っていると言っていた。
なので、父も必要以上に慎重になっていた。
陽が傾く中で儀式を始める。
地面に茣蓙を敷き、胡坐をかく。
静かな境内で、神様に感謝の気持ちを伝える演目を吹き始めた。
父は大麻を持って空いている方の手で塩を巻き、舞を始める。
初めは場を浄化させる舞から。その後、神に捧げる舞をいくつか奉納した。
ミケさんは真剣な眼差しを末社に向けている。毅然とした態度でいた。今日の彼女は神使と呼ぶのに相応しい態度だった。
神楽も終盤に差し掛かる。父の額には汗が滲んでいた。
将来習うことになるので動きなどを頭の中に叩きつけつつ、神への感謝の気持ちを込めながら演奏を行った。
父が九十度の角度のお辞儀をする。これにて神楽の奉納は終了した。
「ご苦労様です」
疲労の色を滲ませる父に、ミケさんは下がっておくように言っていた。
「今から神降ろしを行います」
ミケさんの白衣の中から出て来たのは、人型に折った紙を出した。これは神様を降ろす御神体だと言う。
「これは神より授けられし特別な神具です」
「神様をミケさんみたいに実体化させるもの?」
「いいえ、こちらは神を霊体として呼び、この地に止めるものです」
ミケさんは御神体を祭壇の上に置く。
それから、聞いたことがない祝詞のようなものを奏上していた。
凛とした、よく通る声が境内に響き渡る。
だんだんと風が強くなった。
あやかしが来た時のことを思い出し、全身に鳥肌が立つ。
この前のように嫌な感じはしない。でも、恐怖が蘇ってしまい、父の顔を見た。
「勉、大丈夫だ。怖いものではない」
「え?」
「これは神風だろう」
「かみかぜ?」
神風とは神の力によって吹き起こす強い風のことらしい。
あやかしに襲われた時に吹いていたものは、神の怒りを示すものだったのか。
そういう話を聞けば、この地は守られているものだと実感する。
ミケさんの祝詞は続く。
辺りはすっかり暗くなっていた。
強い風に加え、ゴロゴロと大きな音が鳴る。神鳴りだと、父が呟いていた。
茣蓙の上に正座して、頭を垂れる。神様を迎える格好を取った。俺もあとに続く。
ピカッと一瞬周囲が光に包まれ、ドーンという雷鳴が轟いた。
ビリビリと地面が大きく鳴り、父と二人で振動に耐えきれず、倒れ込んでしまった。
そんな中でも、ミケさんはしっかりと立ち、前を見据えていた。
いつの間にか、霧のようなものが漂っていて、視界がぼんやりとしていた。
ミケさんは懐から扇を取り出し、はらはらと扇ぐ。すると、霧が晴れていった。
父が素早く姿勢を正す。正座をして、頭を下げた。
「――あ」
ミケさんの先に居る人影に気付いた。
すらりとした身長の、お坊さんみたいな格好をした男の人が立っていた。
雰囲気がその辺の人とはまるで違う。
すぐに誰かと気付き、父のように頭を下げた。
『……身どもを呼び出ししは、汝かの?』
「ええ、間違いありません」
ミケさんは自らを、宇迦之御魂神の神使だと名乗っていた。
返事をする神様の声は若いように聞こえる。平伏をしているので姿は見えないけど。
『そこに居るは、水主村の子孫か?』
「ええ」
面を上げよと言われ、姿勢を正す。
ミケさんは脇に避けると、ぼんやりと光る人の姿が目に移った。
初めて見る神様は僧侶のような格好で、口元と顎に髭を生やしていた。手には錫杖を持っている。
坊主頭で目は細いけど鼻は高く、口元の締まっているすらりとした体型の男前だ。けれど、神経質で気難しそうな雰囲気がある。
格好から何から、テレビで見る陰陽師のイメージとはかけ離れていた。
細い目を更に細め、怪訝な表情でこちらを見下ろしている。
「そこの人間が七ツ星神社、十九代目当主である、水主村翼です」
『ほう? 狐の耳を生やしているとは、面妖な』
「父親が霊狐故、このような姿に」
『ほう、血筋に狐を入れるとは、な。それに、子はどうした? 鬼のような面をしておる』
鬼ねえ……って俺のことか。
そういえば、昔の日本は見慣れない容姿をする外国人を、鬼と呼んでいたという話を聞いたことがある。
自己紹介タイムが終わったところで、蘆屋大神に今回呼び出した理由を説明することになった。
「――というわけで、この地の結界が壊れてしまったのですが」
『ふうむ』
「以前、結界を作ったのはあなたでしょうか?」
『いかにも』
約千年前に、結界を作ってくれたのは蘆屋大神であることが発覚した。
なんでも当時、あやかし騒動が多く、ご先祖様がどうかこの地を救って下さいと頼み込んだらしい。
「その縁で、あなたはこの地に祀れているのですね」
『然り』
結界は蘆屋大神様が作ってくれたものだと発覚する。
これから結界についてお話を聞かせて下さいとお願いをしなければいけないけれど、さてさて、どういう風に請えばいいものか。
父は今まで見せたことがない程の、緊張の面持ちで居た。




