第十二話『ミケさんの神力』
風の力で鈴緒が揺れ、がらんがらんと境内に鈴の音が響き渡る。
立っていられない程の強風であった。
おどろおどろしく出で立つのは、ライオンのような姿のあやかし。真っ黒で全貌はよく分からないけど、シルエットがそっくりだ。サイズは前回の熊っぽいあやかしより一回り以上も大きい。グルグルと唸るような声をあげていた。
あやかしの爪先が地面を叩くのと同時に、ミケさんも動き出す。
禁縄を鞭のように操り、あやかしの目を狙って打つ。
思いの外、大きな図体に対して素早い動きで回避するあやかし。
体をくるりと回転させて、長い尾で攻撃してくる。
ミケさんは襲い掛かって来た尾を避け、高く飛び上がって眉間に向かって蹴りを突き出していた。
意外とアグレッシブな戦い方も出来るようだ。
しかしながら、状況はミケさんが劣勢に見える。
なんとか奮闘して、足先に禁縄を巻き付けることに成功した。
これで勝てる! そう思ったのにまさかの事態が訪れた。
あやかしが口から火を吐いたのだ。
寸前でミケさんは避けていたが、続けて吐き出される火にどんどん追い詰められている。
強風の中、ふんばっている状態で居ることしか出来ない自分を情けなく思った。
何か手助けをと思っても、神主の仕事は掃除しか習っていない。
何かないかと周囲を見てみれば、倒れた父の懐に折りたたんだ紙が差し込まれているのに気付く。引っこ抜けば、それは穢れを払う祝詞、『大祓詞』だった。
これを詠めば少しはあやかしの攻撃を阻むことが出来るかもしれない。
そう思って幾重にも折りたたまれた紙を開いたが、まさかの達筆な文字。
こんなの読めるはずがないと思ったが、文字を目で追ったら不思議と意味が分かる。
バチンと大きな音が聞えた。
境内に目を向ければ、ミケさんの持っていた禁縄が千切れ、火で焼かれていく様子を目の当たりにすることに。
効果があるか分からないけど、一回祝詞を奏上してみることにした。
「高天原に、神留り坐す、皇が親神漏岐、神漏岐の命以て、八百萬神等を――」
これ、いつ息継ぎするんだろう。漢字がたくさん並んでいて、目が滑りそうになる。
子供の頃から聞いていた父や祖父の読み方を真似してみたけれど、まったく上手く出来ない。まず、発音からして独特だ。
しかも、前から風が吹きつけてくるので、口の中はカラカラ。手に持つ紙も風に揺らされて大変詠みにくい。
そんな中でしどろもどろになりながらも、お祓いの詞を上げていく。
大祓詞の内容は、神様にこの世の全ての穢れを清めて下さいとひたすらお願いするものだった。
途中で噛んだりしつつも、なんとか読み切ることが出来た。
読み終わったあと、なんだか体がポカポカする。
これが神力!? なんて思っていたら、辺りが真っ白に染まっていった。目の前には祖父さんと話した夢のような景色が広がっている。
だが、その光景も一瞬で、すぐに周囲は真っ暗闇の世界に戻った。
「あれ……?」
だけど、戻った境内の景色には変化があった。
あやかしが一回りほど小さくなっていた。そして、ミケさんの姿も変わっている。
頭に黒い耳を生やし、三本の尻尾が揺れていた。
先っぽだけ白い毛になっている尻尾はなんだか可愛い。
いやいや、そうじゃなくって。
狐の姿に近くなったミケさんは、俊敏な動きであやかしを翻弄し、確かな一撃を加えていた。
そして、地面に落ちていた禁縄の欠片を投げつける。あやかしの体に当たったそれは、爆弾のように爆ぜた。
あやかしの黒い体をどんどん削いでいく。
ミケさんはあっという間にあやかしを倒してしまった。
強風が止み、神社は元の姿に戻って行く。
「ミケさん!!」
こちらに背を向け、佇むミケさんの傍に駆け寄った。
肩を軽く叩いたら、膝から崩れていく。
体を受け止めて怪我がないか聞いてみたけど、意識はなかった。狐の耳や尻尾はいつの間にか無くなっている。
見た感じ、外傷はないようだ。
顔を使づけてみればすうすうと寝息が聞こえていたので、疲れて眠っているだけだろう。
とりあえず、社務所に連れて行くことにした。
ミケさんを寝かせてきたあとは、父を起こしに行った。
今まで起こっていたことも話す。
父は「また眠ってしまった」と落ち込んでいたので、あやかしの呪いのことを説明した。
「皆が奮闘していた中で、自分だけ寝ていたなど、七ツ星神社の宮司として恥ずべきことだ」
「まあ、あんま気にしない方が……」
今回もあやかし退治は成功したし、良かったと思うようにする。
今日は社務所で眠ることにした。
ミケさんと父と三人揃って帰宅をしたのは朝の五時過ぎであった。
朝になってもミケさんが起きなかったらどうしようと思ったが、目を覚ましてくれた。
昨晩、多少神力が戻ってきたようで、いつもより元気だと言っている。
狐の姿に近くなるのは神力を使う時のみだと言うことを教えてくれた。
父や妹もその状態に近いので、耳や尻尾が出ているということもついでに発覚。その辺の説明が出来るような記憶が戻ってきたらしい。
けれど、力の押さえ方までは思い出すことは出来なかった模様。でもまあ、何も分からなかった時に比べたら、大きな一歩かなと。
土日はゆっくり休んで欲しかったけど、父がお祓いを何件か入れていたので人手が足りなくなった。結局、ミケさんの手を借りることに。
なんというか、申し訳ないの一言だった。
◇◇◇
新しい週の始まりから大失敗をしてしまう。
スマホを家に忘れ、取りに帰っていたら遅刻しそうになった。母に頼み込んで学校まで送って貰う。何故かミケさんも見送りに来てくれた。
車から降りて、母がするように手を振るミケさん。
無表情でするので、ちょっと笑ってしまった。
「どうかしたのですか?」
「いや、ごめん。なんでもない」
「そうですか」
八時のチャイムが鳴った。
チラチラと登校する生徒の視線が集まっていることに気付く。
「じゃあ、行くから」
「はい。いってらっしゃい」
「い、いってきます」
ミケさん、今、ちょっと笑ったかな、と思ったら、声が上ずってしまった。
恥ずかしいのでそのまま校門まで駆けて行く。
いろいろあったけれど、平和な朝を迎えることが出来た。
ミケさんには感謝をしなくてはならない。
下駄箱で修二に会った。
昨日、委員長とミケさんについて飯田に聞かれたと言う。
「なんか白石とトムが付き合ってんのかって聞かれたから、否定しといた。ミケツについてはよく分からんって言っておいた」
「おお、サンキュウ」
こいつは結構雑なところがあるけれど、口はかなり堅い。
なんとなく家の事情を察してくれているのだろう。持つべきものは心の友だと思った。
お礼として三十円のスナック系駄菓子を渡す。修二は「よっしゃ」と言って喜んでくれた。
……でも、そんなに喜ぶものか?
八時十分のチャイムが鳴ったので、二階まで駆けあがることになった。
修二は三組で、俺は五組。途中でお別れとなった。
教室に行けば、わらわらと数人のクラスメイトに取り囲まれた。
みんな、目が据わっていて不気味だ。一体どうしたものなのか。
「何?」
「水主村氏」
「だからなんだっての」
「校門の前にて一緒にいた美少女の情報を提供せよ」
「は?」
「ボブカットでつり目女子の見送りを受けていただろうが」
さっと、スマホの画像を見せられる。
写っていたのは父の車の前でニヤけ顔をしている俺と、無表情でいるミケさんの写真であった。
「これ、いつ撮ったんだよ」
「さきほどだ」
「さあさあ、吐きたまえ」
親戚の子で、うちの神社で働いている巫女さんだと言った。これは父が考えたミケさんの設定だ。
「トムお前、メリケンバーガー屋のせがれじゃなかったのかよ」
「バーガー屋じゃないし、そもそもアメリカ人でもないから」
こいつらの中で外国はアメリカしか存在しないらしい。残念な奴らだった。
そんなクラスメイトの興味はすぐさまミケさんに戻る。
「そうか、あの子は巫女さんだったのか」
「お、お参りに行かなければ」
神社に来てくれるのは大歓迎だ。ミケさんに絡むのは微妙なところだけど。
「そういえば、トムのところって稲荷神社だっけ?」
「も、もしかして、邪な気を持って参拝したら!?」
「祟りか!!」
「怖え!!」
「いやいや、勘違いだって」
お稲荷様が祟り神と言われる所以は多々あって、どれも他の伝承などとごっちゃになってそういう噂が広まってしまっただけに過ぎない。
商売繁盛を司る稲荷神社には、他人を突き落としても儲けたい・利益を独り占めしたいなどと、負の感情を持って参拝にやって来る人達も居る。
そういった強い気に中てられて、祟られたのではと思う人も居たという。
お稲荷様は五穀豊穣と商売繁盛のご神徳がある、心優しい神様なのだ。
「あ~、稲荷って狐の神か」
「いや、狐は神様の眷属で神様じゃない」
「へえ、知らんかった」
これで話が終わりと思いきや、今度はコックリさんの呪いで盛り上がっている。
結果、狐は怖いという話に。
だから、うちの狐は野狐(※悪さをする狐のあやかし)じゃないから!