反撃
水飛沫と共に爆発音が川に響く。
飛沫が収まると無数の式神が流されていく様を影弘は向かい岸で眺めていた。
式神は水に弱い。そう確信した影弘はわざと速度を落とし大蛇を誘き寄せる。すると大蛇は影弘を飲み込むべく迫ってくるだろう。
そこで、大蛇と影弘の距離をぎりぎりまで近づけてから川に飛び込めば大蛇はそのまま水に濡れて動けなくなる。影弘自身は川に入ったら即座に跳躍して向かい岸に移ればいい。
思ったより川が浅かった為、少し大蛇に触ってしまい足を火傷したが走れないほどではない。
それも許容範囲とみなし影弘の策略は見事、成功した…はずだった。
完全に水飛沫が収まると水の上に一回りだけ小さくなった大蛇が影弘を見据えていた。
「………」
心なしか影弘には大蛇が自分を睨み付けて要るように思えてならない。
そもそも、大蛇は紙の集まりなので目は付いていない。頭の形で顔の前後を判断しているにだけなのだ。なのに影弘は蛇に睨まれた蛙の様な気分になる。
どちらが先かは解らないが次の瞬間には影弘は足元にあった濡れた式神を拾うと踵を返し上流へと走り出していた。
勿論、大蛇は追いかけて来る。
足の火傷で先程より速度が出ないが、幸いにも大蛇に追い付かれる事は無さそうだ。影弘は足元に視線をさまよわせながら走る。
―――何故だ?
大蛇が縮んだ事から水は有効なのは確かだ。現に川には水を吸って使い物にならなくなった式神がいくつも流れていた。
先程、拾った式神を見るかぎり模様は濡れて滲んでいるが間違えない。村の手形と模様が似ている事から命令は『対象者以外に触れたら爆発する』と云うもと同じ又はそれに近しいものだろう。
式神の命令は紙に書いてある模様で決まる。
命令が複雑なものはその分、模様も大きく複雑になる。
命令内容までは術者の流派や使い手が妖怪か人間か色々模様が変わるため読み取る事は難しいが、模様の大きさから推測するに書かれている命令は一つで限界だ。
今、影弘を追っているのは大蛇ではなく『触れれば爆発するだけの紙の束』なのだ。なのに『紙の束』がどうやって水飛沫を避けたのだろうか。
何よりもどうして動くのか。大蛇は村の手形と違いは動くき影弘を追尾する。まるで意思を持っているかの様に状況を判断し行動いている。
式神単体に書いてある命令は爆発することだけで他の命令はいっさい書かれていない。
―――ならどうやって動いている?
影弘は足元、正確には河原に大量に転がっている石に目を走らせながら思考を巡らせる。走りながら石を幾つか拾い確認をする。
コレを何度も繰り返した。そして諦めかけた頃に目当てのものが見付かり歓喜する。ふと顔をあげると空に鳥が見えた。
式神は簡易なものから精密なものまで多種多様にある。勿論、精密に作られ動物に擬態しているものも存在する。
影弘の頭上を飛び回っているであろう鳥のどれかに式神が混じっているとしたら、術者が鳥の目を介して影弘を見ているなら。
それなら単純な命令だけの集合体である大蛇が状況判断しているように見えるのも頷ける。大蛇は自動ではなく誰かに操作されているのだ。
なら『紙の束』はどうして水飛沫を避けきれたのか。あそこまで豪快に水を浴びたのだ、操作されているなら回避は出来ても起きた事象の対処は難しい。
影弘は石を握り締めると川の中に入る。
河原に比べ走りにくいが大蛇は入れないはずと践んだのだ。泡良くばば逃げ切れるのではないかと思ったが、考えが甘かった。
大蛇は全くの躊躇もせず川の中でも一直線に影弘を追いかけて来る。川に入ってから多少の距離を走ったが式神が濡れて剥がれ落ちている様子もない。
走りながらではうまく確認できず影弘はて思いきって振り向き大蛇を一瞬だけ見据えて横に飛んだ。
体を突然に回転させた事により速度が落ちたのだろう。
大蛇の大口に向かって風か吹いおり枯れ葉やら小石やらが吸い込まれて行く様がありありと見て取れる。大蛇は影弘の目と鼻の先にだった。
影弘は目の前にある大蛇の鼻を籠手でおもいっきり払う。案の定、払った右腕が爆発に巻き込まれたが、影弘は大蛇の顔を崩した事によって生まれたで距離の間を利用して体を捻り軌道をずらす。
なかば転がる様にして川の中に落ちるが大蛇に飲み込まれる事は避けられた。
右腕は当分、使い物にならなくなったが動かす分には問題ない。握っていた石も無事だ。拾ったら式神はボロボロになったので捨てた。
大蛇が水飛沫を浴びても平気だった理由にも思い至った。
―――材料は揃った。
ならば川辺にいる用事もない。影弘は次の策を実効すべく森へと走り出した。
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読み通り式神は『対象者以外に触れたら爆発する』命令で間違いない。
村の手形の大きな違いは大量の式神の中にそれを統括し動かす為の命令を帯びた式神が有ることだ。
たぶん命令は『風を循環させて式神をまとめる』辺りだろう。大蛇に飲み込まれそうになったときに風を感じたのがその証拠だ。
また、水飛沫を浴びた時に大蛇の内から風を放出することで濡れるのを避けた。川の中で影弘を追っているときは水面に直接風を送る事浮かび上がり濡れるのを防い等、風を利用しているなら説明がつく。
最初の川に飛び込んだのは術者が影弘の意図に気付かず幸運にも奇襲に成功しただけにすぎない。
要はただのまぐれだ、同じ作戦はもう効かない。
それならば大蛇の中に有る特殊な式神を何とかすれば話は早い。
だが、式神は大蛇の中に数ヵ所有ることは確かだろう。何千とある爆発付きの式神の中からそれらを探すため大蛇の中に飛び込む勝算や無謀さは影弘にはなかった。
暫定的に影弘に思い付く策はもう一つしか残っていなかった。川の中を走る事で足を冷していたが、やはり走る速度は落ちているため油断は出来ない。
川に来る途中には余裕もあり鼠を捕まえられたが今度は上手く捕まえられるか自信がない。
出来れば狸とか質量が有るものが好ましいが通り道に運良く要るかどうかすら怪しい。
―――考えても仕方がない。
影弘は取り合えず、次の策を起こすべく走り出した。
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走りながら左右を確認するが、やはり小動物は見付けられず焦っていたところに幸運に栗鼠の巣穴を見つけ、中にいる一匹を捕まえる。
片手に石を握りもう片手は負傷しているため噛み殺さないか不安でもあったが仕方なく栗鼠を口にくわえ移動する。
大蛇は勿論追ってきている。途中、木々の狭い隙間を通ったりもしたが大蛇は形を崩し、まるで液体のように木だけを避けて通過しただけだった。
特殊な式神の場所も確認は出来なかった。木々に飛び写って逃げ隠れしても無駄な分、効率を取り影弘は目的地に向かって脇目もふらずにただ走った。
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太陽が空の真上に登った頃に森の中の開けた場所につく。ここは村へ行く人間の為に作られた夜営地だ。影弘は広場の端に積まれている枯れ枝などを見つける。
取り合えず作戦の要は確認した。
影弘は籠手を腕から外し地面に置く。枯れ草を一掴み取ると拾った石を籠手をに打ち付け、すかさず火花を枯れ草に移し火種を作る。後は火種を枯れ枝の山に隠せば準備は出来た。
作業の途中、何度も空を確認したが鳥の姿は見えない。
背後からしゅるしゅると紙の擦れる音が聞こえ始め枯れ枝の山を確認するが、まだ煙すら立っていない。
火種が大きくなるまで影弘は時間稼ぎをしなければならなくなった。影弘は栗鼠を吐き出し火傷をしていない手で握りしめる。正直、暴れているのでくわえている方が楽だった。
影弘は枯れ枝の山の上に登り大蛇と対峙した。言葉の通じる相手なら軽口でも叩いて時間を稼ぐが今回はそれも難しい。
空からトンビののどかな鳴き声が聞こえてきて今の状態に似つかわしくなくて苦笑が漏れた。
大蛇が影弘に突進する。
ぎりぎりまで引き寄せる為に影弘は山の上を動かない。大蛇は形を崩し網のように広がり影弘を包み込もうするが、すんでの所で後ろにおもいっきり飛躍し避ける。
影弘を飲み込もうと式神が波のように横に広がって迫ってくる。背後にある木に足をつき速度を殺さず前に再び跳躍するが大蛇は木にぶつかるもすぐに形を大蛇に直し再度、影弘に襲いかかる。
大蛇の通り道には枯れ枝の山がある事を確認すると影弘は地面に足を着くと同時に跳躍。そのまま斜め横に飛ぶ。どうやら術者は気付いて居ないようだ。
―――やれる。
そう確信した影弘はひたすら大蛇の突進を避け続けた。
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岩牢の中。布団の上に倒れている女は桔梗といった。倒れているといっても肩は規則的に上下していることから疲れて眠ってしまったのだろう。
紅も引いていないのに鮮やかな唇に大きめの瞳が特徴的な美女である。
通常であれば艶やかな黒髪は後ろで綺麗に結わえているが寝起きの為か髪が乱れ、心なしか顔も少しやつれていた。
りぃぃぃん。と鈴の音が鳴ると桔梗はゆっくり目蓋を開ける。
布団から上半身をお越すと桔梗は闇の向かって「居ないの?」と声をかけるが誰からも返事はない。
何時もけたたましい老婆の声もせず不思議に思った桔梗は布団の上に座り姿勢をただして目を瞑る。
術を使って辺りに人間および妖怪の気配がないか探るが何も感じられない。再び目を開くと桔梗は闇向かって息を吹きかけた。
すると牢の中に満月でも浮かんだかのように青白い光が辺りを包む。
光が出来た事で岩牢の中を動くのに不自由しない程度に明るくなった。牢獄と言うには充分すぎる広さがあり常に清潔に保たれて要る為、悪臭や湿気もなく調度品も一目で質の良いものとわかる。
その牢獄とは名ばかりの高価な部屋には扉が無かった。牢と廊下の境目には格子があり、その事が唯一この場所が岩牢で有ることを思い出させるが格子の一部だけ人が通れるほどの大きさの木枠のみでぽっかり穴が空いている。
扉が無いことも不思議ではあるが取り分け目を引くのが装飾品にしては奇抜な大量の鈴としめ縄に緋色の紐、そして札が牢の天井には張り巡らさせている。それは牢の中から廊下にまで続いており、先程の鈴の音はここからだと判断できた。
桔梗は部屋の中心にある唐椅子に座り机の上ある水を張った水盆に手をかざす。
水盆に写っていた桔梗の顔が厳つい四十を過ぎたくらいの隻眼の男のものへと変化していく。
桔梗はそれを見て安堵の笑みを漏らすと男は不器用ながらも笑ってみせた。その目には優しさと労りが見てとれる。
「巫女様、御加減はいかがでしょうか?」
「お久し振りです、笹倉さん。今日は鬼女の声が聞こえないんです。何処かに行っているみたいなの」
笹倉と呼ばれた男は桔梗と顔を合わせるといつも同じ台詞を口にする。それが日常に戻れたような気がして桔梗また笑った。
「…まだ、お祓いすること叶いませぬか」
「難しいです。宮の皆様にも迷惑をかけてしまっているわね。御免なさい。」
「いえ、巫女様が悪いのでは御座いません。ただ、巫女様が苦しんで居ると云うのになにも出来ない我が身が恨めしいのです。」
「ありがと。笹倉さんはいつも優しいですね。昔と変わらなくて、なんだか安心しました。」
そう言って綺麗に笑う桔梗の顔に笹倉と呼ばれた男は悲しそうに笑い返すのだった。
「笹倉さん。村の外、ずっと西の方から良くない気配がするの。何か心当たりはないかしら?」
「いいえ。村には相変わらず妖怪が奇襲をかけては来ますが、他には変わった事は御座いません。西と言いますと大陸でしょうか?」
「わからないわ。ただ恐ろしい事が近付いているのは確かです。夢見がありまた。」
「かしこまりました。警備を厳重に致しましょう。後、戦の支度もしておいた方がよろしいでしょう。」
「有難う、笹倉さん。」
それを最後に水盆の水面が揺れて、水鏡に映る顔が笹倉から桔梗に戻っていた。
桔梗は水面が自分の顔に戻ったのを確認すると「皆のところに戻りたいわ」と呟くがその声を聞くものは居なかった。
泣きそうになるのをこらえ桔梗は書箱を取りだし札を書き始め、ふと思う。
笑ったのも笹倉の顔を見たのもいつぶりだろうか。何時もは鬼女を抑えるのに力を使ってしまい術が全く使えないが、それに比べると今の桔梗には確かに自由があった。
それは喜ばしい事ではあるが鬼女に取り憑かれて長い時間が立ったがこんなことは一度もなかった。
鬼女の声は途絶えることなく桔梗を苛み続け桔梗の気が触れるのを今か今かと待ちわびていた。
先程、見た悪夢のこともあり桔梗はこれが嵐の前の静けさに感じられてならなかった。
動物愛護の方に心からお詫び申し上げます。そして鼠さん、栗鼠さん本当に御免なさい。
ここまで読んでくださった方々に感謝です。
本当に誠心誠意、有難うございます!