第8話
そして、大学生になって、桐生くんに会ったあの日、言った。中学の時のことはもう気にしないでって。
「分かってるよ」と、そんなこと気にしてなかったとでもいうように言われて、少し寂しかったけど、安心したんだ。
「…あぁ、知ってるよ」
少し、寂しかったけど。
久重先輩は、私のサークルの先輩だけど、同時にサッカー部だから桐生くんの先輩でもある。今3年で、彼女はいない。よくみんなに混ぜて遊びにつれて行ってくれる、優しい先輩。
土下座をしている私には桐生くんの顔は見えないが、なんとなく空気は重かった。やはり、お互い共通の知り合いを私が好きなのに、|(中学の時は好きだったとはいえ)ただの友達と“そういう”関係になってしまったことは、気まずい。
「そんなに土下座決め込まなくても、別に脅そうってんじゃないし」
「で、ですよね!」
「まぁ、暫くネタにさせてもらうけど」
明るい声にガバッと顔をあげたものの、面白そうな表情と声に肩を落とす。桐生くんは決して性格は悪くないのだが…。
「言っとくけど、悪いのは、お前」
「…はい」
「ベッドの上で首に手を回してきたの、お前」
「……はい」
「好きだから抱きしめて、って言ったの、お前」
「………はい」
「誘ってきたの、お前」
「…………はい」
「お前気を付けろよな。せめて俺以外とはそーならないように」
「分かってるよ! ていうか桐生くんとですらそうなりたくなかったよ!」
付き合ってもないのに~と嘆く私に、桐生くんは冷ややかな目を向けた。
「お前の不注意だろ。男は狼って習わなかったか?」
「狼が何言ってんの!」
「でも、逆に酔ったら甘えるってことが分かったし? 新也先輩にも酔ったふりして甘えてみれば?」
「──できるわけないでしょそんなこと!!」
どんな下衆女だよ、とツッコむと、ふん、と桐生君は笑う。
「男は馬鹿だから。弱いぜ、そーゆーの」
「男は馬鹿だから、って…じゃー桐生君も女の子にそーゆーことされたら好きになっちゃうわけ?」
末武さんとか美人だし、と付け加えると、妬いてんの?と冷ややかに笑われた。
「何で私が桐生くんに焼きもちやくの…意味わかんないじゃん」
「そーだな。今は新也先輩が好きだもんな」
「そーだよ」
溜息と共に答え、はたと気づく。
「そうだっ、この話絶対に誰にも言わないでよ! 特に久重先輩とか!!」
「お前と俺がしちゃったって話?」
「ぎゃあああああああだからそれ言わないでよ!? ね!?」
「俺だって付き合ってもないヤツととか噂広まったら嫌だけどな」
不名誉、なんて言われて、だったら手を出すなと返したくなる。
「…男って誘われたら誰でもいいんだ…」
「すげー不本意だな、その言い方。昨日の夜は可愛かったくせに」
「だからお願いだからそんなこと言わないでよ……」
はぁ、と顔を手で覆う。今後、これをネタに脅される可能性、大。
「ま、とりあえず今後も晩飯頼むわ」
「………は?」
しかし、次の台詞に顔を覆っていた手を下ろす。桐生くんは相変わらずニュースに目を奪われながらチャーハンを食べていた。
何言ってんのコイツ。私がコイツの何だというの。
「……今後もって…」
「1人分より2人分のほうが楽だろ」
それはそうだけどそこじゃなくて。
「何でうちで…」
「あ、部活ある日は多分いらねぇわ。部の連中と飯食いに行くし。まぁ随時連絡は入れる」
だからそこじゃなくて。
「まさか…たかる気…?」
ゴクリと唾をのむ。まさかそんな。ははは。
私の凍りついた状態をどう思ったのか、桐生くんは不敵に笑った。
「いいよ、別に。俺は自分で飯作って食うよ? その労力のせいでうっかりお前との話、新也先輩にするかもしれねーけど」
「いやああああああ! っていうかそれ脅しじゃん!? 仮にも法学部生がそんなことしていいと思ってるの!?」
「うるさいやつだな。んなこたどうでもいいじゃん」
「とにかくっ何で私がそんなこと──」
「俺が飯作るのだるいって言ってんの。これ以上の理由、要る?」
不敵な笑みを崩さないまま、桐生くんは偉そうにそう言った。その意図を理解した私はぐっと押し黙るしかない。
関係を持ってしまった、そしてその責任が恐らく私にある以上──桐生くんに逆らうべきではない。
「分かった…、分かったよ…」
ぐっと拳を握りしめ、項垂れた私に、桐生くんは満足げに頷いて「ごちそうさま」と言った。