第50話
冷や汗が流れるのが、分かる。どうしようってパニックになってる。膝の上で握りしめた拳に上手く力が入らない。
「それ、こそ…久重先輩が言ったみたいに、」
「付き合ってるとか?」
びくっと、体が震えた。どう、しよう。
違う、違う。本当に、付き合ってない。
少なくとも、あの関係は、事故。
「…別に、ええやん。勘違いされても」
え。
いつの間に私は俯いてたのだろう、見上げた久重先輩はいつものように笑ってた。
「今みたいに勘違いされたら否定すればいいだけの話やし。まぁでも、傍目かなり仲良いらしいし、名前で呼ばんでもそう思われるとは思うけどなぁ」
「そう、です、か、」
「でも、アイツも女っ気ないくせにミツとだけは仲良いのはなんでやろな。もしかしたらアイツ、ミツのこと「っ違います」
思わず、久重先輩の言葉を遮った。
本能的に、反射的に出された声だったみたいで、思いがけず大きな声が出た。自分でもびっくりして、久重先輩もびっくりして、一瞬、時間が止まる。なんだか、周りの視線も集めている気がした。
でも、それは、言ってほしくなかったから。
久重先輩が相手だからとか、そういうのじゃなくて。
凪砂くんが私を好きだとか、そういう、ことは。
「違うんです。凪砂くんは、私のこと、そういう目で見てません」
「…なんで、言いきれるん?」
「それは…中学のとき、色々あったので、分かるんです」
「…色々って、なに…」
ぼそっと、久重先輩が呟いた。久重先輩にしては珍しい、小さな、本当に聞き取れたのが不思議なくらいの声量。
でも、言いたくない。凪砂くんにフラれたって、久重先輩には言いたくない。勘違いされたくない。
沈黙が流れた。気まずい空気が落ちる。何を喋ればいいのか、分からなくなった。
「……ごめん、あかんわ」
「え?」
けれど、先に久重先輩が、溜息をついた。こめかみを、指でほぐすように。
「あかん、あかん。俺、おかしいわ。普通こんなん聞いていいことちゃうわ」
「…」
「ごめん、ミツ。なんかごめん」
「いえ…」
「なんやろうな。ちょっと、知りたくなってん」
ははっと、久重先輩は渇いた笑いを漏らした。
「…ごめん。ショー、遅れんうちに行こ?」
「あ…そうだ、時間…」
「行こーや、ミツ」
スマホを取り出そうとした私を遮って、久重先輩が手を引いた。ビクッと、さっきとは違う意味で心臓が飛び上がる。
知ってる、この緊張感。中学生のときに感じてたあの緊張感と、同じ。
凪砂くんが好きで追いかけた、あの頃。一緒に傘に入った時に近い体とか、ふと目があった瞬間とか、笑顔が正面から私に向けられたときとかに感じた、あの緊張感。
…大丈夫、大丈夫。凪砂くんは、いつかこの関係に飽きる。
そうすれば、私はただ純粋に、久重先輩を好きでいられる。
そして気づく──“久重先輩を好きでいられる”と考えた言葉の中にいる、凪砂くん。まるで、このままだと、またいつか凪砂くんに気持ちが戻ってしまうみたい。
…戻りたく、ない。




