第39話
拘束がとかれたところでさっぱり役に立たない両手を頭上にほったらかしにして、足をばたつかせた。
「放して! どいて!!」
「分かった?」
「分かったから!! 分かったからどいてよ!!!」
ぐっと、桐生くんが腕に力を込めて立ち上がった。解放された私は、見下ろしてくる桐生くんから逃げるように、力の入らない両手をついて体を起こそうとする。
ぐぐぐっと体を反対方向に引き摺る私を見て、桐生くんは口角を吊り上げた。
「分かった? 俺と関係持ちながら、別の男が好きで、非力な女のお前は、圧倒的に不利なんだよ。俺との関係で」
「っ、」
一言一句言い聞かせるように──というか、脅すように──ゆっくりと言葉を紡いだ桐生くんに、顔を歪める。なんで、こんな人になったの。
「分かったら、明日、晩飯には間に合うように帰ってこい」
「…分かった、けど、」
「けど?」
未だ半分押し倒されてるような体勢のまま、私は桐生くんを睨みつけた。
「なんで、そこまで執拗に夕飯を要求するわけ? お金でも──体でも、なく」
「そんなのお前、決まってんだろ」
私とは裏腹に、桐生くんは口角を吊り上げる。
「晩飯作るのが面倒だから」
──どうして、桐生くんは、こんな人になったんだろう。
止まってたはずの涙が瞳の中に残ってたのか、起き上がった私の頬を水滴が滑った。
想い出の中の桐生くんは──凪砂くんは、優しかった。困ってる人がいれば手を差し伸べるとか、そこまでではないし、寧ろ冷たい方だったけど。友達とか、仲良くなった人とか、私には、どこまでも優しかった。仕方ないなぁって感じで、ちょっと照れながら、無愛想な表情で、助けてくれた。
それなのに。
「………もういいわ」
そこまで適当な嘘をつかれるとは思ってなくて、追及する気力は失せた。溜息をついて、お蔭様で戻ってきた腕の力で体を起こして、ソファに座り直す。同時に桐生くんもドカッと座り直した。
「……固まったじゃないの。パスタ」
「誰のせいだか」
「桐生くんのせいでしょ」
「つか新也先輩とのLIME、途中だったんじゃねぇの」
「……桐生くんの馬鹿」
机の上に転がるスマホを手に取って──もう片方の手で胸の辺りをぎゅっと抑えた。
ドクン、ドクンと、聞こえるほどに鼓動する心臓は、何のせい。
桐生くんに感じてる恐怖なのか、それとも、“ぶり返した”のか。
五月蠅い心臓が元通りになるまで、なんとなく久重先輩とのLIMEは見れなくて、私はスマホを机の上に置いた。「返事いいのかよ」と桐生くんが言って来たけど、無視して固まったパスタをフォークでつつく。
結局、桐生くんがいなくなるまで鼓動は平常時に戻らず、久重先輩にLIMEを返したのは寝る前で、そのままそのトークは途切れてしまった。




