第36話
ギクッとしたのは一瞬で、次の瞬間、その手が腰に回ったかと思うと驚くほど強い力で体が掬われた。ゴトッとスマホが転がった音がして、体の芯が何かに掴まれたようにゾクッと震えて、ソファの上で桐生くんに組み敷かれる。
ソファから落ちた右足は桐生くんの左足、ソファに乗っかる左足は桐生くんの右足に、それぞれ抑えられた。桐生くんの両手は私の顔の横につかれてるから、私の両手はまだ、自由。
だけど、なに、これ。
「な、なに!? なんで押し倒されなきゃいけないの!?」
自由な両手で桐生くんの胸を押した。びくともしない、まるで壁に手をつくような感覚に力が入らなくなる。
「覚えてないってマジで厄介だな。お前、つい先月、何があったか忘れたわけ?」
「先月、って、学部飲み会の後の、」
「そう。お前、俺となにしたか、分からないわけないよな?」
見下ろしてくる桐生くんの瞳が酷く怪しく光った。そのとき胸の奥で感じたものが、恐怖なのか、それとも別のものなのか、分からないけど。
「わ、わかってる…あんなことがあったから、桐生くんはうちにいるんでしょ…?」
「俺が言ってんのはそういうことじゃねーよ」
「じゃ、なに…」
「そーゆーことしながら、よく他の男とデートとか浮かれてんな、その神経の図太さには参るわ、って言いてぇんだよ」
──けど、多分、恐怖で間違いないと、思う。桐生くんのその言葉に、ぷつっと何かが切れた。
弾けるように、あの朝を思い出す。目が覚めたときに隣にいた裸の桐生くんを。愕然とした私を嘲笑った、あの表情も。
「…なに、それ…神経図太いって、だって、抱きしめてって私が頼んだんだとしても、最終的に“そういうこと”をしたのは桐生くんじゃない…」
「へー、覚えてないのをいいことに俺のせいにするわけ。どう考えても合意があったとみなされる言動だと思うけどな」
「お酒に酔ってたのよ? そんな状態の言動を、合意の材料にするっていうの?」
「心神耗弱ってか? だとしたら送ってくれるヤツもいない場所で酔いつぶれる方のが悪いだろうが」
「それは、酔い潰れるほど飲むつもりなんてなくて…桐生くんのお酒を飲んじゃったのも、うっかりしてたけど…あれは、桐生くんが急に話に入って来るから…余計なこと言われたくなくて、それに意識がいってたから。だったら桐生くんのせいじゃない」
「とんだ責任転嫁だな。大体、余計なことってなんだよ? 中学時代俺にフラれたって話?」
上から、桐生くんは鼻で笑った。
「そんなに、俺にフラれたのが人生の汚点なわけ?」




