第34話
夕方6時頃、桐生くんがやって来た。ご機嫌で私は玄関を開ける。
「おつかれさまー!」
「お、おう…」
「今日は冷製パスタだから。桐生くんの好きなサーモンとアボカドね! あ、泥跳ねてるじゃない。タオル持って来てあげるけど──そう言えば今朝から濡れてたね、風邪引くかな? シャワー浴びる? あ、でも着替えないか…」
「…着替えは、ある、けど…部活あったらずぶ濡れになると思って…」
「そう? じゃあ使っていいよ、シャワー。お風呂はさすがに出るの待ってたら風邪引くでしょ」
パスタはお風呂上りに合わせて作ってあげるからー、と言って、タオルを持ってくる。はい、と渡すと、桐生くんはびしょ濡れの靴と靴下を脱ぎながら、まじまじと私を見た。
「…なんでお前、そんなに機嫌良いわけ…?」
「え? そう?」
「なんか気持ち悪ぃ…」
「なんでそんなこと言うのよ、失礼ね。風邪引くから早くお風呂場行きなさいよ」
濡れた服はこれに入れたら、と大きめのスーパーの袋を渡す。桐生くんはそれも恐る恐る受け取った。
「……お前、マジで何があったんだよ…いつも俺が来たら嫌そうな顔するくせに…」
「そんなことないわよー」
久重先輩にデートに誘われて機嫌が良くないわけがない。
「桐生くん、意外と遅かったけど、部活なかったんじゃないの?」
「あー、筋トレしてた」
「なるほどー」
桐生くんが筋トレしてこの時間ってことは、久重先輩ももうすぐ終わって連絡くるかな? ふふふ、と私は更に上機嫌でキッチンに戻った。桐生くんはタオルで軽く足を拭いて床が濡れないようにしてからあがってくる。
「…んじゃ、お言葉に甘えてシャワー借ります」
「はーい。多分使い方は見れば分かると思うから。左からシャンプー、リンス、ボディーソープね」
「ん」
桐生くんの夕飯が面倒だとか、いるのが邪魔だとか、そんなことはどうでもいい。小躍りしながら、スマホを取り出す。連絡はまだない。
そう言えば、水族館が特集されてたのって結局なんでなんだろう──桐生くんに聞くのが早いかも、と思って見たときには、桐生くんの姿はお風呂場に消えてた。まぁいっか。明日のお楽しみってことで。
桐生くんがシャワーを浴びて出てくるまで、20分弱。さっさとパスタをゆでて、調味料とアボカドとサーモンをボウルで混ぜて、とした直後で、タイミングばっちり。ソファに座った桐生くんの前に置くと、桐生くんは私とパスタを見比べた。
「…お前、マジで今日何があった?」
「え?」
「手が凝ってるわけじゃないけどわざわざ材料買わないとできないだろこれ」
「前半は余計よ。たまにはいいでしょ、有り合わせ以外のも」
「…正直、俺はお前の機嫌が良すぎて気持ち悪い」
「だから失礼だって言ってるでしょ!」
いただきまーす、と言う桐生くんの隣からお茶のグラスを差し出して、その隣に座る。ふわっと、桐生くんからいい匂いがした。私のシャンプーの匂いのはずだから、私もこんな香りがするのかなー…。
「…なに?」
桐生くんに怪訝そうな顔をされて、思わず見つめたことに気付いた。
「え? あ、桐生くんからいい匂いするなって思って」
「…まぁ風呂上がりだから」
「そうよね、そりゃそうだわ。私も帰ってシャワー浴びればよかった。足濡れちゃったし」
「あ、美味いなこれ」
私の言葉との関連がない。私の話聞いてないの? 褒められて悪い気はしないけど。
「でしょ?」
「何使ってんの、調味料」
「オリーブオイルと、ブラックペッパーと、」
指を折ってさっきの作業を思い出していると、ピンポーン、とLIMEの通知音がした。はっと机の上を見ると、私のスマホ。『久重新也:今日もお疲…』と表示されてる。思わず自分がニヤついてしまったのを感じたけど、フォークを置いて手に取る。
開くと、『今日もお疲れさま~。明日何時がいい?』ときてる。じわじわ実感して来る、明日の約束。




