第105話
部屋まで連れて帰ると、凪砂くんは崩れるように玄関に寝転がった。
「ちょっと…こんなところで寝てどーするの。夏だから大丈夫だとは思うけど」
「…お前、さー…」
靴を脱いでその頭をつついていると、凪砂くんはゴロンと仰向けになった。ただその額から目を二本の腕で覆い隠して。
「…どーだった、新歓」
「…どうって、普通だけど」
「普通って何。一発芸とかした?」
「女子に一発芸させる新歓の何が普通なのよ! 普通に飲んで喋ってただけよ。会話も無難だし…」
何話したっけ、と指を折り思い出す。試験の内容とか、出来具合とか、夏休みの予定とか。
「…先輩は」
「…久重先輩が何?」
「誰も新也先輩なんて言ってねーじゃん」
ゴッ、と凪砂くんの頭を拳で殴りつけた。ウッ、と呻くのに、凪砂くんは腕を動かさない。
「本ッ当にデリカシーないんだから! 人前では絶対そんなこと言わないでよ!」
「だから人前じゃないじゃん…」
「そもそも嫌な気分になるから言わないで。本当に…だから中学の時もモテないのよ…」
ここぞとばかりに悪口を言いながら、部屋に行って冷房のスイッチを入れる。グォン、とエアコンが起動するのを目の前で待って、そのまま冷たい風を享受した。
「あー…気持ちいい…」
凪砂くん、本当に泊まるつもりなのかな。夜中になったら勝手に帰るのかな。ていうか、この真夏に汗かいて飲んで、シャワーも浴びないで気持ち悪くないのかな。
そして、不意に自分の匂いが気になって髪を一房つまむ。スン、とシャンプーの香りが微妙に残っていることに安堵するも、体のほうは不安。
…早急にシャワーを浴びよう。凪砂くんが玄関に転がってるのはとりあえず放置。どうせ酔ってるみたいだから数十分くらい転がったままのはず。
「…凪砂くーん」
着替えを脱衣所まで運んでから再び凪砂くんのもとに舞い戻る。相変わらず仰向けで腕を十字にクロスした体勢で寝ていた。
「ねぇ…本当に泊まるの?」
「うん」
「着替えどーするの」
「ある」
「は?」
「部活でシャワー浴びる予定だったから。持ってる」
「…まさか帰りに会わなくてもうちに来るつもりだったわけ?」
「いいじゃん、俺とお前の仲だし」
「だからそれはどんな仲なの! 大体下宿してるくせにうちに泊まるなんて意味分かんないでしょ!」
「つか、俺の家遠い。部屋選びミスった。学校近い代わりに飲みに出るとマジでめんでぇ…」
「知ったこっちゃないんだけど…」
本当に知ったこっちゃないんだけど。確かに学校が飲み屋街から少し離れるせいで下宿生でも平均通学時間は20~30分。学校との距離を優先した凪砂くんはここから30分くらい歩いて帰る羽目になる。
「彼女でもないのに…」
どうして、凪砂くんはこんな態度をとるのだろう。私を好きでないと言うくせに──自惚れとは思えないほど──好意に似た態度をとる。好意に似ているというか、私が凪砂くんを好きだと知っているから、自信があるから、とれる態度。
悪い言い方をすれば“彼氏気取り”というのだろうけれど、その行動に小さくは苛立っても憤慨できないところが私の馬鹿なところなんだろう。
「…私、今からお風呂入るから。帰るなら今のうちにしてね、鍵締めたいし」
「…お前、今日も、先輩と何もなかったって言ったじゃん」
会話のキャッチボールができてない。しかもその話はやめてって言ってるのに。
「…だから何?」
「いい加減、付き合えば?」
「だから! 凪砂くんに関係ないでしょ!」
──彼氏気取りのくせに、私の感情を先輩へと唆す。弄ばれるって、こういうこと。
「私にも色々あるの! 何も分からないのに口出さないで!」
「…分かるし」
「…何がよ」
本当に分かってるのか、ただのフリなのか。どちらにせよ困るのは確かだ。膝をつけば、腕が僅かに開いた。二十歳を迎えたにしてはまだ幼さの残る瞳が覗く。
「ねぇちょっと、」
問いただすものの、俯いたせいで髪が邪魔。と、零れ落ちた横髪を耳にかけようとした腕が不意に掴まれた。
「…本当、他人が勝手に作った出来レースほど鬱陶しいもんはねーな」
──そして、恨み言を呑ませようとするかのように。キスされた。




