第104話
結局、また凪砂くんの胸に飛び込んだ。
「あ、りがと、」
「お前、成長したの胸だけだな」
メリッ、と凪砂くんのお腹に拳がはまった。凪砂くんが「うっ……」と本気で呻き声を上げたけれど、自業自得。
「お、ま…」
「言っとくけどセクハラだからね? 訴えてやるからね!?」
「暴、行罪……」
私の首の後ろでそう呟かれる。気持ち悪い、とも。
「えっ、吐かないでよ!?」
「殴った、くせに…」
「それは正当防衛よ」
「急迫…不正…」
ねぇじゃん、と。何だ、凪砂くん酔ってないじゃん。凪砂くんみたいな人が酔ってたらこんなにはっきり喋れないだろうし、会話も続かないだろうし。
「…ねぇ、そろそろ放してくれない?」
「…うん」
ぎゅっと抱きしめてくるその腕と胸に挟まれて、高い体温が伝わる。多分、私の速い鼓動が凪砂くんに伝わってる。顔に気温以上の熱気がのぼってくる。
ただ──真夏、道端、片想い、あらゆる要件がこの状況をプラス方向に働かせない。
「…ねぇ、」
「先輩と、進展した?」
「…してませんけど」
「あ、そ。早くしねぇととられんぞ」
「誰に?」
「どっかの可愛い女の子に」
「すいませんね可愛くなくて」
「大福は可愛いよ」
早口での受け答えが止まった。何と返すべきか、分からない。
「…もう、大福じゃないし」
さっきまでも喋っていたとは思えないほどの掠れ声が出た。
「…うん、痩せたな」
「悪い?」
「…別に、どっちも…」
びくっ、と心臓が跳ね上がった。どっちも、何なのか。
「…帰りたい」
……この、男は。
「…帰ればいいじゃない」
「帰ろ」
「自分の家にね?」
「近いほうで…歩くの辛い…」
「…もう、」
上手いな、この人は。この状況で頼まれて、イエス以外の返事が出来るわけがない。
「…じゃあ、泊めてあげるから、歩いてよ…」
「…言質とったからな」
「ちょっとやめてよそんな言い方! ほら放してっ」
腕から身を捩って抜け出して、凪砂くんの腕を掴む。女の子の腕じゃないから、掴むというより手を載せるようだった。
「ほら、」
「手、小さー…」
私の手の下からスルリと腕が流れる。お互いの手がお互いの手首を掴むような形になった。
「ちょ、」
「…あぁ、お前、先輩のだっけ」
ごめんごめん、と、笑い声と共に降ってきた声。そのまま手は流れて、腕ごと垂れ下がった。
「早くかえろーぜ」
「それは私のセリフよ!!」
叫ぶと、五月蠅そうに凪砂くんは顔をしかめた。そして小さく呟いた。
「大丈夫、今日だけだから」
「そんなの当たり前でしょ! 酔っ払いなんて何度も泊めてあげないわよ!」
──一拍置いて、凪砂くんはくすっと笑ったけれど、何も言わなかった。




