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三話 日常編(明くる日一)

 VR、それは人類史にも残る革新的な発明だった。VRの存在が一般に公表された時など、世界中のメディアがこぞって取り上げたほどだ。だが、その当時は軍事関連や大学、研究機関などの場所でしか扱われなかった。VRを扱う機材が巨大過ぎる上、コスト面においても一般企業には手が出し難かったのだ。


 しかし、その風向きは突如として変わった。複数のとある大企業らが協同声明を発表したからだ。VR機材の小型化開発を協同して行う、と。


 そして、それは数年の歳月の後、見事な成功を収めた。現在において、初期型VRと呼ばれるものの完成だ。これを期に、VRは大躍進する。この事から一般企業でも手の届く範囲となったVRは、初期型から次々に発展していった。ついには一般家庭においても、高級品ではあるものの手を伸ばせるだけのものへと変貌していったのだ。これを俗にVR革命と呼ぶ。


 一般家庭にまでとなると、VRは更なる発展を遂げた。ベッド型から小ボックス型へ、小ボックス型からヘッドホン型へと何年もの歳月とともに小型化や軽量化、低価格化されていったのだ。


 そして、次世代機として登場したのが携帯端末とVR機器が一体化したスマートビジョンだ。これは大手電話会社との提携によって実現したものだった。通信などの安定化のために、細いブレスレット型の補助機器が必要ではあるものの、性能は従来型とは比べるべくもないほどだ。


 しかし、VRの躍進は未だ衰えを知らない。また近いうちに次世代機が登場するとも言われている。留まることを知らないVRの進化は今もなお続いており、またこの先も続いていくのだろう。


 ◇


 晴天の雲一つない空。太陽がまだ昇りきらない時間、運命は目を覚ました。ベッドの脇の右上付近に置かれた小さめの棚、その上にあるスマートビジョンのアラーム機能によって。運命のスマートビジョンは白に近い灰色で、麗奈とは色違いの同機種だ。


 運命はまだ目覚め切れないのか、あくび混じりに目元を擦る。次いで、未だ鳴り止まないスマートビジョンを手に取り、緩慢な動きでアラームを止めた。そして、反対側の薄いカーテンで閉められた窓を寝ぼけ眼で見やる。その後、もう一度あくびをしながら閉められたカーテンを開き、不意に入ってきた太陽の光を運命は浴びる。


 その姿がまた何とも絵になるのだが、残念ながら当の本人にはその自覚がない。そうして数分間その状態だった運命だが、ようやく目が覚めきったのか髪を掻き揚げ、気付く。


「ああ、そういや昨日、髪切ったんだっけ」


 そう、運命の野暮ったいボサボサの髪型が美容師の手によって無くなっていたのだ。代わりにあるのはサラサラとした髪で、セットの必要もないほど綺麗な清潔感のある髪型だ。もっとも、今は寝癖でところどころ崩れてはいるが、それも手櫛で十分元に戻るだろう。


 運命はサラサラになった前髪を一頻り触ると、不意に溜め息を吐いた。大方、昨日の件を思い出しているのだろう。運命にとっては思い出したくもないことなのだろうが。


「と、眼鏡、眼鏡。いい加減起きないとな……」


 しかし、昨日の件を今更振り返るのは止したのか、運命はスマートビジョンと同じ棚に置いていた眼鏡を取ると、緩慢な動作の後にベッドから抜け出た。そして、間もなく部屋からも出て行った。


 それから三十分ほど過ぎた頃。紺のブレザーに赤いネクタイと言った学校の制服に身を包んだ運命の姿があった。そこはダイニングキッチンらしく、他にも美羽の姿や運命の両親の姿も見受けられる。ちょうど今から朝食のようだ。


 神野家の父親、名を神野かんの 靖春やすはると言い、見た目は厳格そうな父親だ。四十七と言う年齢にして未だ筋肉質の大柄な体型を維持し、さりとて顔付きは鋭い目つきや年と共に刻み込まれた皺が風格を出している。髪は短髪の黒髪にところどころ白髪があるが、それもまた靖春と言う人物を引き立てる要素になり得ていた。


 続いて、神野家の母親だ。名を神野かんの しずくと言う。こちらは靖春とは相対的に小柄で、優しげな母親と言った印象だ。髪は美羽と同様に茶髪だが、ロングヘアの髪は下ろして少しだけ捲かれていた。齢四十二と言うのに、童顔のためなのか未だその可愛らしさは衰えない。美人と言う大人の印象より、子供っぽさの残る可愛い印象なのだ。こうして雫を見た限り、美羽は母親似なのだろう。巨乳な部分も含め、実にそっくりだ。美羽が年を重ね成長していけば、雫のようになるだろうことが伺い知れる。


 話は戻り、全員が席に着き終わるや朝食は始まった。基本的に神野家では食事の際テレビは見ないため、誰かが喋らなければ無言の食事だ。ただ、今回は早々に父親――靖春やすはるが口を開いた。


「美羽、まだ髪を染めているのか。教師に注意されるぞ」


「大丈夫だよ、注意されてないし。それに注意される前に教師言い負かすから問題ないって」


「ぬっ、そうか。なら問題はないな」


 問題大有りだ、と運命は思いながらも素知らぬ顔でその会話を流す。神野家の食卓では日常茶飯事な会話だからだ。


 厳格そうな父親に見えて、しかしどこかズレている靖春を横目に見る運命。新聞を読みながら、美羽の返答にご満悦そうだ。その様子に、見るんじゃなかった、と運命は小さく溜め息を吐いた。


 だが、それがいけなかったのだろうか。靖春の標的が運命へと移ってしまう。


「……それで、運命の方はどうだ。進展はあったのか」

「えっ、俺? てか、進展って何の進展?」


 運命は靖春の突拍子も無い話の切り出しに、油断していたと言うことも重なって疑問符ばかり浮かべてしまう。そんな運命に、またもや靖春は前触れもなく爆弾を投じた。


「霧島さんとのに決まっているだろう。その髪も、霧島さんと一緒に切りに行ったと聞いたぞ」


「はぁ? 進展なんかあるわけないじゃん! そもそも、俺と麗奈はそう言う関係じゃないし!」


「またまたぁ、そんなこと言って昨日美容室から帰ってきた時、麗奈さんと抱き合ってたじゃん。ねぇ、お兄ぃ?」


 慌て否定する運命だが、ここにきて美羽からの更なる追撃を受けるはめになった。それも、誰にも見られていないと思っていた隠しておきたい内容での追撃だ。運命は首を痛めるのではないかと思うほどの速さでもって、横に座る美羽の方へと振り返る。


 そして、運命の目に映ったもの、それは美羽の小悪魔な笑みだった。それはもういい笑みを浮かべていた。


 運命は直感した。こいつ、このタイミングでわざと言いやがった、と。


「っ! 美羽、お前見てたのか! てか誤解だ、誤解! あれは麗奈が履き慣れないヒールで転びそうになったからで……」


「運命……、男が言い訳などするもんじゃない。しっかり責任を取るべきだ」


「親父は何の話してんだよ! 支えただけで、責任なんか発生してたまるか!」


「えー、やっちゃったんだから責任は持たないと、お兄ぃ」


「美羽、お前はこれ以上話をややこしくするな!」


「何だ、そこまで進展していたのか。運命、お前はまだ高校生なんだ。作るには早い。段階を置いてだな」


「だから親父は何一人で飛躍してんだよ! 違うって言ってんだろ!」


 巡るましく前に座る靖春と横に座る美羽とを見やり、運命は一人戦う。己の名誉を守るため、失うわけにはいかない尊厳を守るために。


「あらあら、まぁまぁ。今日は朝から賑やかねぇ。お母さん、嬉しい。うふふ」


 そして、そんな運命達を雫は楽しげに見つめる。見つめるだけで、運命を助けることも仲裁に入ることもないのだが。天然、なのだろうか。もしそうなら、この家族の中で一番質の悪い人はこの人なのかもしれない。


「ご馳走様! 俺、学校行くから! 行って来ます!」


 そうこうしているうちに、運命の我慢が限界に達したようだ。運命は勢い良く立ち上がるや否や、それだけ言って鞄を掴むと玄関に逃げていってしまった。


「あっ、お兄ぃ待ってよ!」


 運命と一緒に行こうと考えていた美羽は、急ぎ食事を済ませそのあとを追う。


 その後、慌ただしい二人が家から飛び出していき、食卓はすっかり静かなものとなっていた。だが、それは苦になる静けさではない。賑やかなものとはまた違った、居心地のいい空間だった。


「ふふ、今日は賑やかだったわね」


「……そうだな。少し、はしゃぎ過ぎた」


 ゆったりとした雰囲気の中で、雫が先ほどの光景を思い浮かべると、靖春もまた若干気恥ずかしげに同意を示した。靖春のそんな様子に、雫は自然と微笑む。


「靖春さん、楽しそうだったものね?」


「そうか、そうだな。雫も楽しんでいたようだが」


「ええ、楽しかったわ。これで本当に運命さんが麗奈さんと結婚してくれたら嬉しいのだけど」


「徐々に外堀も埋められてきているからな。焦らなくとも時間の問題だろう」


 雫が少し困った顔をすると靖春は新聞を閉じ、何も問題はないことを告げる。そして、少々温くなったお茶を口に含んだ。この会話をもし運命が聞いていたのなら、何と言ったのだろう。ふざけるな、だろうか。


 それはさておき、雫がまた笑みを浮かべた。今度は少しばかり悪戯が成功した子供のような笑みを。


「ふふ、そうね。それに麗奈さんのお願いだもの。協力しなきゃね?」


「あそこまで丁寧にお願いされてしまったからな。協力しないわけにもいかんだろう。何より、家の息子を貰ってくれると言うんだ。喜ばしい限りだ」


 雫に頷く靖春は、それだけ言ってもう一度お茶を啜る。と言うか運命の預かり知らぬところで、麗奈によって最大の家族そとぼりは既に埋められていたのだった。


 恐るべし、麗奈。いや、真に恐ろしいのはそれを運命に悟られないよう動く家族そとぼりの方か。


 ◇


 その頃、運命は追い付いた美羽とともに学校へと行くため、最寄りの駅へ向かっていた。本来ならば麗奈もここに入るのだが、美羽の言った昨日の件もありどうも先に行ってしまったらしい。運命が霧島家に迎えに行って確認したため、間違いはない。これに運命は内心、安堵した。やはり、気まずさは残っている。出来るだけ顔を会わせたくない思いがあるのも当然だった。


 そうして、二人が駅の近くまで来た頃、美羽がスマートビジョンで時間を確認する。その直後だ、美羽がいきなり慌て出したのは。


「お兄ぃ、急がないと電車来ちゃうよ!」


「ん? もうそんな時間になるのか。いつもより早めに出たってのに」


 そう、電車の発車時刻が思いのほか早かったのだ。しきりに制服の袖を引っ張ってくる美羽に、運命は暢気にも歩調を速めようともしない。


「当たり前じゃん! いつもはお兄ぃ寝坊するから、一本ずらして乗ってたの!」


「あー、マジか。知らんかった。去年もその電車に乗ってたのになぁ。てか、それならそれで一本ずらして、いつもと同じ時間のに乗ればいいんじゃないのか」


 美羽の怒った顔とは対照的に、運命は新事実の発覚に驚きはしたものの、歩調だけはどうしてか変わらない。暢気なままだ。しかし、そんな調子の運命に美羽は朝だというのに声を張り上げる。


「それやったら、早く出た意味ないじゃん! それに一本ずらして毎回遅刻ギリギリになってるの忘れたの!?」


「いやぁ、一応間に合うんだし良いんじゃないかな、と。それより、声デカいぞ。周りにも人いるんだし、気を付けろって」


「お兄ぃ……」


 だが、運命は困った顔をしながらも美羽に声の大きさを注意するだけだ。これには美羽も呆れた表情を浮かべるほかない。じっとりとした白い視線が運命に送られる。


 そして、美羽は不意に気が付いた。まさか、そんな理由で、と。そのまさかな理由とは。


「まさかとは思うけどさ。麗奈さんと鉢合わせするかも、とか思ってない?」


「……えっ? な、ないよ、そんな事思ってない。か、勘ぐり過ぎだぞ、美羽」


 運命の間の空いた返答。どもる口調に甲高い声。あ、これは当たりだ、と美羽は確信する。確信するとともに、兄の情けなさには何とも言い難い悲しみさえ覚えた。だからこそ、美羽は敢えてそれを口にする。


「うわぁ、それこそないよ。何、そのあからさまな態度。お兄ぃ、ヘタレ、ヘタレだとは思ってたけど、そこまでのヘタレだったんだ」


「ち、違うって。そんな事は一切考えてない。ふ、深読みし過ぎなんだよ、美羽は」


「ふーん、そっか。じゃあ何でそんなに汗かいてるの? まさか、暑いとか言わないでよ? 今日は肌寒いくらいなんだし」


 なおもどもりながら否定を続ける運命に、美羽は立て続けに問い質す。運命が墓穴を掘るよう、し向けたのだ。心苦しいが、往生際の悪い兄を矯正するのも妹の仕事なのだ、と。


「これか? これはだな、ちょっとお腹が痛くて冷や汗が。寒いせいかな、あはは」


 そして、運命は見事に美羽の誘いに乗ってしまった。軽い気持ちで発した言葉が、自らの首をこれ以上なく締め上げてしまったのだ。


 美羽の目が光る。来た、と。美羽の表情が笑みを浮かべる。今だ、と。賽は投げられたのだ。運命自身によって。


「そっか、そうなんだ。じゃあ、早くトイレ行かないとだよね? あ、ここからなら駅が一番近いよね! 駅に急ごうか、お兄ぃ」


「へっ? いや、ちょっ、待って」


 言が早いか、動が早いか、もしくはその両方か。美羽は過ちに気付いた運命の腕を掴むと、抵抗される前に駆け出した。


 そして、運命はそのまま間もなく駅に着くのだった。



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