一話 日常編(プロローグのそのあと一)
あるVRゲームイベントの会場で、三人の人物が出会った。それは、大規模な会場において奇跡とも運命とも取れる邂逅だった。三人が三人とも、導かれるようにその場に集ったのだ。そして、三人は同時に気付く。この目の前に居る二人だ、と。
ある新興ゲーム企業の社長は言った。
「何故、VRがMMORPGでなければならないのだ」
ある世界有数の大金持ちの子息は言った。
「何故、VRはMMORPGだけのものなのだ」
ある新進気鋭のクリエーターは言った。
「何故、VRの可能性を人は広げようとしないのだ」
三人は初対面でありながら、その思いの丈をぶつけ合った。VRゲームのイベント会場で、周囲にも大勢の人々が居るにも関わらず、三人は声高々に宣ったのだ。そして、三人は円を描くように肩に手を回す。この瞬間、三人は友となった。唯一無二の、掛け替えのない友に。
後に、この三人は大勢の人々を巻き込み、一つのゲームを創り出す。それがVR初のカードゲーム『S&G』だった。
三人のこの邂逅は、『S&G』の誕生秘話として今もなお語り継がれている。
『S&G』それは『シリーズ&ジャンル』と言うカードゲームの略称であり、またそのゲームのコンセプトそのものでもあった。
S&Gは大まかに分けて『キャラカード』『オプションカード』『ストーリーカード』の三種類のカード構成だ。それをデッキにし、『キャラカード』『オプションカード』合わせて五十枚、『ストーリーカード』十枚の合計六十枚デッキが原則となる。また、S&Gには勝敗を決めるコスト値と呼ばれるものが存在するのだが、今は省く。
キャラカードは文字通り登場人物達のカードだ。オフェンス能力値やディフェンス能力値があり、特殊アビリティなども特徴的なカードだろう。
次にオプションカードはそのキャラカードに影響を与えるカードのことだ。具体的に言えば、心理状態やキャラの属性、また武具と言ったものを付加する。
そして、最後のカードにして最重要カード。それがストーリーカードだ。これは、そのデッキのキャラカードに合ったストーリーを展開していくためのカードだ。このカードがストーリーを展開していく毎にキャラは強化され、また特殊な能力を発動出来るようになっていく。ストーリーカード自体にも特殊な能力を保持したものがあり、それは戦況すら左右する。故に、最重要カードなのだ。
このS&G、最初こそ製作者側の悪乗りから始まったそれは、しかし、ことのほか大成功を収めることとなった。それと言うのも、製作者側の悪乗りに更に悪乗りした者達が居たのだ。それが、このゲームの元となった者達。クリエーターだ。
このゲームは小説やゲーム、漫画などの定番、詰まるところテンプレなどをコンセプトにしたものだったのだが、それらのクリエーター達が面白がっては次々にテンプレなどを数多く創り出してしまったのだ。それによってゲームは混沌を極めつつ、その力を遺憾なく発揮した。
そして、それは今もなお途切れることなく続き、西暦二〇XX年現在もその勢いは広がり続けている。この勢いに、制作会社のS&G社はカードゲーム業界やVR業界において、有数の企業として高いシェアを獲得した。またそのシェアも業界を越えて幅広く、今ではアニメや漫画、小説においても着々と力を付けていた。
これだけの力を持つに至った経緯についてはもう一つ理由がある。それが、カードゲーム他社に先んじてのVR進出。いや、VRを使ったカードゲームの開発と言うべきか。今まではMMORPGの一部しか進出していなかったその分野に、カードゲームとして初めて進出したのだ。これが大きかった。初進出と言うことは、それだけその市場を独占出来ると言うことに他ならない。それはつまり、一時的にとは言え莫大な富を得られると言うことだ。そして、独占が終わろうと築き上げた地盤は既に確かなものとなり、揺るぐこともない。
また、この事はS&G社の経済面を大きく潤しただけでは終わらなかった。S&G社はこれを様々な面において、還元したのだ。一つ目に、新規に多くのクリエーターや社員を雇い入れ、何度目かの就職難に陥っていた日本の雇用問題に少なからずの貢献を。勿論、誰彼かまわずと言うわけでもないのだが。二つ目に、ユーザーへの還元だ。その一端がカードの低価格化やカードのバリエーションの大幅増だ。これによって多種多彩なデッキが生み出された。
更に、VRと言う環境を活用した還元もあった。それが、VR内でのイベントや大会の開催だ。月に一度ならず、下手をしたら週末には毎回何かしらのイベントや大会が行われている。定期イベントやその時期や季節に合った限定イベント、尽きることを知らない打ち出され続ける企画など、実に様々だ。そして、これらは社員やクリエーターを大勢雇い入れた事によって成せるものだった。
つまり、循環なのだ。S&G社から社員やクリエーターへ、社員やクリエーターからユーザーへ、ユーザーからS&G社へ、と言ったように。どこの会社でもこれは当たり前のものではあるのだろうが、実際に円滑な循環と言うものはなかなかに難しいものだ。どこかが負担を強いられ、軋みを上げるのが常々。そして、その負担を強いられる多くは社員であったり、ユーザーだ。悲しいことではあるが、会社がその負担を受け持つことは少ない。だが、それを良しとしなかったのがS&G社だ。負担を強いるのなら、上に立つものがそれを率先するべきだ、と。それがS&G社の上層部、具体的に言えばS&G社創設者であり社長――霧島 大二郎の意志だった。
勿論、S&G社もリスクや負担だけを背負ったわけではない。確かなメリットもあった。それが、大会やイベントの会場などに掛かる諸費用を大幅に抑えられると言うもの。VRでそれらをやることによって、現実では不可能な支出を容易く出せるだけの支出にしたのだ。これによって、夏と冬に行われる現実でのイベントはかなりのコストを割くことが可能となり、豪華で盛大なものとなる。それこそ、イベント参加者に対してこれでもかと言う程の大盤振る舞いが出来るくらいには。
だからこそ、収益もまた伸びるのだ。現実でのイベント来場者が増えれば、それだけ消費してもらえる金額も増える。上手くいけば、これだけでもイベントの採算は十分に取れるだろう。他にも、このイベントに出店する様々な店からのテナント料金も入るのだ。リスクを負う価値はある。
霧島 大二郎は言う。
『S&G』それは未だ発展途上のゲームであり、永久に完成しないゲームなのだ、と。
◇
太陽が夕日と成るため傾き始めた雲一つ無い晴天の日。とある住宅街の一角にある一軒家で事は起きていた。とある人物が椅子に座り込んだまま頭を抱え、悲痛なまでの表情で苦悩していたのだ。
「……やっちまった。やっちまったよ、おい。どうすんだよ、絶対殺されるじゃんか。何やってんだよ、俺! 謝るか? 無理だ、あいつが許すとは思えない。逃げるか? 無理に決まってる。あいつの家、向かいだぞ。見つかるに決まってんじゃん! くそ、馬鹿やっちまった……」
この今にも死にそうな悲壮感を漂わせている人物、実は先ほどまでS&Gでフェイトと名乗っていた青年と同一人物だ。
VRのフェイトとは違い、ボサボサの無造作に伸ばされた黒髪。切れ長の目元と、直に見たのなら吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳を隠す、度の入っていない使い古された黒縁眼鏡。顔の造形自体はそれこそ老若男女関わらず、見惚れるくらいには整っていると窺えるが、その髪と眼鏡のためかどうもぱっとしない印象を受けてしまう。そんな人物の本名は、神野 運命と言う。八月一日生まれの十六歳。高校二年のまだ年若い少年だった。
そんな彼がここまで苦悩しているのは、やはりとも言うべきかVRでの一件が発端だった。あの罵倒の応酬だ。あれがあの時一度きりのものだったならば、運命もまたここまで苦悩する事もなかった。誠心誠意、許してもらえるよう謝ればいいのだから。だが、違う。運命は既に何度も、あれと似たような事をしてしまっていたのだ。それも今回のものはその中でも特に酷い部類に入る。
VRにリアルネタを持ち込んでの罵倒であり、相手のコンプレックスを突き刺す罵倒でもあった。こうも同じことを繰り返し、また同様に謝罪も繰り返してくると、さすがに謝って許されるなど都合のいい話があるわけもない。つまり、今度という今度は泣いて謝ろうが許されないと言うことだ。故に運命は苦悩する。
と、そんな時だ。運命の部屋のドアがノックも無しに勢い良く開け放たれたのは。もう来たのか、と運命は思わず身体を硬直させたが、入ってきた人物は運命の思っていた人物とは違ったらしく、その硬直も一瞬のものだった。だが、運命のそんな様子など気にせず、勢いに乗って入ってきた人物は叫ぶ。
「お兄ぃ! 何やっちゃってるの!? 麗奈さん絶対怒ってるよ!? ううん、怒ってるなんて生易しいものじゃないよ、きっと! いくら何でも、日も置かずにあの挑発は駄目だよ! 握手の時だって、あれ揉めてたでしょ! 本当に何やっちゃってるの!?」
ドアを開け放った人物、それは運命の妹である神野 美羽だった。年齢は運命の一つ下。つまりは十五歳だ。運命と同じ高校に通う高校一年生である。肩の少し下ほどの染めているらしい明るめの茶髪に、前髪はヘアピンで右側に集められ留められている。そこから見える可愛らしく整った顔立ちは、薄い茶色の大きな瞳を際立たせているようだった。身長もその可愛らしい顔立ちに合ったもので、百四十後半と言ったところか。華奢で庇護欲を駆り立てるその姿は、さりとて不釣り合いな物も携えていた。主に胸囲の部分で。平たく言えば、巨乳である。それも、目算でEカップ程の。
それはそれとして、その可愛らしい顔立ちも今は少々しかめられていた。それと言うのも、美羽もまたVRでの出来事を目撃してしまっていたからだ。もっとも、美羽は観客席の方に居たため、試合後の罵倒の詳細までは知らないが。聞こえていたのは試合中の罵倒だけだ。しかし、それだけで十分だった。ああ、これは麗奈さんのお兄へのお仕置き間違いないな、と美羽が悟るには。だからこそ、その事を説教しなければと思い立った美羽が運命の部屋に訪れ、今に至る。
一方、叫ばれた運命は若干半泣きになっていた。美羽の発言にあった麗奈の一言が怯える運命の琴線に触れたらしい。
麗奈、それはVRでのレーナ自身だ。本名――霧島 麗奈。運命と同じ高校の同じクラス、十月八日生まれの十六歳だ。そして、運命とは家が向かいと言うこともあり、幼なじみの関係でもあった。しかし、そんな幼なじみである二人には明確な上下関係と言うものが存在した。普段はそう言ったものは存在しないのだが、一度彼女を怒らせてしまえば運命は抗う術を無くし、結果として運命は麗奈の下僕と化してしまうのだ。
今回の事態についても同じ事。それ故に、運命は必要以上に怯え、苦悩している。
ならば何故、そうなると分かっていて運命はVRであのような真似をしてしまったのか。別段、運命がマゾだからと言うわけではない。ただ単に、運命は特定の条件下においてVRでは人が変わってしまうからだ。
だからこそ、運命は美羽に訴える。
「仕方ないだろ。VRやってると、どうしてか性格が変わっちまう時があるんだから。俺だって今、絶賛後悔中なんだよ。てか、美羽も俺の妹ならピンチの兄貴を助けてくれよ」
「やだよ、私は麗奈さんの味方なんだから。いくら性格が変わるからって、女の子には言っていいことと悪いことがあるの! お兄ぃのあれは完全にアウトだよ! だから、お兄ぃを助ける義理はない!」
だが、美羽はそんな訴えを真っ正面から叩き潰した。お兄ぃが悪い、と人差し指を突き付けることも忘れない。これに運命は絶望するしかなかった。最早、命運は尽きたとばかりに。
しかし、運命のその絶望した姿を見据えていた美羽がまたしても口を開く。そこから出てきた言葉は美羽の今の表情にぴったりと合ったものだった。そう、ニヤリとした悪魔のような笑みに。
「でも、まぁ、お兄ぃもこのままじゃ可哀想だしねぇ。何かご褒美があったりしたら、私も助言とか出来るかもね? ああ、そう言えばこの間、私がいつも買ってる所のアクセサリー、新作が出るんだって。あ、駅の近くに新しい喫茶店もオープンするんだっけ。どうしよう、行きたいなぁ」
「お前って奴は…………」
弱みにつけ込みやがって、と運命は小さく吐き捨てるも、目の前でニヤニヤと笑みを浮かべる美羽に抗う言葉を持ち合わせてはいなかった。逆らえば、この妹は必ず麗奈の側へ流れ、更に恐ろしい目に遭うのは分かり切っているのだから、と。この時既に、運命には選択の余地など残されてはいなかった。
運命は屈した。実の妹に。苦々しさをひた隠し、口角が引きつる思いをしながらも笑みを浮かべ、運命は美羽に快諾の意を示す。
「任せとけ、美羽の欲しい物なら何でも買ってやるよ。だから、頼む。助言を下さい」
「もう、仕方ないなぁ。今回だけ、特別に助言をしてしんぜよう。とくと聞くが良い」
「ははー、有り難き幸せでございます」
美羽の調子に乗った物言いに内心報復を考える運命だったが、それをぐっと堪えその茶番に付き合う。表面上の態度はそれこそ平伏したようなものだ。ただ、そのうち絶対に仕返ししてやる、と心には誓っていたようだが。
兄、運命がそんなことを考えているとは知らない美羽は、その平伏した様子を機嫌良く眺めている。そして、それを十分に堪能するや上がったテンションのまま言い放った。
「ふっふっふ、とても簡単な事だよ、お兄ぃ。お兄ぃのそのボサ髪を整えるなり結ぶなりして、そのダサい眼鏡を外しちゃえば万事解決! お兄ぃは百八十台の高身長だし、スタイルも何気に細マッチョ。不覚にも、お兄ぃの素顔は耐性のある妹の私でもときめいて赤面ものの超美男子! これだけの好条件を使わない手はない! まず間違いなく、麗奈さんの怒りも消し飛ぶはずだよ!! それどころか、艶のある良いムードに突入しちゃうかも!? キャー!」
「……却下。それだけは無い。有り得ないから」
美羽の無駄に高いテンションで告げられたそれを、運命は冷たい眼差しとともに切って捨てた。その選択は絶対にないし、妹とは言え、その選択を示してくるのなら容赦はしない、運命の目はそう語っていた。
しかし、それで怯む妹でもなかった。少しばかりむくれた表情を見せたものの、美羽は運命に言い返す。現実を見ろ、と。
「なら、甘んじて麗奈さんの怒りを受け入れるんだね。いいんだよ、私は。今回の件はお兄ぃが全面的に悪いんだから。ボコボコにされても知ったことじゃないし?」
「うぐっ……、だからってそれは……。美羽、お前だって俺が素顔晒したくない理由知ってんだろ。勘弁してくれよ」
「知ってるけどさ。ぶっちゃけその理由って、モテない男子からしたらマジふざけんなって言うようなのだし。私としても、リア充乙! って感じなんだけど」
無情にも、現実を突き付けられた運命が捨てられた犬のような眼で美羽を見つめるも、今度は美羽が運命に冷たい眼差しを送る結果となった。それと言うのも、運命の拒否した理由が美羽にとっては溜め息ものの理由だったからだ。
だが、運命は反論する。そんなものではない、と。あれは死んだ方がマシなレベルの事件だった、と。
「俺にとってはトラウマもんなんだよ! 分かるか、何の気なしに公衆の面前で眼鏡外したら、キャーキャー言いながら押し寄せてきた猛獣どもの恐怖が!! 囲まれたが最後、圧死寸前まで追い込まれて、果ては身ぐるみを全部剥がされる絶望が!! 下着すら脱がされて全裸だぞ!? 挙げ句の果てには、警察に全裸だ何だ言われて公然猥褻で現行犯逮捕食らって、学校と家にまで通報だ! 有り得ないだろ、俺は被害者だってのに!!」
それは、彼がまだ中学校一年生の頃に起きた事件だった。自分を含めた友人三人で、都心部へと遊びに行った時のこと。
その頃、オシャレにはまだあまり興味はなかったが都心部へ行くということもあり、運命も普段はしないオシャレを意識した服装や髪型をしていた。更に親から常に掛けているよう言われていた眼鏡も、都心部に着いた頃には外してしまっていた。そして、いざ都心部で遊ぼうとした矢先、悲劇であり喜劇でもあるそれは起きた。
それはまさに唐突だった。突如として、友人二人を押しのけて女性の大群が運命を囲い込み、次の瞬間にはもう襲いかかってきたのだ。全く予想もしていなかった出来事に、運命は為すすべもなく女性らの荒波に飲み込まれてしまい、友人二人に慌てて助け出された頃には時すでに遅かった。身ぐるみは全て剥がされたあとだったのだ。
その後、騒ぎに遅れてやって来た警官数人によって運命達は連行され、親や学校に連絡される事態となったわけだ。後に、警察の誤解は解けたものの、運命の心には消そうにも消し切れない傷が残ってしまったのだった。そして、それは今もなお運命の心に残り続けている。それでも、運命が不登校や引きこもりにならなかっただけ奇跡と言うものなのだろう。
だが、妹の美羽は運命の心の叫びたるその言葉を聞いてなお、ばっさりと切り捨てた。そうすることが兄の為だから、と。
「私もその事は覚えてるから分かるよ。酷いことだったとは思う。お兄ぃがそれで傷を負ったのも知ってる。でもさ、麗奈さんはそんな人達とは違うでしょ。現実の女の人を怖がるようになったお兄ぃをずっと支えてくれたじゃん。ずっと傍らに居てくれて、ずっと助けてくれたじゃん。だからお兄ぃのトラウマだって薄れてきて、今じゃ普通に女の人とも話が出来るようになったんじゃないの?」
「そりゃ、そうだけど……」
美羽のその訴えかけるような言葉に運命は顔を背け、何も言い返せなかった。美羽の言っていることは偽りのない事実で、運命自身その通りだと自覚もしていた。だが、麗奈に対して、そう言った手段は講じたくないと言う思いもあった。故に、運命は渋る。
美羽の言っていることは正しい、それくらい兄である運命も理解している。理解していてなお、運命は答えに窮していた。美羽の言うとおりにするべきなのだと思いながらも、それだけは絶対に出来ないと言う思いに揺れ動いているようだった。
動揺を隠すこともなく揺れ動く運命の心情を、その様から感じ取った美羽。あと一押し、と美羽が再び口を開こうとしたその時、玄関で呼び鈴の鳴る音が部屋まで届く。それはつまり、とうとう麗奈が家に来たことを告げていた。
それによって、一度出そうになった言葉を美羽は飲み込み、次いで新たに違う言葉を運命に告げた。
「あー、来ちゃった。お兄ぃ、いい加減選びなよ。覚悟決めるか、諦めるか。私は麗奈さんと世間話でもしてくるからさ」
美羽はそれだけ告げると、運命の部屋から去っていった。時間稼ぎをしてきてあげる、と言うことなのだろう。何だかんだ言っても、美羽は運命に甘いのかもしれない。
美羽が去ったあと、運命は一人、部屋で悩むこととなった。未だ、答えは見つかっていないようだった。だが、それも束の間のこと。運命は決断する。
「うしっ、逃げるか。いや、今更逃げられないし、どっかに隠れよう」
見事なまでのヘタレっぷりだった。攻めるでもなく、甘んじて受け入れるでもなく、第三の選択肢を運命は選んだのだ。そう、事態の先延ばしと言う選択肢を。その決断の裏には、あわよくば怒りの鎮静化を狙ったものもあった。だが、運命は気付いていない。その逆、怒りが倍増する事もあると言うことを。
そんな事は微塵も思い浮かんでいない運命は、早速どう動くべきかを頭の中で模索する。
「一階は麗奈が居るし問題外として、二階か。俺の部屋は当然有り得ない。美羽の部屋なんて、入ったことがバレたら何されるか分かったもんじゃない。残るは、空き部屋兼物置部屋か。あそこなら天井裏にも行けるし、隠れるには最適……。うし、物置部屋だな」
そうと決まれば即実行、と運命はすぐさま部屋から出ようとドアに向かい、足を一歩廊下に踏み出そうとした。その瞬間だ。一階と二階を繋げる階段から、声と足音が聞こえてきたのは。それは美羽による懸命な制止の声と、美羽の制止など関係無いと言わんばかりの麗奈の重い足音だった。
そして、その足音だけでも分かることがある。それは麗奈が本気だと言うことだ。本気で怒っているのだ。まだ正面にも立っていないにも関わらず、運命はその怒気を感じ取ってしまった。
得も知れぬ恐怖におののいた運命は部屋から出ようとしていた足を引き戻し、中へと舞い戻ることを余儀なくされた。予想外の事態に、運命の思考は混沌を極める。
「おいぃ、格好良く出てった割りに全然時間稼ぎ出来てねぇぞ、妹よ! どうする、ヤバい。何にも思い付かねぇ!」
運命は顔を青白くさせ頭を抱えて悶えるが、一向に新しい策は浮かんでこない。仕方なく、取り敢えずの行動として部屋のドアは閉めたが、こんな事では僅かばかりの時間稼ぎにもならないだろう。
刻一刻と断罪の時が迫る中、何か、何か無いか、と運命は部屋を見渡す。この状況を打開出来るなら何でもいい、とばかりに。そして、それが運命の目に飛び込んでくる。運命の目に飛び込んで来たものとは――――。