第六話
暗い室内。意識がはっきりしない。
ここはどこだ? 身体が起き上がれない。
どうやらベッドに寝かされているらしい。
動かそうとして身体に命令を下しても拒否される。自分の身体が自分のものではないようだ。
暗い暗い空間を打ち破ったのはわずかな音。キィッと扉が開く。
見えたのは影。人の形をした影。入ってきた影の顔は見えない。
影は近づく、一歩一歩ひっそりと。
ニゲロ ニゲロ ニゲロ ニゲロ ニゲロ
本能が必死に警鐘を鳴らす。
しかし、動かない身体。
ついに影は目の前に。叫ぼうとしても声が出ない。
影はまっすぐにこちらを見据える。黒く蠢く影が笑ったようにみえた。
上に覆い被さり、ギラリと光る歯を突如出現させる。真正面にいるはずなのに顔も手も何もかもが見えない。墨で塗りつぶされたかのように、只ひたすらに黒い。見えるのは歯だけ。
影の口が首に近づく。
悲鳴を上げようとするが、声にならずに喉の奥へと飲み込まれていく。
そして、ついに、影の鋭い歯が首へと突き刺さった。
「やめろっっ!!」
ようやく、声が出たのは現実に引き戻されたとき。
フローリングの施された床から、身体を起こす。
「夢…か…」
倒れた椅子。つけっぱなしのPC。着たままの制服。寝汗が酷く、気持ち悪い。
何度か手を握り締め動作の確認をする。
どうやら、身体は動くらしい。
時計を見ると既に朝になっていた。平日であれば遅刻確定の時間だが、幸い今日は休日。
「…今さらあの夢かよ…」
竜也は知っている。
あれは夢だが現実でもあるのだと。
夢とは脳が頭の中で見たストーリーを、つなぎ合わせて見せるものだという。
だとすればあれは、実際にあった出来事なのだ。
覚えてはいないはずの、修学旅行の夜の物語。
思い出したくても思い出せないあの夜。
「寝汗酷いな、シャワーでも浴びるか」
立ち上がり、風呂場へと向かおうと閉め切ったカーテンの前を横切る。
わずかな切れ目から、明るい光が顔に直撃する。
その時――
「痛っ」
わずかな刺激を肌に感じる。ひりひりと、陽にあたった場所に。
竜也は朝に弱いが、陽の光を浴びて痛みを感じるようなものではなかった。
それなのに痛い。鈍い痛み。
「どうなってんだ一体?」
陽のあたった頬をさすりながら、首を傾げる。
何度か試しに色んな場所を陽にあててみるが、どこもかしこも痛い。
「おかしいな…」
この後病院でも行こうかと考えながら、風呂場に入る。
寝汗で酷く蒸れた制服を脱ぎ捨てる。鼻を覆いたくなるような臭いが漂ってきそうだ。
シャワーの温度は最初冷たかったが、出し続けていると温かくなってきた。
適当に身体を洗い、私服へと着替える。
制服のポケットからケータイを取り出しメールを確認するが、新しいのは広告メールだけ。
「コインランドリーでも行かないとな」
制服を見つめながら呟いた。今日は予定が無かったが、これで時間をつぶせる。
ショルダーバッグに制服を乱雑に詰め込む。
店長からもらったおにぎりを口に放り込み、日光対策に身体を覆う上着を羽織って家を出た。
コインランドリーは家から歩いて15分ほどのところにある。
丁度そこは、高級住宅街との境目にもなっている。
竜也は決して貧乏ではないが、PCやらケータイに金を使って洗濯機を買う金が無かった。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが。
向かう途中の人影は朝で休日ということもあり、それほど多くない。
「ちょっと君」
不意に声をかけられる。
声のした方を向いてみると、白い制服に身を包んだ若い男。制服には六芒星が象られたピンバッジのようなものをつけている。
これはエクソシストというヴァラヒアの警察の証だ。
勿論彼らもヴァンパイアなので、エクソシストを名乗るなんてのは世界の宗教家が聞いたら卒倒するだろう。
顔立ちからして日本人ではない。
相手もこちらが日本人と判断したのか、流暢な日本語で尋ねてきた。
「ここで何をしているんだ?」
いわゆる職質というやつだ。
閑静な住宅街を歩く竜也の姿は正直浮いている。全身を覆う黒い上着は不審者と言われてもしょうがない。
「コインランドリーに行くだけですけど? ほら」
ショルダーバッグに入った制服を見せる竜也。
「一応中身を確認させてもらうぞ」
「どうぞ」
がさがさとバッグの中を漁るが、当然何か出てくるわけも無い。
一通り調べ終わると
「呼び止めて悪かったな。もう行っていいぞ」
と言って解放された。
無駄な時間を使わされたことに若干苛立ちながらも、もっと良い朝陽対策を考えなきゃなと思う竜也だった。
「ッチ、紛らわしい格好してんじゃねーよ。怪しすぎんだろアイツ」
竜也が過ぎ去った後若い男はそう呟いた。
「最近はここら辺で行方不明になるやつが多いってのに、あんな格好で歩いてたら怪しいと思うわ」
苛立ちながら自分の失態を自分に言い訳する男。
そんな男の耳に機械音が鳴り響く。胸ポケットからその元であるケータイを取り出す。
液晶に表示された名前を見ると、それはまだ来ていない同僚のものだった。
「もしもし、なに…? 今日は調子悪いから午後から出勤します? テメェ、また寝坊じゃねぇだろうな? おっ、おい…。切れやがった…」
ツーツーと切れた事を示す音が鳴る。
「ったく、アイツまた寝坊しやがったな。昼から来たらしっかり事情聴取してやる」
いつも寝坊する同僚の顔を頭に思い浮かべ、男は巡回へと戻った。