第四話
それは小学校の修学旅行。
六年の学校生活の中で最も楽しい行事の筈だった。内容は特筆する事もない程に平凡な一泊二日の旅行。
それでも楽しかった。俺にとっては未知の体験に溢れた冒険だったからだ。
午前中に遊びまくったのに、夜になっても上がりっぱなしのテンション。
部屋の中では夜に大富豪をやった。先生が時折見回りに来る緊張感も、いいスパイスになった。
最後は部屋の皆で何時まで起きていられるかという耐久レース。
今思えば、なんてくだらない事をやっていたのだろうと思うが懐かしくも感じる。
そして途中で睡魔に負けレースから脱落した。
これが俺が人間だった頃の最後の記憶。
翌朝、目を覚まし洗面台の鏡で自分の顔を確認する。そこに昨日までの俺はいなかった。
隠しようもないほど、不自然に発達した歯。部屋に差し込む朝陽が痛い。身体は錘でも付けたかのように重く感じられた。
遅くまで起きていたのだろう、時間になっても起き上らないクラスメイトたち。
不意に身体が熱くなる。動悸が止まらない。部屋で眠るクラスメイト。頭の中で本能が叫ぶ。
―――アア、ナンテオイシソウナンダロウ
それはまるで俺の言葉ではないかのように、心の中で響き渡る。
気づけば俺は―――クラスメイトに襲いかかっていた。
「ウ゛ア゛ッァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァ゛!!!」
俺の異変に気づいた一人は悲鳴を上げ、他のクラスメイトもその声で目を覚ます。必死に数人がかりで俺を止めようとするが、ヴァンパイアとなった俺の力は子供の力では止めきれない。
それでも朝だったからだろうか、数分の時間を稼ぐ事が出来た。その間に騒ぎを聞きつけた先生たちが部屋に駆けつけあっさりと俺は捕まった。
捕まった後の俺を見るクラスメイトの眼を未だに覚えている。恐怖と侮蔑がこもった眼。それはもう俺が人間ではない事を認識させた。
先生に引きずられ連れていかれたのはホテルの中にある薄暗い部屋だった。入る時には手錠を付けられた。
隔離部屋というやつだったのだろう。
ヴァンパイアが現れた時に一時的に捕獲しておく為の場所として、多くの店には国から設置が義務づけられているらしい。
そんな薄暗い部屋の中には先客が居た。美しい金髪の髪の少女。俯いていて顔は確認できなかったが、こんな髪の女子は一人しか思いつかなかった。
確か5年生の時に転校してきた子だ。
毎日のように寝坊して学校に遅れてきていた気がする。
この時には不思議と吸血衝動は治まっていた。
俺は小さく口に出して少女に訪ねた。
「お前は…?」
少女は俯いていた顔を上げ、俺を見上げる。
「ここに居るってことはそういう事だよ。」
そういう事という意味をすぐに俺は理解した。
――ああコイツもか。
不謹慎だったが、仲間がいた事に安堵する自分がいた。
「私はミラ・クラヴァード(milla clavard)。って、同じクラスなんだから言わなくてもよかったかな?」
「俺は…」
「知ってるよ、白銀竜也君でしょ?」
先んじて俺の名前をミラが答える。
まあ同じクラスなのだし知っていても不思議ではない。
落ち着いてきた頭を必死に整理して言葉を吐き出す。
「これからどうなるんだ…」
「普通だったらヴァラヒア送りだろうね。」
「ヴァラヒア…」
当時の俺はヴァンパイアを化物だと信じていた。
それは未だに根強く残る差別教育の表れだったのだろう。
「どうして…俺がこんな事に…。俺は何もしてないのに…。」
泣きながらそう呟いた。今思えば情けない話だ。それでもあの時は、ヴァンパイアという未知への恐怖に怯えていた。
対するミラは怯えた様子もなく、ただ冷静に事実を告げる。
「先生に聞いた話だと寝ている間になぜか私たちだけ襲われたんじゃないかってさ。」
「俺たちだけ…?」
「そう、私たちだけ。」
それ以降会話が止まってしまった。
頭の中ではどうして?という疑問が渦を巻いて回り続ける。
少しして、薄暗い部屋に一筋の光が差し込んだ。
それは唯一の出入り口であるドアから。
光の先に立っていたのは青い制服に身を包んだ警官だった。
言われるがまま白黒パトカーへと乗り込み、向かったのはいくつもの船が停泊する港。
「降りろ。」
高圧的な警官に言われパトカーを降りる。
警官の誘導で、港を歩く。
その内いくつかある船の中で一際ぼろい船の前で立ち止まった。
「乗れ。」
短くそう告げて警官はぼろい船を指さした。
中に入ると乗客は俺とミラだけで、他にはだれも居ない。
がらんとした船内。
大部屋に連れていかれ、外からカギを閉められた。
だだっ広い室内にポツンと取り残された二人。
けたたましい汽笛を響かせ、船はヴァラヒアへと出航する。
船内はどうしようもないくらいに静かで、俺たち以外に乗客はいないらしかった。
ミラがなぜかそわそわしていたのを覚えている。
ヴァラヒアに着くまでの時間はどれくらいだったのか分からない。
俺は頭が真っ白になって何も考えられはしなかった。
やがて船はヴァラヒアに到着し、乗組員らしき人が俺たちを外へと連れ出す。
空は暗く綺麗な満月が燦然と輝いていた。
目の前には大きな門が聳え立っていた。
海の孤島であるヴァラヒアは島の周りを大きな門で囲われており、門を通れるのはヴァンパイアだけだ。
人間の乗組員らしき人は門についている電話で何事か話すと俺たちを置いて船へと戻っていった。
少しして門の奥から一つの人影が出てきた。
歯は尖っており、一目でヴァンパイアだと分かった。
人影が見えたところで船は汽笛を鳴らし夜の海へと消えていった。
近づいてきたのは歯以外に眼を向ければ、普通のおじさんだった。
一瞬化け物だと思ったが、すぐに自分も変わらないのだという現実に突き当たる。
話を聞くとどうやらヴァラヒア政府の職員らしい。
ヴァラヒアでは外から子供だけがやってくる場合は生活を援助してくれるのだが、どうやら俺たちのようなケースは近年稀らしく、生活できるような環境はまだ整っていないとの事だ。
職員のおじさんに連れられヴァラヒアに入ると、そこには何の変哲もないくらいに普通の街が広がっていた。眩いビルの光。車も信号もある外の世界と何も変わりはしない風景。
このときは、驚く俺を尻目にミラがやたらはしゃいでいた気がする。
その日は街のホテルに一泊した。
夕食はバイキング形式でこれも外と何も変わりが無い。しかし食事が喉に通らなかった。
ベッドもふかふかで、特に不自由はなかったが眠ることはできなかった。
一日で自分の身に起こったことが信じられなくて。
もう2度と親にも友達にも会えないのだと思うと悲しくなった。
その晩は夜通し泣いていた。泣かないとどうにかなってしまいそうだった。
翌日の俺はきっと酷い顔をしていたのだろう、ミラに「大丈夫?顔色悪いよ?」と言われてしまった。
この日はヴァラヒア職員のおじさんが頑張ったのか、急遽学校に通うことになった。
俺は乗り気ではなかったが、行かないと何も始まらないことは明白だった。
最初学校に行った時の俺は、生徒をみんな化け物として見下していた。
こいつらはみんな化物だと、俺は人間なんだと。
そんな俺がクラスに馴染めるわけもなく瞬く間に孤立した。
その頃鏡で見た俺の眼は目つきがひどく悪く生気を感じられない眼だった。
対するミラは誰とでも分け隔てなく接し、クラスの人気者になっていた。
ある時俺はミラに問いただした、どうしてそんな風に明るくいられるのか、人間としてのプライドはないのかと。今思えば馬鹿過ぎる質問だ。
俺の問いにミラは晴れやかにあっさりと答えた。
「人間もヴァンパイアも何も変わりはしないんだ。心だってあるしね。ヴァンパイアとしての生活を受け入れなよ。私たちはヴァンパイアになってしまったんじゃない、なれたんだ。」
この言葉はヴァンパイアになってしまったという現実から目を背け続けていた俺に、現実を見させた。
もう俺は完全にヴァンパイアなんだと、頭ではわかっても心の奥底では認められなかった俺を。
同じ境遇のミラに言われたことで、現実を直視した。
この日から少しずつではあるが俺は見下すことを止め、今ではそんな眼で見ることはなくなった。
おそらくミラがいなければ今の俺はいない。
そんな昔の自分と同じ眼をした少女。
彼女の心中では疑問と不安。
そして絶望感が渦巻いているのだろう。