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ギレイの旅  作者: 千夜
3章
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氷の谷1

 小さな町の図書館で、儀礼は子供用の本を手にとっていた。

 シカやリスといった動物たちと、少し長い金の髪の少年が表紙だ。

 その絵本の原語、アルバドリスク語で書かれたものを持っていた。それで母の国、アルバドリスクの言葉を覚えたのだ。

「懐かしいな」

 なんとなく、ページをめくる。

 昔、この絵本の主人公と話しをする夢を見た。覚えたアルバドリスクの言葉を誰かと話したかったのかもしれない。


「その本が好きなのかい?」

 笑いながら絵本を見ていた儀礼に、優しそうな笑顔で眼鏡をかけた男が話しかけてきた。

 白髪まじりの髪は茶色く、瞳も薄い茶色をしている。透き通るようなその色が、父を思い出させた。

「子供の頃持っていて」

 儀礼が言えば、男は微笑む。身なりがよく、高い立場にいる人のようだ。男は真っ直ぐな姿勢で手を後ろに組んでいる。

「私はこの町で美術商をしていてね。綺麗な物が好きなんだ。その絵本の絵も美しいよね」

 穏やかな話し口調に、自然と聞き入ってしまう。

 百年以上前に描かれたと言うこの本の挿絵は本当に美しく、言葉が翻訳されても絵だけはそのままにして各国で出版されていた。


「君の髪も綺麗だねぇ。その絵本の中の主人公と同じみたいだ」

 男が優しく微笑む。

 優しい笑みなのだが、儀礼の中の何かが警鐘を鳴らす。

「君の顔もとても、美しい。美人だと言われるだろう?」

 男が、儀礼を少女だと勘違いしていることに気付いた。

「いえ」

 儀礼は本を棚に戻す。めぼしい本がなかったので、こんな絵本コーナーにまで回ってきたのだ。


「氷の谷って、知っているかい? 町の外なんだけどね、とても綺麗な所なんだ」

 男が、窓の外を見て眺めるように言う。空の端を夕日が薄く染め始めていた。

「すみません。急ぎますので、これで」

 儀礼は軽く頭を下げると出口へ向かう。

「素敵な所なんだよ、一度行ってみるといい」

 男は優しい笑みのまま儀礼を見た。

「君は、美しい物は美しいまま残したいと、思わないかい?」

『ずっとそのままきれいだったらすてきだと思わないかい?』

 男の言葉が、記憶の奥の別の声と重なる。

「あまり興味ないですね」

 それだけ言って、儀礼は図書館を後にした。


 ”穴兎、氷の谷って知ってる?”

 ”ナイスタイミングだギレイ。ちょうどそれを知りたかった。”

 ”?”

 アナザーにメッセージを送ればよくわからない返事。

 ”前に言ったろ、何か事件が起きてるって。何箇所か候補が出たんだが、その一つが氷の谷だ。絞る条件が欲しかった”

 前に言ったとは、獅子が領主に招かれた祝宴の日のことか。寝る直前にアナザーからそんなメッセージが来ていた。

 ”それで? 一体なんなの? アナザーが心配するような事件て”

 儀礼は歩きながら文字を打ち込む。後ろから、人がつけていないか確認もする。


 ”不可解な事件だよ。行方不明者と、人体売買。それも、売られてた人間に身元が無い。まったくの出自不明だ”

 アナザーが不可解なんて言葉を使うなんて、なんだか不安になる。なんだって知っていそうなのに。だからこそ調べに乗り出したのだろうが。

 しかし、出自不明とは。

 ”どういうこと? 孤児とか誘拐されたとかでなく?”

 儀礼は眉をしかめる。

 ”違うんだよ。調べる側の人間も困ってるらしいんだが、自分が生まれたのは70年前だと言うんだ。どう見ても二十歳前後の人間が。”

 ”70年前? 本当にその年に生まれたなら死んでておかしくない”

 儀礼の亡くなった祖父が70年前の生まれだ。寿命が60歳と言われる中で長生きした方だった。


 ”ああ、それだけじゃない。600年前に生まれたってやつまでいる”

 ”600年前?! ありえないだろ! 自分をその時代の人間だと思い込んでるってこと?”

 儀礼は思わず立ち止まって考え込む。

 ”いや、それがさ。歴史とぴったり合うんだよ。そいつらの言ってること。”

 アナザーは相当調べたらしい。

 ”合ってるったって、思い込むほど歴史を覚えれば誰だって可能だろ?”

 儀礼は言う。

 ”じゃなくて、公にされてない歴史を言い当てたって”

 穴兎からはすぐ返答があった。

 公にされてない歴史。ついこの間そういう資料に儀礼は触れた。そういう資料と、今回保護された人間の証言が一致したということか。

 ”当たりだギレイ。氷の谷で行方不明者の足取りが途絶えてる”

 話しながらも調べてたのか、アナザーからそうメッセージが届いた。

 さっきの男の不審さが格段に上がった。


 ”とりあえず、近くにいるから直接氷の谷を見に行く。”

 しばらくアナザーとやり取りした後、儀礼は氷の谷へ向かうことを決めた。

 図書館に戻ったが、あの男がいなかったために決めた行動だ。

 もちろん、ミイラ取りがミイラになるわけにはいかないので準備は怠らない。

 儀礼にはすごく気になることがあった。領主の屋敷前で別れてから、利香たちと連絡が取れていない。

 拓へ二度ほどメッセージを送ったが、返事が無い。拓のことだから無視しているだけかもと思ったのだが。


 昨日、護衛機が信号を消した。派手な戦闘に使ったのが初めてだったから充電が間に合わなかったのかもとも思ったが。

 信号の途切れた位置が、穴兎から聞いた氷の谷の座標と一致した。

「何でもっと早く動かなかったんだ」

 儀礼は自分を恨む。何かあったと見て間違いない。拓の返事など待たず、信号が切れる前に護衛機と通信すべきだった。


「獅子、心配なことがあるんだ。十分気をつけて、一緒に来て欲しい」

 事情を説明した後に、儀礼は獅子と向き合う。

「逆だろ、気を付けんのはお前の方だ。拓を連れ去れるような連中ならお前は手を出すなって、言いてぇ」

 真剣に言う儀礼に、獅子は少しふざけるように返した。確かに、その通りだ。

 でも、その気配はすごく真剣だった。内に抑えているのだろう重苦しい怒りのようなものが、ちりちりと儀礼の肌に刺さる。

「明日なんてもう、待ってられない」

「ああ。遅すぎる」

 幸い車はこの間の資料のおかげで、夜にでもバッテリーに頼らず動かせるようになっていた。

 二人は車に乗り込むと、人々の寝静まった町を後にした。


「おいおい、マジで二人で行っちまったぞ」

 暗い影の中から笑うような声がする。

「言っただろう、あいつは俺達に連絡してこない、と」

 もう一つの低い声が言った。

「護衛のしがいがないなぁ」

 影の中から一歩踏み出し、月明かりの中にワルツが姿を現す。

「あれは俺達を『監視』としか思ってないからな」

 影の中、もう一つの声が緑の瞳で月を見上げる。

「近辺で起こること全部調べるって、お前は馬鹿になったかと思ったら。本当に関わりやがった」

 がりがり、とワルツが頭をかく。

「子供は好奇心の塊って言うからな」

 口端を上げてアーデスは笑う。

「んで。どうすんだ、アーデス? あたしらも行くんだろ」

「行き先はわかってるんだ、もう少し距離を開けよう。今の黒獅子は、ちょっと鋭い様だからな」

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