愛里6
「愛里は母さんじゃない」
そう言った儀礼の首筋にネネが唇を落とす。
「っ!……や、めてよネネ」
首を反らして逃げようとする儀礼の声は泣きそうなほど弱々しい。
上機嫌に微笑むネネ。
逸れた視線を合わせ拓は続ける。
「多分、俺が求めてるのは天使画だ。」
「天使画?」
訝しむように眉を寄せる儀礼。その耳元へ唇を落とすネネ。儀礼の全身に寒気が走る。
「っぅ、……ほんと、やめてネネ」
(次やったら、言ってやる、言ってやる、あの言葉を)
儀礼はわずかな抵抗を企てるも、あまり頭は働いていない。
(拷問だよ、これじゃ)
「シエンの教会の天井絵だ。俺を俺となさしめる、領主となる自覚をくれたものだ」
シエンの教会は、シエンがドルエドに下った時に建てられたものだ。もう数百年も前の物。でもその美しさは今なお軽減してはいない。時代を経て更に神聖さを増しているように感じる。その天井に、金髪碧眼の天使の想像画が描かれているのだ。
言われてみればたしかに、その絵が母や白を思わせる雰囲気はある。
「それだけじゃない、こんなに、俺を慕ってくれるのが俺は嬉しい」
そう言って、拓は儀礼の前髪を上げ、その瞳の奥を覗くように見る。
「エリさんやシャーロットは完全には俺を受け入れてくれない。お前に至ってはまるで親の敵状態だしな。会えば喧嘩だった」
「あれは暴力だ」
拓の言葉を否定して儀礼が言う。
儀礼は見た。拓がネネにあごで合図するのを。
ネネは細い指を走らせ、後ろから器用に儀礼の服のボタンをはずす。
一つ、二つ、ボタンが外れるたびに、服はゆとりをもち、横へとひらいてゆく。
さすがに寒い冬なので、その下にもシャツを着込んでいるが、危険な事にかわりはない。
儀礼は決意した。あの言葉をイオウ。
「……っ、やめろって言ってるだろ、ババァ」
言ってしまった。儀礼は、この世で最も愚かな選択をしてしまった。
儀礼の予想では、怒ったネネが儀礼に暴言なり悪態なりついて部屋を出ていくはずだった。
結果はーー。
ネネはこめかみに青筋を浮かべた。そして一言。
「拓」
それだけだった。
「はい、母さん。」
拓が、嘘くさい好青年スマイルを浮かべて、儀礼の足を払った。
バランスを崩し、倒れるのがわかったので儀礼は受け身を取ろうと腕を延ばす。
その腕を、強い力で拓に掴まれた。そのまま床に仰向けに倒される。
腕は頭上で組まれ、さらに、反り返らせて関節が悲鳴をあげる。
「うあっ、ぃてぇ」
無理な態勢から見下ろす拓を睨み付ける。
「いい息子をもって嬉しいわ。ほほほ」
と口に手を当てネネが高笑いする。
「なんだその家族ごっこは」
悔しそうに仰ぎ見る儀礼。
ごっこ、とは言ったが、ネネの夫である領主は拓の父親なので、義理の親子であるのは確かなのだ。
「まだ憎まれ口を叩く余裕があるんだな」
そう言うと、拓は儀礼の肩に膝を置いて押さえ、あいた手で懐からなにかを取り出した。
厳重に布に包まれたそれは1枚の小さな紙片だった。
いや、よく見ればただの紙片ではない。中心に大きく文字が書かれている。
それを見た瞬間儀礼は顔を真っ青にして固まった。
その紙片、いやお札には古代文字で『水光源』と書かれている。
それは儀礼の天敵。最も苦手とする神の名だ。
「ふん、さすがに何かわかるようだな。じゃあ、最後の選択の時間だ」
そう言って拓はニヤリと笑う。
札を人差し指と中指で挟み儀礼の眼前につきつけた。
「うっ」
儀礼は顔を引き攣らせ、ネネは楽しそうにその様子を観賞していた。
「これは水光源の札でな、結構いい値がしたんだ。使えば一度だけ奴を呼び出せるらしい」
儀礼は「ああ、知ってる」といいたげに小さく頷いている。
「1、俺と愛里が結婚する」
指を一本立てて拓は言う。
フルフルと儀礼は首を横に振る。まるで言葉を失ってしまったかのようだ。
「2、水光源を呼び出しお前が女になって俺と結婚する」
指を二本立てて言った。
さっきに増して儀礼は首を振る。
「ちなみに2の場合はシャーロットとお前の子供達も俺が面倒見るから安心しろ」
と、とんでもない事を言ってくれる。
「ふざけるな、そんなこと!」
怒ったような口調だが、儀礼の声はかすれているし、体は小さく震えている。
「そんなに嫌か。じゃ、1番だな」
すんなりと言う拓は、もともとそのつもりだったのだろう。
だが、そんな風に愛里を売るわけにはいかない。自分が最後の砦なのだからと儀礼は食らいつく。例え、愛里が望んでいても。
「そんな、他にないのか?!」
「お前の娘を……」
「うわぁ! 言うな!!」
儀礼は叫んでいた。拓は勝ち誇ったように笑う。
「決まりだな」
拓の言葉に儀礼は落ち込む。自分という人間の醜さに。
選んでしまった。妹と、自分と、娘を天秤にかけ、妹を犠牲にすることを。
(ああ、ごめん。愛里。兄ちゃんは罪深い人間だよ。わかっていてお前を悪魔に売り渡すんだ)
いつの間にか解放されていた手で目を覆い、儀礼は深く深くざんげする。
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