宣言
「全ての研究者に言う……か」
儀礼の口から思わずという様に言葉が漏れた。
管理局の常識、研究者の当たり前の行為。
幼い日、知り合いの研究者から飲まされたジュースが魔法薬だった時。
動かなくなる体に恐怖して、心が壊れてしまいそうだった。
優しい知り合いだった男は見知らぬ人の様に感じた。
今でも思い出すだけで胸が苦しい。
動かない体、相手の研究者へと怒りを露わにした父親。
あまりにも鮮明に思い出される過去。
幾度となく追体験してきた。
人の目に晒される時、誰かの怒りを目の当たりにした時。
自分へ向けられる好意の目は、人体という物質へのまやかしでしかなく。
怒りは自分の体を抑えつけ、誰かを傷つける力。
(怖い、怖い、怖い)
幼い儀礼は椅子に座ったまま、テーブルについて体を薄く光らせている。
動かない体。
震えることさえできない。
叫ぶこともできない。
助けを求めることもできない。
目の前の男はいつもの様に笑っている。
機嫌よく、「ああ綺麗だ」といつもの様に。
儀礼が苦しんでいるのに、笑っている。
儀礼の体だって泣き叫ぶことをしない。
研究室にはいつもの様に、まるで穏やかな空気が流れていく。
(どうしてこんなことをするの?)
(どうして笑っているの?)
それが悪いことではないから。
(父さんはどうしてあの研究者を殴っているの?)
(僕の体は動かないのに、抱きしめて欲しいのに)
(大丈夫って言って欲しいのに。いつもみたいに笑って欲しいのに)
動かない僕より、研究者を殴る方が大切だから。
僕は役立たずだから、いらないから。
迷惑かけてばかりだから。
(助けて、助けて、助けて!)
あの時、体が動く様になるまでの時間が永遠に思えた。
このまま死ぬまでずっと。
永遠に、『助け』は来ない。
「ーーっ」
無意識に握りしめた拳に、指無しの手袋の感触があった。
体を覆う鎧のような白衣の重み。
大きく息を吐き出すと、儀礼は色付きの眼鏡をかける。
視界に広がる薄茶色の世界。
(違う、僕はもう助けを求めてない!)
現実が戻ってくる。
(幼い子供じゃない)
過去を見ていた視界を目の前へと引き戻し、儀礼は思考を開始する。
(今、助けを求めてる人たちがいる)
床に倒れた重傷の男。
助けを求める先などないと嘆く女性。
心配そうに儀礼の足に頭をすり寄せる狼の姿のガスカル。
ブローザの研究所にいると言う変化して衰弱した者たち。
一人の力では無理だ。
たくさんの人を助けることなんてできない。
(いつだってそうだ。氷の谷の時も)
小さな手。小さな体。
世界に対して儀礼自身はあまりに小さい。
けれど、その手を取ってくれる人がいた。
その背を支えてくれる者がいる。
抱きしめてくれる人がいる。
(僕はもう、あの時の僕を『助ける』力がある)
ずっと準備はしてきた。
管理局の研究室で、勝手に他人を実験体にすることを禁じる規則を明確化する事。
けれどそれは、研究者達の多くから批判される規律だ。
研究室の中で起こる事は全て自己の責任。
明言されない不文律として管理局にあったルール。
歴史に名を残す研究者達の多くが当然のように行ってきた、研究室内の偶然の事故により実験データを集める手法。
それを禁止すると言われれば、後ろ暗い者や、実験体を手に入れる術を持たない者、既にその方法で地位を手に入れている研究者等は反発するだろう。
それを罪とされる事に。
皆、表立っては言わない。けれどそれを明文化させる事は避けたい。
だからこれから起こす儀礼の行動を、管理局の私物化や武力による圧制としーー世界中の研究者達の間で反乱が起きるだろう。
世界中を巻き込んだ争乱。
儀礼:"アナザー、宣言の準備を"
穴兎:"今か?! この忙しい時にさらに仕事増やすのか? せめて護衛が戻ってからにしろ"
儀礼:"ブローザさんの研究所に入る必要がある。それには先に風を起こさないと。アーデス達はすぐ来る"
手早く文字を打ちながら、儀礼は思考を続ける。
「ヨルセナさん、でしたよね。あなたの言い分は最もです。全ての研究者に同じ条件を当てはめましょう」
覆面の女を正面から見据え、儀礼は行動を開始する。
「全ての研究者に同じ条件を与えた上で、ブローザ・ジェイ二さんの研究に人命がかかっている事から早急に対処する案件と判断します」
儀礼は研究室の戸棚から薬品を選び出し鞄に詰めていく。
「なにを、言っているの? あなたにはそれができるって言うの!? ブローザ様に出来ない事を」
縋るような咎めるような視線で儀礼を見つめるヨルセナ。
その瞳は心を表すようにゆらゆらと揺れている。
「僕は、管理局の中で他人を研究に使う事は許せない。本人の了承なしに、説明もなしに、自由を奪われるのは嫌だ。だからーー」
儀礼:"管理局上位にいる連中をみんな吹き飛ばすような強風を起こす!"
感想頂きありがとうございます。
読んでくださりありがとうございます。




