【閑話】聖なる獣
幼い頃に絵本で読んだ獅子という生き物。
たてがみがあり、ちょっと怖い顔をしていて、そしてとても強い。
魔物のような姿なのに、悪いものを払って人を守るっていうのがちょっと不思議だった。
11歳になった儀礼は、穴兎に教えてもらいながら祖父の書いたたくさんの資料や設計図をデータ化してパソコンに取り込んでいた。
当然のことながら、祖父の使うシエンの古い文字はパソコンの世界にない。
なので、全てを画像として取り込み管理することにする。
去年の夏休みに儀礼は1ヶ月以上を王都の学校に行くのに費やした。
家から離れている間、それらの資料に触れられないことが苦痛で仕方なかったのだ。
「これでどこからでも見られる!」
儀礼は満面の笑みを浮かべて穴兎へ感謝のメッセージを送る。
すると、穴兎からは慌てたようなメッセージが帰ってきた。
”誰かがデータに不正にアクセスした。気をつけろ、悪い予感がする。データの元はちゃんと守られてるか?”
「データの元? お祖父ちゃんの書いた書類のことかな。ちゃんと戸締りしてるはずだけど……」
心配になった儀礼は、祖父の部屋をのぞき見る。
祖父はベッドで昼寝していた。研究所としているそこは、特に異変はない。
次に家の裏手にある3階建ての狭い塔。大量になった書類や本をしまうためだけに建てられた物だ。
普段使わないので、窓や扉は閉まっているはずだった。なのに2階の窓が開いている。
儀礼は走って2階に上る。割れた窓ガラス。周囲を警戒する。
かすかな紙のこすれる音に儀礼は3階を見上げた。
そこには、見たこともないおかしな機械。
まるで海に住むたこかくらげの様な物がふよふよと浮いている。
「風船……?」
儀礼が近付くとそれは細い足の先に付いたクリップで書類の束を掴む。
「あっ! やめろ!」
儀礼が走って近寄るが僅かに届かず、くらげは3階の窓を破って出て行く。
「まてっ、返せ!」
儀礼は外へ飛び出し、必死に追いかける。
あの3階の戸棚にあったものは危険な部類の書類だった。祖父の書き上げた時代に合わない作品たち。
儀礼は死に物狂いで走る。
あれが誰かの手に渡ったら。それが悪用しようとしてる者なら。みるみるうちに儀礼の顔は青くなる。
(僕がパソコンなんかに入れなければ……)
くらげは村を超え山へと入って行く。
空高く飛ぶくらげに追いつけるのは唯一山頂付近のみ。木に登って飛びつけば捕まえられるかも。
慣れた様子で山道を走る儀礼。しかし、体力は限界に近付いていた。
手足が傷つくのも構わず高い木によじ登る。ぎりぎり飛びつける距離にくらげが飛んでくる。
「かえせっ!!」
儀礼は迷わずその高さから木の幹を蹴った。
手は、僅かに書類を掴んだだけで、全てを奪い返せなかった。
「そんな、何でだよ!」
地面を叩きつけ、それでも足りず頭を打ち付ける。
無情にもくらげは山の頂を過ぎようとしていた。今から木に登りなおしてももう、届かない……。
祖父の考えた物。文字は読めなくても、見る者が見れば設計図だけで大体はわかってしまう。
「僕のせいで人が死ぬ……。僕のせいでお祖父ちゃんは人殺しにされるっ……うぅっ僕のせいで……」
悔しさに涙が溢れくらげの姿がにじんでいく。
その時、黒い影が高い木の上についているのが見えた。
影が木から離れ、くらげに飛びつく。
儀礼に届かなかった高さから、大きな音もなく影は着地した。
「これ、またお前が作ったのか? 変わってるな」
不思議そうに掴んだそれを眺め回す獅子。
「また泣いてんのか、お前は。本当泣き虫だな」
呆れたように獅子が言う。
「もうだめかと思ったんだ」
儀礼は服のすそで涙を拭く。
「大げさな奴だな、おもちゃ一つで。ほら」
獅子が書類を掴んだままのくらげを儀礼に手渡す。
「……ありがとう、獅子!」
涙を拭いて儀礼は笑う。
高い山の頂の、さらに高い木の上に、黒い鬣の獣が飛んだ様に見えた。
獅子、それは人間を守る聖なる獣。
のちに、そのくらげが再利用され利香の手元に届くのだった。
それからあの塔には十分な警備システムを設置したので、その後侵入されたことは一度もない。




