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ギレイの旅  作者: 千夜
12章
355/561

殺気ってやつ1

「おい、ギレイ。あれ、やってみろよ。『双璧』黙らせた『殺気みたい』ってやつ。」

白が拓に呼ばれて走っていき、その後姿を見送った後、ワインの入ったグラスを手にディセードが楽しそうに儀礼に持ちかける。


「……それ、僕が攻撃されるって、わかって言ってる?」

整った顔を若干引きつらせて、儀礼は苦笑する。

困っていてさえも、その顔からは笑顔が消えない。

儀礼に言わせるなら、とにかく、対話できるこの状況が「楽しい」と。


「お前、俺が本気で殴ったって、かわせるだろ。研究者のくせにどういう鍛え方してんだよ。」

おもに、儀礼の服の下の装備を見るようにして、ディセードは言う。

「僕は、ディセードが冒険者ライセンス持ってないことの方が意外だったよ。」

にっこりと、笑って儀礼は言う。

少女と見紛うような、天使と称される笑顔で。


「話を逸らすほど、やりたくないのか。」

ふむふむ、とディセードは頷く。

「やらないなら、その顔で『双璧』を黙らせたって思うが、いいか?」

にやりとディセードが笑えば、儀礼の顔からは笑いが消える。

「……意味が分からないから。」

顔色を消して言う儀礼の中では、ディセードが思うイコール情報を流す、という事になっているようだ。


「ディセードは。わかってない。」

じわりと、涙の滲む目で、儀礼がディセードを見上げた。

涙に濡れたまつげが瞳を大きく強調し、儀礼の子供のような顔をさらに幼く見せる。

「なんだよ。何をわかってないって?」

頭をかくようにして、ディセードは儀礼へと問いかける。

ディセードが「知らないことがない」と言えるほどの物知りなのは、周知の事実なのだが。

しかし、自分が人の心の機微に疎いことも、またディセードは知っていた。


 拗ねたように、儀礼は視線を地面へと向けた。

「殺気ってやつ。」

ポツリ、と小さな声で儀礼は言った。


「だから、なんでだよ。お前のは殺気じゃないんだろ? いいからやってみろって。ほら、俺は武器も持ってないし、自分で言うのもあれだが、戦闘能力もない。」

両手を広げるようにして、ディセードは言う。

世界最強クラスの人間を黙らせる、技。興味がわくのは当然のことだろう。

「……っ。知らないよ、もぅ。」

目に、涙を浮かべたまま、儀礼はディセードを『見』た。


 見ている。ただそれだけで、全身をバラバラにされるような感覚が、ディセードを襲った。

皮膚を、肉を、骨を、体を構成する組織の全てを、一つ一つに分解されていくような、幻覚に近い、現実のような感覚。

実際には、ディセードの体は無事だ。

ディセードの体には、何も起こっていない。

わかっていても、しかし、目の前にいる少年から確かに、『死』へつながる恐怖が送られてきた。

その前では、自分の肉体など、存在していられない。全てを破壊されるような恐怖。

(あいつを、殺さなきゃ、俺は殺されるっ。)

確かに、ディセードはそう思った。


 その間にも、自分の体をばらばらに引き裂いていくような感覚は送り続けられる。

手に持っていたグラスを素手で潰し、ディセードは武器へと変えた。

それで、その少年に襲い掛かろうとして、そして、少年の顔を見て、ディセードは馬鹿な自分に気付いた。

ひどい疲労感に襲われ、体にかかる重力に逆らえず、ディセードはそのまま、地面へと倒れこんだ。

「ディー!! ディーッ!」

儀礼の、叫ぶ声が聞こえて、ディセードは安心して笑った。


 儀礼の目の前で、ディセードは倒れた。

ディセードがグラスを素手で割ったのが見え、儀礼は身構えた。

しかし、その攻撃をしかけてくる前に、ディセードはひとりでに、倒れたのだ。


「ディーっ!! ディーっ!! しっかりして、どうしよう。」

儀礼は慌てて、ディセードに駆け寄り、その体を確かめる。

どこかをぶつけたりはしていないようだった。

悪いのは顔色だけ。


「どうした?!」

儀礼の声を聞き、獅子が駆けつけてきた。

倒れている青年と、心配そうにそれを見る儀礼。

何か、あったのかと獅子はその表情を険しくする。


「どうしよう、獅子。」

儀礼は目に涙を浮かべ、震えるように、ディセードを揺り動かしていた手を離した。

「ディー、二日寝てないっ!」

それが、重大な病気ででもあるように、儀礼は涙を浮かべて獅子へと縋りついた。


「……寝かせてやれ。」

儀礼の頭に手刀を落とし、呆れた溜め息とともに、獅子は言った。

そして、地面に倒れる青年を背負うように担ぎ上げ、獅子は歩き出す。

「ここの家主に頼んで寝かせられる場所を用意してもらえ。あんな顔してるから、またお前が何かしたのかと思っただろ。」

眉をしかめて、獅子が儀礼を睨む。


「えと……その……。」

言いよどむ儀礼に、獅子の表情がさらに険しくなり、儀礼は慌ててはっきりと否定する。

「してないっ!」

何かをしたかと言われれば、確かにしたが、倒れるようなことはしていないはずだ。

事実、先に襲われそうになったのは、儀礼の方だった。

その前にディセードが倒れただけ。


「あっ、手。」

ディセードが、グラスを素手で握り締めたことを思い出し、儀礼はその手を確認する。

大きな手には、何の傷も付いてはいなかった。

儀礼は安心して、息を吐く。

ディセードの手は商売道具だ。

痛みで動きが悪くなり、一日でもプログラマーや情報屋として働けないなどと言うことになったら、申し訳ない。

儀礼はいつも、その手に助けられている。そして、本気で、儀礼とディセードの命に関わる。


 1時間ほど借りたベッドで眠り、ディセードは目を覚ました。

顔色は悪いままだ。

まさか、ディセードが二日も寝ていないとは、儀礼は思ってもいなかった。

ディセードが忙しいとしたら、それは、『アナザー』としての仕事で、それは、儀礼のかける迷惑だった。

「ごめん。」

儀礼が謝れば、ディセードは横になったままで、儀礼の頭を撫でる。


「いや、俺が悪かった。お前の言った意味、わかった。」

そう言って、ディセードは今度は自分の頭を両手で抱える。

「悪かったな。」

目を閉じたまま、ディセードは言った。

重い言葉を吐くように。


「俺、人を殺そうと思ったの初めてだ……。」

「うん。」

頭を抱えたままのディセードの言葉に、儀礼は頷く。

人を憎いと思うことはあっても、本気で殺そうと思うことはそう、ない。

それは、よほど追い詰められた人間だけだ。


「わかってないって、こういう意味だな。確かに、これは俺がうかつだった。」

「うん。うさぎ、ばかだ。」

困ったように、儀礼は苦笑する。

世界を動かす程の頭脳と腕を持っていながら、殺意を抱くこともない環境で育った、純粋な人間。


「俺、お前を……殺そうとしたんだな。」

ディセードの声が、わずかに掠れた。

「ディセードに、僕は殺せないよ。それに、あれは僕が仕掛けた。だから、ごめん。」

儀礼は両手で抑えられたままのディセードの頭を撫でる。

「白い兎じゃなくて、黒い兎だ。」

ディセードの指からはみ出る黒い髪を撫で、くすりと、儀礼は笑った。

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