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ギレイの旅  作者: 千夜
12章
332/561

儀礼のトラウマ

 儀礼が5歳の頃の事。

礼一にひっついて、儀礼はよく管理局に行っていた。

管理局には面白い物がたくさんあって、面白い人たちもいて、儀礼は管理局が大好きだった。


 何より、受付横にあるパソコンは、他の人が使っていなければ、自由に使ってよかった。

儀礼は、父が管理局のえらい人と話している間、そこで穴兎と会話していた。

チャットというものでは、他の人は皆、儀礼の会話が遅いので、相手にしてくれなかったが、穴兎だけは違った。

いつだって、儀礼の返事を待ってくれる。


『今、お父さんと管理局に来てるの。お父さんはお話してる。』

『そうか。』

穴兎の話はだいたい短い。返事くらい。

でも、儀礼が何か聞いた時は丁寧に教えてくれる。

儀礼にとっては優しい、兄のような存在だった。


 ディセードにとっては、他の作業をしながら、自分の記録アリバイを残せるので、ギレイとの会話はとても便利だった。


『お人形のおじさんが、ジュースくれるって。行ってくるね。』

儀礼は穴兎へとメッセージを送った。

お人形のおじさんとは、管理局の研究室によくいて、剥製はくせいの研究をしている人のことだ。

その道ではそこそこ名のある人物らしいのだが、5歳の儀礼にはあまり関係のないことだった。

月1ペースで管理局に来る儀礼を可愛がって、おかしやらジュースをよくくれる親切なおじさんだった。

その人の研究室には、部屋を埋め尽くすほどの動物の剥製が置かれている。

熊や馬といった大きなものから、小鳥やリスのような小さくて可愛いものまで。

不思議で綺麗な動物たちの人形を見るのは、儀礼の管理局で好きなことの一つだった。


『魔法のジュースくれるって。きれいなまんまなんだって。』

儀礼の意味不明な発言に穴兎は疑心を抱いたようだった。

『知らない人について行くなよ?』

『知ってる人だよ。いつも管理局にいるの。だから大丈夫。』

儀礼は、お人形のおじさんが、知らない人ではないことを穴兎に説明した。

『そうか。またな。』

それを聞いて、安心した様子の穴兎との通信はそこで途絶えた。


 そして、明らかに怪しい人物についていった儀礼。

たくさんの剥製はくせいが並ぶ部屋の中、顔見知りのおじさんがジュースを差し出してくれた。

透明で、少しとろりとしている。

「これを飲むと、血が綺麗になるんだ。だから、体は元気なまま、腐ったりしない。」

よく分からないことを言う男に儀礼は首を傾げる。

分からないが、元気で血が綺麗になるみたいだ、と納得する。

手渡されたのは、ハチミツのような、とても甘い匂いのするジュースだった。


「ありがとう、おじさん。いただきます。」

儀礼は一口、二口と飲む。

甘くて、冷たくて、おいしい。

「おいしい。ありがとう、おじさん。おじさんは飲まないの?」

儀礼がジュースを飲む姿を、ただじっと見ている男に不思議に思って儀礼は問いかける。


「おじさんはいいんだよ。おじさんは見る方が好きなんだ。ほら見てごらん、可愛い白ねずみだろ。」

男が、小さな白いねずみを一匹、机の上の籠から取り出した。

そのねずみに、小さなトレーに注いで、男は儀礼が飲むのと同じ液体を与える。

ペロペロとそれを飲んでいたねずみが、だんだんと光るように見え、ピタリと動きを止めた。

キラキラと光っているようにすら見えるそれは、この部屋にたくさんある剥製と(ハクセイ)と同じ。


 ようやく儀礼は気付いた。

(僕、お人形にされちゃうんだ。動けなくなって、ここに飾られちゃうんだ。父さんにも母さんにも、祖父ちゃんにも、もう……会えないんだ。)


 あせっていたのは、儀礼だけではなかった。

いつも儀礼についていた火の精霊も同じ。

『儀礼が剥製にされる』。

その事実に慌てて、父親である礼一のいる部屋へと飛び込むが、当然、実体のない精霊では気付いてもらえない。

周りの物を燃やしてみるが、首を捻りながらも誰も異変に気付かず、すぐに火だけを消されてしまう。

考えた末、火の精霊は思い切ってパソコンのネット回線へと飛び込んだ。

そこは無線で繋がる、細い細い魔力の道。


 この世界のネットはどういうわけか、精霊たちにも関わりがあった。

精霊の気の多い所ほど、回線が繋がりやすいという不思議。

火の精霊が向かったのは、儀礼が会話していた相手。『穴兎』という正体もわからない人間の元。

それでも、火の精霊は、そこに賭けるしかなかった。

儀礼に親切にしてくれた、ネット回線に魔力を感じさせる人間の元へ。


 そこへ行き、火の精霊は目一杯の力を出す。

パソコンが熱を持ち、ついには黒い煙りを上げた。

『穴兎』、ディセードが異変に気付いた。

後は、儀礼が無事に助かるのを祈るばかり。

小さな火の精霊は、主のないままに自らの力を使い、ほとんどの魔力を使い果たしていた。


 それでも火の精霊は礼一が動き出したのを知ると、回線を伝い再び管理局へと戻ってきた。

剥製へと固まりかけた儀礼の元へ、研究室の扉を蹴破って入って来る父親、礼一。

その後ろからは複数の警備兵。

礼一が男を殴りつけ、胸ぐらを掴み、怒鳴るようにして解毒の方法を聞き出す。

「言え! どうやったら息子は元に戻る!」


 強い、父の怒りを、儀礼は生まれて初めて見た。

いつも穏やかな父が、人が変わったように怒っている。

今すぐにでも安心して父に抱きつきたいのに、儀礼の体は動かない。

礼一と同じ様に、火の精霊も怒っていた。

礼一の怒りに同調するように、また、儀礼を守るように、儀礼の前に立ちはだかり、命ともいえる魔力を燃やして、炎を上げる。

その火の粉は、儀礼へと降りかかっていた。


 ジリジリと肌の焼けるような感覚。

恐ろしいほどの父の怒り。

全く動かず、このまま死んでしまうのかもしれない自分の体。

すべてが、儀礼は怖かった。

泣き出したいのに、固まり始めた体は涙すら流せない。


 そう、それは、一生記憶に残る、儀礼の恐ろしい思い出。

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