第1話 旅立ち
ドルエド国のシエン村で団居儀礼は生まれ育った。
シエンは小さな村で、買い物のできる一番近い町へでも馬車で一時間はかかる。
農閑なドルエド国の中でも特に田舎の地域で、周囲の森や山々で魔獣や獣が多く出るのも日常の光景だった。
一般人の恐れる魔獣や獣を日々糧とし、己を鍛える村人達は『シエンの戦士』と呼ばれている。
そんな環境で。
祖父の作った『馬より速い乗り物』で旅に出る事が、幼い頃からの儀礼の夢だった。
お金を貯め、祖父とともに作った車をさらに改造して。祖父が亡くなってからも、何年も時間をかけて旅支度を続けてきた。
そして先月、儀礼は成人となる十五歳になった。
村の学校を卒業すると同時に、ついにシエン村を旅立つ事にしたのだ。
春三月。暖かい風に桜の舞う、快晴の日だった。
シエン村で教師をしている儀礼の両親は、息子が一人で旅に出る事を心配はしたが、幼い頃より、儀礼がしっかりと準備をしていたので、信じて送り出すことに決めていた。
「儀礼、最近森の南側には凶暴なねずみが増えているらしいから、気をつけてね」
息子を心配そうに見る儀礼の母は、美しい面立ちをしている。
光に輝く金色の髪と、吸い込まれるような深い青の瞳。彼女は、シエン村のあるドルエド国ではなく、隣国、アルバドリスクの生まれだった。
「南側には行かないよ、道を通って町の方へ出るから」
儀礼は笑って応える。
「ちゃんと連絡するんだぞ」
シエン人の特徴である黒い髪をした父、礼一が最後の確認とばかりに儀礼の瞳を覗き込む。
礼一の瞳はシエン人とは少し違っていて、ドルエド国で一般的な茶色をしている。
彼はここ、シエン村に住むシエン人とドルエド人のハーフだった。
「うん」
父へと大きく頷きながらも、儀礼は心に影を落とした。
(僕はいったい何人だろう)
短く切った金髪と、茶色の瞳の儀礼。両親から受け継いだ容姿は、シエン村の中でも、ドルエドという国の中でも、母の国アルバドリスクですら中途半端で。
溶け込むことなど出来ないのだと、どこか諦めにも似た寂しさが儀礼の心には常駐していた。
両親には見られないよう小さく顔を伏せて、儀礼は沈んだ気持ちで考える。
ドルエド国の歴史に何度も名を残す、『シエンの戦士』の村に住みながら、シエン人としての特徴を何一つ持たない儀礼。
黒髪黒瞳の友人達が集まっているのを見る度に、儀礼は孤独を感じていた。
近くの町に出かければ、ドルエド人達からは余所者として扱われ、母以外のアルバドリスク人には儀礼は会ったこともない。
(僕には、居場所がない)
ゆっくりと顔を上げると、儀礼は慣れた動作で薄茶色の色眼鏡をかけ、指先の出る黒い手袋をした。自分の姿を少しでも隠せるように。
車に乗り込むと背もたれに寄りかかり儀礼はふぅ、と一つ息を吐いた。
それから、左手の甲を右の指先で奏でるように叩いていく。儀礼の黒い手袋には、小さなキーボードが備え付けられていた。
儀礼:"出発する"
儀礼の茶色い眼鏡型のモニターには、今入力した文字が表示されている。
穴兎:"いよいよか、気を付けろよ"
ネットで知り合った、会ったことの無い友人と短いメッセージを交わした。
儀礼にとってこの穴兎と言う人物は、知り合ってもう十年にもなる友人である。
ネットやパソコンという機械的な環境を理解していない村人達には、会ったことのない友人の話など、言い出すこともできなかった。
「いってきます」
孤独だったものから自立へと、心を整えて、儀礼は車のハンドルを握った。
笑顔で手を振る両親に、儀礼も笑顔を返す。
そうして、儀礼の運転する陽の光で走る手作りの車は、静かに走り出した。
儀礼が家を出発して五分も経たぬ内に、同学年の村の友人が、大きな荷物を背負って儀礼の車の前に立ちはだかった。
「俺も行く」
黒い髪に瞳の、見るからにシエン人らしい少年は、引き締まった筋肉と、大人に紛れる程の身長を持っている。
それは、儀礼の羨望する姿だった。
「なんで?」
彼が、儀礼のように村を飛び出す理由が思い浮かばない。儀礼は瞬きを繰り返して困惑を表した。
背中の鞄に旅に必要な荷物を押し込んできたと言う友人、獅子倉了こと獅子は、その荷物を車の後部席に放り込み、自身は助手席へと乗り込んでいる。
「さぁ、儀礼、出発だ!」
「ええ~!?」
前方を力強く指差す獅子の行動が、儀礼には理解できなかった。
「どうしたんだよ、突然」
獅子には継ぐべき家の仕事がある。学校を卒業したらすぐに、家業を手伝うのだと思っていた。
「あんな家、もういられるか! 俺は家出する。お前も一緒だろう、なら旅は道連れって言うだろうが」
獅子は家出してきたようだった。
彼の家は代々格闘の名手で武術の道場をしている。
彼の父が現当主で、世界でも名の知れた強さを誇っている。
「あのくそ親父。俺に家継がせて、自分は修行の旅に出るとかぬかしやがった。冗談じゃない。俺だって卒業したばっかで、やっと冒険者登録して仕事ができるってのに」
獅子は怒りに震え、顔の前で拳を握り締めている。
「そ、そうなんだ」
名道場をほったらかして旅に出ようなんて、どんな親だろうか。
(でも、あのおじさんならありえそうだ)
若い頃は世界中旅して、数々の魔獣とも戦ってきたそうだ。せがれが成長したので、家をまかせて再び旅に出ようとしているらしい。
「そんなことさせるか、俺が先に出てやる。ほれ、出発しろ!」
車のハンドルを叩きながら獅子が言った。
儀礼は慌てて車のエンジンを動かす。
「それ癖だよな」
助手席から、獅子が笑いながら儀礼の手元を指差した。
儀礼は今もまた、左手の甲を右手の指で叩いていた。穴兎と語る、キーボードのついた手袋を。
指摘されて、儀礼は口の端をあげた。
ネットの友人宛にメッセージを送っていると理解してなくても、儀礼のいつもの仕草を見慣れてしまった村の友人。
そう、馴染むほど一緒にいた友人。
ふぅ、と儀礼は息を吐く。
「まったく、わかったよ、獅子」
仕方なくという風に、苦笑混じりで言うと、儀礼は獅子を乗せたまま車を走らせた。
「まず、近くの町に寄って、ありったけの金を下ろせ」
走り出した車の中で、獅子は強盗のようなセリフを吐いた。
「え~? なんで」
「言ったろ、俺は家出だ。行った先で金下ろしたら居所バレるだろうが」
「いや、僕は旅行のつもりだからいいんだけど」
安全な旅を望む儀礼には、金品狙いの強盗を乗せていくつもりはない。困惑したように獅子を見返した。
「だめだ! あの親父だ、何やかや理由つけて追いかけてくるぞ!」
(だから僕は追われてないって)
「もちろん、金下ろしたら別方向に出発だぞ。方角知られたら意味ないからなぁ」
ニヤリと笑いながら、ない頭を回転させて獅子は言う。
儀礼の苦笑など気にも留めていない。
「だいたい何で僕の金を下ろすんだ? 君の口座は?」
「あぁ、親父にふさがれてる。逃げられんようにだろうな。というより、親父が自分の旅の費用として押さえてるっぽいんだけどな」
怒り心頭と言った感じで、拳を握りながらつむぐ言葉に、ゆら、と獅子の周りで揺れる怒りのオーラが発生した。儀礼の顔も限界までひきつる。
そのまま獅子が八つ当たりでもすれば、ほんの数秒でこの車は走行不能になるだろう。
「落ち着いてくれよ、とりあえず」
は、はは、と乾いた笑いを出すと同時に儀礼は獅子をなだめる。
儀礼は昔から、怒った生き物というのがどうも苦手だった。
じりじりと、肌が焼けるような感じがするのだ。
クラスメイト同士の睨み合いでも、儀礼はそろそろと教室のすみに後退していく程怖かった。
「だから、な。同じ家出同士助け合おうぜ。俺は護衛で、お前はまぁ、金出してさ」
「僕は家出じゃないって」
「似たようなもんだろ」
明るく、軽く言ってのける獅子には、彼の家出と、儀礼の旅の違いが本気で分かっていないようだった。
獅子は、武術に関してはそこらの達人のさらに上を行く腕を持っているが、いかんせん、頭が弱い。
小さい頃から武術しかしてこなかったから、とか、頭を打ちすぎたからとか、怪しい薬を飲んだからとか、いろいろ言われているが、この弱さは人としてありえない、と儀礼は思っている。
何しろ、足し算はともかく、引き算のあたりからあやしく、掛け算では「九九とは何だ?」と真剣に聞いてくるほどなのだ。
何故卒業を許したのか、教師である両親に問いたい。
卒業後も続く、村一番の武闘派友人への教育という苦労に、儀礼は心の中で涙を流した。
胸を圧迫する孤独感はいつの間にか消えていた。
旅に出る話が書きたくて。