一次選抜者
翌朝、王立学院は普段より明らかに騒がしかった。
原因は考えるまでもない。
昨日、アレクシスから発表された新たな側近候補の追加選抜。その一次選抜者が、今日の朝に発表されることになっている。
発表場所は本校舎一階の中央掲示板だった。
普段は授業変更や学院行事の案内が貼られている場所だが、シオンが登校した時にはすでに大勢の生徒が集まっている。掲示板そのものは人の壁に隠れ、離れたところからでは紙の端すら見えなかった。
「これは無理だな」
隣でディランが人混みを見て、早々に諦めた。
「授業までには見られるでしょ。急いで確認しなくても名前が消えるわけじゃないし」
「そうなんだけどさ。ここまで集まってると逆に気になるだろ」
「昨日は選ばれたくないみたいなこと言ってなかった?」
「選ばれたいわけじゃない。でも結果は気になる」
その気持ちはシオンにも分かった。
自分の名前があるとは考えていないが、誰が選ばれたのかには興味がある。
横を通り過ぎる生徒たちも、ほとんどが掲示板の方を見ていた。
中には名前を確認して戻ってくる者もいる。
「三年のエルヴィン先輩が入ってたぞ」
「やっぱりか。去年の領地経営実習で首席だった人だろ?」
「五年からも二人いるらしい。学年ごとに人数が決まってるわけじゃないみたいだな」
聞こえてくる会話だけでも、複数学年から選ばれていることが分かる。
「シオン、ディラン」
人混みの向こうからノアが現れた。
すでに掲示板を確認したのかと思ったが、その表情が妙だった。驚いているようにも、何かを堪えているようにも見える。
「おはよう。見てきた?」
シオンが尋ねると、ノアは一度だけ頷いた。
「見たよ」
「俺、入ってたか?」
ディランが聞く。
「入ってる」
「……本当に?」
「うん」
ディランはしばらく黙った。
昨日まで自分には縁がないと思っていたのだろう。
やがて頭を掻きながら、人混みの奥へ視線を向ける。
「いや、待て。何を見られたんだ、俺」
「僕に聞かれても分からないよ。王宮に聞いて」
「槍なら分かるぞ。実習も悪くなかったと思う。でも側近候補だろ?」
「まだその前段階だって昨日言ってたじゃないか」
シオンが口を挟むと、ディランはようやく思い出したように頷いた。
「そうだった。一次選抜だったな」
「最初から側近になったみたいな顔しないでよ」
「してない。ちょっと驚いただけだ」
その反応がおかしくてシオンは笑った。
「セレナは?」
続けて尋ねる。
「入ってるよ」
「やっぱりね」
そちらはあまり驚かなかった。
昨日も可能性は高いと思っていた。
そこでシオンは、ノアがまだ何か言いたそうにしていることに気づいた。
「ノアは?」
「僕は入ってなかった」
「そっか」
「残念じゃないと言えば嘘になるけど、まあ仕方ないよ。僕より商業や経済に詳しい上級生はいるしね。それより……」
ノアがシオンを見る。
なぜか少し笑っていた。
「自分で見た方がいいと思う」
「何を?」
「いいから」
意味が分からない。
ディランも不思議そうな顔をしていたが、その時ちょうど掲示板の前から何人かが離れた。
隙間ができる。
「今なら行けそうだぞ」
ディランが先に歩き出したため、シオンも後を追った。
掲示板には、大きな紙が三枚並べて貼られていた。
中央の紙には今回の追加選抜についての注意事項が書かれ、その左右に一次選抜者の名前が並んでいる。
学年順だった。
シオンは二年生の欄を探す。
思ったより人数は多くない。
上級生を含めても、王宮が最初からかなり絞っていることが分かる。
最初に目に入ったのはセレナの名前だった。
その少し下にディラン。
さらに視線を動かすと、ヴァルターの名前もある。
「本当に入ってるな……」
隣でディランが自分の名前を見つけたらしい。
「ノアが嘘つく理由ないでしょ」
「分かってるけど、自分で見ると違うんだよ」
シオンも一覧を読み進めた。
同学年からは他にも数名いる。
名前は知っているが、ほとんど話したことのない生徒もいた。
その中で、一人だけ周囲とは少し違う反応をされている名前があった。
リーネ・アルセラ。
シオンも授業で何度か見掛けたことがある女子生徒だった。伯爵家の娘だが、魔法や剣術より座学で目立つタイプで、特に法学系の授業で教師と議論していた姿を覚えている。
もう一人、カイルス・レヴァン。
三年生の男子生徒で、騎士科よりも領地経営や軍務補給の成績が高いと聞いたことがあった。
王宮が単純な戦闘能力だけで選んでいないという話は、本当らしい。
そこまで確認したところで、ディランが妙な声を出した。
「……シオン」
「何?」
「下」
「下?」
「俺の名前より少し下」
言われるまま視線を戻す。
ディラン・クロフォード。
その下に二人の名前があり、さらにその先。
見覚えのありすぎる名前があった。
シオン・アルヴェリア。
しばらく見つめた。
読み間違いかと思った。
もう一度見る。
やはり同じだった。
「……俺?」
「お前だな」
「同姓同名じゃなくて?」
「アルヴェリアまで同じ十三歳が学院に二人いたら俺も驚くぞ」
「いや、でも」
言葉が続かなかった。
昨日、セレナから名前があっても驚かないと言われた。
それでも本当にあるとは思っていなかった。
座学の成績だけなら上にいる生徒はいる。実技については平均以下であり、才能鑑定は今も《無能》。
王宮が何を見て自分を一次選抜へ入れたのか、すぐには分からなかった。
「ほら。だから自分で見た方がいいって言ったんだよ」
後ろから追いついたノアが笑っている。
「知ってたなら先に言ってよ」
「言ったら絶対、見間違いじゃないかって聞いたでしょう?」
「今も思ってる」
「だったら自分で確認して正解だったね」
シオンがもう一度名前を見る。
消えない。
「アレクシス殿下……何を考えてるんだろ」
小さく呟いた瞬間、周囲から聞こえてくる声が耳に入った。
「アルヴェリアって、あの?」
「レオン先輩じゃなくて弟の方だよな?」
「弟って《無能》の?」
当然の反応だった。
去年一年間で以前ほど珍しがられなくなったとはいえ、シオンが《無能》であること自体は学院内で知られている。
そのシオンが、王太子の新たな側近候補を選ぶための一次選抜に入った。
理由を知らない者から見れば、疑問を持つのは自然だった。
「成績が良かったんじゃないのか?」
「座学は上の方らしいけど、それだけなら他にもいるだろ」
「侯爵家だから?」
「殿下は家柄だけで選ばないって昨日言ってたじゃないか」
「じゃあ何で?」
誰かが口にした疑問へ、誰も答えられない。
シオン自身にも答えられなかった。
「思ったより騒がれてるな」
ディランが小声で言った。
「まあ、そうなるよね」
「平気か?」
「悪口を言われてるわけじゃないし、疑問に思うのは普通でしょ。俺だって疑問なんだから」
実際、腹は立たなかった。
周囲の生徒が知っている情報だけを並べれば、シオンの選出は不自然に見える。
王太子と親しく話していることを知る者はいる。
だが、その理由までは知られていない。
シオンが何をしてきたのかについて調べても、王太子の側近候補に繋がるような分かりやすい実績は出てこない。
だからこそ、以前ヴァルターも疑問を持ったのだ。
「やっぱりありましたね」
人混みの外からセレナが歩いてきた。
どうやら別の場所から掲示板を確認していたらしい。
「セレナ、昨日知ってた?」
「知りませんよ。知っていたら言えないとしても、あんな言い方はしません」
「じゃあ、なんであんなに自信ありそうだったの?」
「一年間見ていましたから」
それだけ言って、セレナはシオンの名前を確認するように掲示板を見る。
「少なくとも、選ばれる可能性がまったくないとは思っていませんでした」
「本人が一番ないと思ってたんだけど」
「それも知っています」
「そこまで分かってたなら教えてほしかったな」
「昨日教えましたよ。決めつけない方がいいと」
確かに言われた。
シオンは反論できず、ディランとノアが笑う。
「随分楽しそうだな」
今度は別の声がした。
ヴァルターだった。
掲示板の前へ来た彼は、自分の名前を一度確認した後、シオンたちを見る。
「ヴァルターも入ってるぞ」
「見れば分かる」
ディランに返しながらも、以前のような棘のある態度ではない。
ヴァルターは一覧を眺めた後、シオンの名前で視線を止めた。
「お前もか」
「俺も驚いてる」
「だろうな。その顔を見れば分かる」
もっと何か言われるかと思ったが、ヴァルターはそれだけだった。
以前なら、なぜお前が選ばれたと真正面から聞いてきたかもしれない。
だが今は、王宮が何らかの理由で選んだのなら選考を見ればいい、とでも考えているのだろう。
「ヴァルターは驚かないの?」
ノアが尋ねる。
「驚いている。だが昨日、殿下自身が意外な名前もあると言っていただろう。それに一次選抜だ。適任かどうかはこれから判断される」
「それは俺にも刺さる言い方だな」
ディランが苦笑する。
「お前も含めて言った」
「素直だな、おい」
ディランが笑い、ヴァルターは肩を竦めた。
以前より、この二人も普通に話すようになっている。
その変化を眺めていたところで、学院の鐘が鳴った。
午前の授業が始まっても、教室の空気はなかなか落ち着かなかった。
一次選抜に入った生徒は午後から説明会へ参加するため、教師も最初から通常より短い授業を予定しているらしい。
休憩時間になるたび、シオンのところへ何人かの生徒がやってきた。
「アルヴェリア、本当に何も聞いてなかったのか?」
「昨日初めて知ったよ」
「王太子殿下と話したことあるんだろ?」
「あるけど、今回の話は聞いてない」
「何を見られて選ばれたと思う?」
「それを俺が知りたいんだけど」
何度似たような答えを返したか分からない。
露骨に敵意を向けてくる者はいなかったが、好奇心は隠しようがなかった。
中には納得できない表情を見せる生徒もいる。
それも当然だろう。
自分より成績が良く、実技でも優秀なのに選ばれなかった者はいる。
一次選抜とはいえ、王太子の側近候補へ繋がる選考である以上、何の感情も持つなという方が無理だった。
「大変ですね」
昼休みになり、ようやく質問が途切れたところでセレナが声を掛けてきた。
「明日には少し落ち着くと思うよ。たぶん」
「選考が始まったら、もっと増えるかもしれませんよ」
「それは考えないようにしてた」
シオンが机へ突っ伏すように腕を置くと、セレナが笑った。
「でも、嫌ではないんでしょう?」
「選ばれたことが?」
「はい」
シオンは少し考えた。
「嫌ではないかな。理由は知りたいけど」
王太子の側近になりたいと考えたことはない。
そもそも二度目の人生では、十八歳以降に何をするのかさえ決めていない。
それでも、アレクシスが何を考えて人を選び、どんな王国を作ろうとしているのかを近くで見る機会には興味があった。
「だったら、参加してから考えればいいと思います」
「セレナは?」
「私も同じです。まだ一次選抜ですし、最初から先のことまで決める必要はないでしょう?」
「それもそうだね」
今はまだ十三歳だ。
未来を決めるには早すぎる。
少なくとも今回は、六十歳まで生きた記憶があるからといって、十三歳の時点で残りの人生まで決めるつもりはなかった。
午後、一次選抜者たちは本校舎の会議室へ集められた。
シオンたちが到着した時には、すでに上級生を含め何人もの学生が席についている。
掲示板では名前だけを追っていたが、こうして一つの部屋へ集まると人数の少なさがよく分かった。
学院全体から選ばれたにしては、かなり絞られている。
セレナ、ディラン、ヴァルターも同じ部屋にいる。
先ほど掲示板で見たリーネ・アルセラの姿もあった。彼女は周囲と積極的に話す様子はなく、配られた資料を静かに読んでいる。
三年生のカイルス・レヴァンは逆に、近くの生徒へ自分から声を掛けていた。
他にも何人か、シオンが名前と顔を一致させられない生徒がいる。
「思ったより少ないな」
隣へ座ったディランが小声で言った。
「王宮が先に選んだって言ってたからね」
「ここからさらに減るんだろ?」
「そのはず」
「急に緊張してきた」
「昨日は選ばれたくないって言ってなかった?」
「選ばれた以上、最初から落ちるのは悔しいだろ」
いかにもディランらしい。
シオンが笑っていると、前方の扉が開いた。
入ってきたのはアレクシスと、王宮から来たらしい数名の大人だった。
生徒たちが立ち上がろうとすると、アレクシスが手で制する。
「学院内だ。そこまで畏まらなくていい」
全員が再び座る。
アレクシスは部屋を見渡した。
その視線がシオンのところへ来た時、ほんの少しだけ笑った気がした。
やはり選んだことを知っていたらしい。
「まずは、一次選抜に参加してくれたことへ礼を言う。昨日も話したが、ここにいる時点で将来の側近候補へ追加されたわけではない」
机の上には、今後の日程が書かれた資料が置かれている。
「これからいくつかの課題へ取り組んでもらう。知識だけを試す試験もあるが、それだけではない。複数人で問題を解決してもらうこともあれば、実際に学院外へ出てもらう場合もある」
ディランが僅かに姿勢を正した。
学院外という言葉に反応したのだろう。
「評価するのは結果だけではない。どう考えたか、誰の意見を聞いたか、自分の間違いを認められるか。場合によっては、何もしないという判断が正しいこともある」
シオンはその説明を聞きながら、改めて部屋の中を見渡した。
王宮が選んだ人間たち。
ここにいる全員が、何らかの理由で目に留まった。
自分については、その理由を想像できないわけではない。
セレナやディラン、ヴァルターについても、それぞれ思い当たるものはある。
上級生については知らない者の方が多い。
だからこの時のシオンは、まだ単純に興味を持って眺めていた。
誰が残るのだろう。
誰がアレクシスの新しい側近候補へ加わるのだろう。
そして、自分はどこまで進むのだろう。
そんなことを考えながら、配られた一次選抜者の資料へ視線を落とした。
そこには、学年ごとに整理された参加者全員の名前が記されている。
シオンはまだ、その一覧にあるべき一つの名前が存在していないことに気づいていなかった。




