2話
馬車に揺られて少女の屋敷へと向かう。
この街は中心に貴族街があり円状に広がっていて、奴隷の競売があった場所は南側の中部あたりで、普段はコロシアムとして賭け試合なども行われているらしい。
今日は珍しい品が入ると宣伝があり、「もしかしたら日本人がいるかも」ということで初めて競売に参加したと、彼女は嬉しそうに話していた。
そして連れてこられた屋敷の庭に建てられた小屋へと案内された。
「いくら奴隷と言っても、見ず知らずの人間を屋敷の中に入れるほど私も馬鹿ではありません。見張りもつけませんので、一晩この部屋で今後のことを考えなさい」
そう言って俺を残し、屋敷の中に入っていった。
部屋の中を見渡すと、机と椅子、そして簡素なベッドがあった。
ドアには一応内カギがあり、外からは鍵穴で開けられるようになっている。
逃げるとか考えないのだろうか?
そういえば結局、彼女の名前も聞いていないし、こちらも自己紹介をしていないな。
明日聞けばいいか。
久しぶりに体を全力で動かして限界だったので、倒れるようにベッドへダイブした。
「起きなさい! 日本人」
少女の声で目を覚ます。
時間を確認しようとしてポケットを探すが、スマホが無い。
今更ながら、着ていた服も含めて元の世界の物を何一つ持っていないことに気がついた。
「ちょっと! 聞いてるの、日本人」
呆けていた俺の顔を覗き込み、さっさと顔を洗って目を覚ますようにと言ったかと思った瞬間、手の上に水球を浮かべ、俺の顔にぶつけてきた。
ごふぉ!
鼻から水が入りむせる。跳ねた水が体と部屋中を水浸しにした。
抗議しようと立ち上がると、
「目が覚めたようね」
そう言って手を叩くと、先ほどまでの水が嘘のように消えた。
魔法だ!
ファンタジー世界に来たことを実感し、テンションが上がる。
いつか俺も使えるようになるのだろうか?
「何してるの、さっさとついてきなさい! 屋敷のみんなに紹介するから」
どうやら俺の奴隷生活も本格スタートらしい。
少女の後ろに続き、屋敷の中に足を踏み入れる。
集まっていたメイドたちに俺を紹介するようで何やら喋っているが、理解できなかった。
いきなり振り返ったかと思うと、
「そういえば、あなた名前は?」
「ソウタです」
「ソウタね! わたしはリディよ。リディお嬢様と呼びなさい」
リディというのか。こうしてお互いの名前を知ることができた。
名前を含めて改めて紹介が行われたようだが、リディ以外には日本語が通じないようだ。
なぜ彼女は日本語が使えるのだろうか?
「紹介も終わったし、書斎へ行くわよ、ソウタ」
言われるがままにリディについていく。
階段を上り、右奥の重厚な扉の先に書斎はあった。
「さぁ、ここがあなたの仕事場よ」
案内された書斎の一角には、日本語で書かれた本が無秩序に棚に並んでいた。
「何をすれば良いんですか?」
「この本の翻訳をするのよ! 私、話すことはできるけど、ひらがなしか読めないの。あなたの国の言葉っておかしいわ! なんで一つの文の中に3種類も文字を使っているの? 暗号なの?」
確かに日本語は複雑なのかもしれない。
わけが分からないといった様子のアクションを取るリディに、思わず笑みがこぼれた。
「何笑ってるの! さっさと仕事に取りかかりなさい」
そう言って急かしてくるリディに従い、本棚の前に移動する。
タイトルが読めないせいかジャンルも何もあったものではないが、気になった本を手に取る。
『サルでもわかる物理学』
パラパラとページをめくり読んでみる。
各ページに描かれたサルが集中を削いでくる。
「何の本を読んでるの?」
「これは物理学の入門書と言ったところですね」
「物理学?」
「なんて言ったら良いんですかね。物質や現象の仕組みや法則なんかを解き明かそうとする学問……ですかね」
「魔法学みたいなものかしら?」
「魔法学ですか?……そうなのかもしれません」
「ところで、なんて書かれてあるの?」
「分かりません」
「は?」
「言葉としては理解できますが、何のことかさっぱり分かりません」
「例えばですね、ここに加速度について書かれています」
そう言ってページをめくり、図を指差す。
「坂を転がる玉がこんな感じで加速するから、数式でこんな感じに表せますって書いているんですけど……で?って感じで」
さらに有名な学者の理論について書かれたページを開く。
「あとは、止まっているものと動いているものでは流れる時間が違う、みたいなやつとか」
「加速度? 時間が遅くなる?……何を言ってるの?」
「俺にはこれを噛み砕いてリディに分かるように伝える知識が足りないんです。俺はサル以下かもしれません」
物語の中の主人公のように、都合のいい知識を持ち合わせてなんかいないただの元ブラック社員に何を期待していたのか。リディの期待を裏切ってしまった俺の人生は、このままバッドエンドに突入してしまうのだろうか?




