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見えない私の/僕の同棲戦争  作者: 惰性ねてる


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珈琲の香り

微動だにしないテーブル上の皿。


私は身動きが取れずにいたが、空腹に耐えきれず皿が置かれている対面に座った。

皿もコップも、スプーンも微動だにしない。


私はそれらを凝視しながらカレーを頬張る。

ー何分経っただろうか。いつしかカレーを夢中で食べていて目を離していた。


テーブルに皿とスプーンを置く。


「ふぅ、ご馳走様。」


前髪が額の汗で張り付くのが不愉快だったので、カチューシャで髪をあげた。

そのまま冷蔵庫から麦茶を取り出し、テーブルの上にあるコップをぶんどった。


麦茶を注ぎ、一気に飲み干す。

カレーのスパイスが食道を通り抜けた感覚がした。


「んで、」


バンと音を立ててコップを置く。


「あなたは何者?幽霊なの?」


いきなり確信をついてしまった。

いやでも、バカバカしい。

自分で置いたのを忘れただけの可能性だってある。

認識が出来ていないとか。

私は記憶がぶっ飛ぶ程、頭を打っているのだからそういった事が起きてもしょうがない。


自分に言い聞かせて、席に戻る。


「日常生活に支障出ちゃったよ・・」


杏奈に電話しようか、でもバイトだったよな。と考えを巡らせていると、返ってこない答えの代わりにスプーンが震えながら動き出した。


カタカタと震えながらスプーンが宙を浮かぶ。

スプーンが目指したのは空の皿の上だった。

皿の上で掬う動作をした後の次の目的地は更に少し上だった。

同じ動作を繰り返しているのを見て気付く。


「何かを食べてる?」


私は息も忘れて観察をする。

まるでカレーを食べるような動作みたいだ。

私の前にいる何か?はまるで人間の様な所作で今食事をしているんだな。と思った。


そこでまた私の良くない癖が出てしまう。

皿を奪ったらどういう反応をするのかな・・。


恐る恐る皿に手を伸ばす。

驚く程、簡単に皿は取れた。

しかしその瞬間、皿は勢い良く私の手を離れた。


そしてまた、何事も無かったかの様に皿は食事の様な所作に戻る。


「なんなんだ、一体」


溜め息をつきながら椅子に腰を下ろした。

暫くスプーンの行方を目で追っていると、不思議と懐かしさみたいな感覚が溢れてくる。


その時、私の頬を涙が流れる。


「えっ?」


自分でも分からないが、私は何故か泣いてしまっている様だ。

目の前の光景が私の記憶を刺激しているのだろうか。

段々と感情がこみ上げてくる。

ひっ、ひっ、と年甲斐もなく、しゃくり泣く。


「どうしてだ、こんなにも・・」


私は結局寂しかったのだろうか。

この部屋で1人、身寄りも無く、記憶を無くした状態で人生再スタートという状況に心が追いついてなかったのだろうか。


暫く泣きじゃくっていると不意に頬に何かが当たった気がした。


「慰めてくれてるの?」


私の問いに答える存在は何もいない。

その代わりに私のマグカップが暫く傾き、私の手元へ滑ってきた。


「優しいんだな、キミは」


涙を拭き、差し出されたマグカップを手に取る。

中身は勿論、入っていないが飲む動作をしてみた。

やはり何も入ってはいなかったが、不意に珈琲の香りが広がったのだった。


ー翌朝ー


ピピピピ、ピピピピ

スマホの着信音で目が覚める。

画面表示<杏奈>


杏奈・・また朝からどうしたんだろうか。

時刻は丁度6時。

杏奈には申し訳ないけど、今日はもう少し寝よう。

昨日泣きすぎて疲れてしまった。


スマホを放り投げて布団に潜る。


(起きたら連絡するからね、杏奈。ごめん!) 


二度寝の決意と共に布団が勢いよくめくられた。


「い~く~ちゃ~ん~!」


むくれ顔の杏奈が腕組みをして立っていた。


(むくれ顔の天使も可愛いな。私の朝ごはんかな?)


杏奈の手を引っ張りベッドに誘う。

杏奈は抵抗する事なく、私の横に並んだ。


「おはよう、杏奈。どうしたの朝早くから」


むくれ顔の杏奈に質問する。


「育ちゃん、家事苦手だから1日家政婦に来たの!」


おお・・!なんという天使なのか。

いかん、口角が上がってしまう。


「それにしたって早すぎない?杏奈おばあちゃんじゃないか。」


「失礼な!早寝早起きはお肌にだって良いんだよ!」


「それに今は育ちゃんが心配なんだから」


「うん、ありがとうね」


人の温もりは心が落ち着く。

私は杏奈を抱き締めながら少しずつ眠りに落ちていく。


「育ちゃん、ほら起きよう」


杏奈の声が遠くで響く。


「もー、お寝坊さんめ。そんなに私と一緒に寝たいのか。」


「身動きが取れない・・もうしょうがないなあ。」


2人が次に目覚めたのは12時を回った頃だった。


(手が杏奈の涎でベタベタだな)


杏奈の頭を撫でてベッドから下りると、杏奈も目を覚ました。


「ん~、おはよう、育ちゃん。」


「おはよう、杏奈。」


「今何時?」


「12時過ぎた所だね。」


杏奈の目がカッと開く。


「12時!?」

「今日はご機嫌な朝食セット持ってきたのに~!」


「まあまあ、1食目は何時に食べても朝食でしょ。」


私の言葉に納得がいっていない様な表情をしながら杏奈もベッドから下りる。


「とりあえずご飯の準備するね!」 


杏奈が私の髪を指差して言う。


「育ちゃん、昨日お風呂入ってない!ボサボサ!」


(バレたか・・)


「先にお風呂入ってきなさい!ほら着替えとタオル!」


私の部屋を私よりも把握している杏奈さんは迷うことなくお風呂セットを渡してきた。


「はいはい、じゃあ入ってきますよー」


脱衣場に向かっているとキッチンから杏奈の悲鳴が聞こえた。


「きゃあああああ!」


そしてドタドタと足音がこちらにやってくる。


「育ちゃん!」

「お皿洗える様になったんだね!」


「う、うん。そりゃ私だって皿洗いの1つや2つくらい・・」


嘘をついた。恐らく昨日も何かが洗ってくれたのだろう。


「でも、なんで全部2人分なの?」

「誰か来た?」


杏奈の顔が曇る。


「いや・・その事なんだけど。」

「お風呂上がったら話すからちょっと待ってて。」


(なんて言ったら信じるかな、この子。)


「じゃ、入ってくるね。」


杏奈にそう告げて、私は浴室のドアを開けた。

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