EP 5
悪魔の「YES / NO」トレーニング ~その笑顔、管理者権限につき~
嵐のような出産劇から数時間が経過した。
迎賓館の寝室は、奇妙な静寂に包まれていた。
体力を使い果たした母マリアと、心労で数歳老け込んだ父ルークは、泥のように眠っている。
俺、ミルマ・クラウディア(生後0日)は、ベビーベッドの中で爛々(らんらん)と目を輝かせていた。
そして、ベッドの横には――直立不動のポーンがいる。
ルークの一喝でフリーズした後、再起動したポーンは、部屋の隅で待機モードに入っていた。
だが、その単眼は常に俺を捉えている。
いつまた暴走スイッチが入るかわからない不発弾。
両親が寝ている今こそ、この不具合だらけのハイテク機械を「デバッグ」する絶好の機会だ。
(さて……やるか。元外科医の指先と、簿記1級の管理能力の見せ所だ)
俺は状況を整理した。
今の俺に言葉は通じない。使えるインターフェースは二つだけ。
**「泣く(不快)」と「笑う(快)」**だ。
ポーンの行動原理は「ミルマの保護」と「ストレス排除」。
ならば、俺の感情こそが、コイツを制御するプログラミング言語になるはずだ。
ギギ……。
俺が動いたのを感知し、ポーンがゆっくりと近づいてきた。
その圧迫感は凄い。木の質感が妙に生々しく、パイルバンカーの冷たさが肌を刺す。
ポーンが俺の顔を覗き込み、恐る恐る手を伸ばしてきた。
触れようとしているのだ。
(テストケース1:俺への接触)
俺はポーンの指先が鼻先に触れる直前――腹筋に力を入れ、肺の空気を一気に吐き出した。
「ふぇ……ふえぇぇぇぇん!!(NO!!)」
『――!? 警告。対象の不快指数上昇。接触を中止』
ポーンの手がビクッと止まり、慌てて引っ込められた。
単眼が赤く明滅し、オロオロと視線を彷徨わせている。
「触れたら泣かれた。触れるのは悪なのか?」と学習しているのだ。
(よし。ここで止めるな。次は「正解」を教える)
俺は泣くのをピタリと止め、顔の筋肉を総動員した。
口角を上げ、目を細め、最強の愛想笑いを作る。
赤ちゃん特有の「天使の微笑み」だ。
「きゃっきゃっ!(YES!!)」
『……! 対象の笑顔を確認。幸福指数上昇。安定』
ポーンの単眼が穏やかな緑色に戻った。
強張っていた肩(枝)の力が抜け、安堵の雰囲気が漂う。
(学習したか? 「触ろうとして止める」=「褒められる」。よし、次のステップだ)
俺は視線を、眠っている両親――ルークとマリアに向けた。
ポーンもつられて二人を見る。
その瞬間、ポーンの殺気センサーがわずかに反応した。コイツにとって、両親はまだ「一度俺を泣かせた容疑者」なのだ。
(テストケース2:両親のホワイトリスト化)
ポーンがルークの方へ一歩踏み出し、排除すべきか迷うような素振りを見せる。
俺は即座に――
「びぇぇぇぇぇん!!(NO! 近づくな!)」
『ピピピッ! 警告! 対象の激しい拒絶!』
ポーンが硬直する。
「両親に危害を加えようとする」=「ミルマが悲しむ」=「任務失敗」。
このロジックを叩き込む。
そして、俺はまた瞬時に泣き止み、両親の方を見て、とびきりの笑顔を見せた。
小さな手を伸ばし、パパとママを求める仕草をする。
「あーうー! きゃっきゃ!(パパとママはYES! 大好き!)」
ポーンは交互に見た。
笑顔の俺と、眠る両親を。
『演算中……演算中……』
『論理更新。対象にとって、個体ルークおよびマリアは「幸福の源泉」であると再定義』
『保護対象リストに追加。優先順位:ミルマに次ぐ第2位』
(ビンゴ! 承認された!)
俺は心の中でガッツポーズをした。
これで両親への攻撃リスクは排除された。
だが、まだ足りない。
俺が目指すのは「無害化」ではなく「完全支配」だ。
この国で生き抜くには、世界樹の権力を利用し尽くす必要がある。そのためには、このポーンを俺の手足として動かさねばならない。
俺はポーンをじっと見つめた。
そして、ニッコリと笑い、右手を軽く上げた。
「お手」を求めるように。
ポーンは困惑している。
『……要求? 私に?』
ポーンはおずおずと、巨大な指(パイルバンカーの横)を差し出した。
俺はその指を、小さな手でギュッと握った。
そして、今までで一番の笑顔を見せる。
営業スマイルではない。心からの「よくできました」の笑みだ。
「あー!(採用!)」
ズキュゥゥゥン!!
ポーンの内部で何かが弾ける音がした(ような気がした)。
『――認証完了。』
『個体ミルマ・クラウディアを、絶対管理者として完全ロック』
『これより本機は、貴方様の感情を最優先事項として稼働します』
ポーンが、その場に跪いた。
ガチャリと音を立ててパイルバンカーを地面につけ、頭を垂れる。
それは騎士が王にする最敬礼。
俺(生後0日)は、その巨体を見下ろし、満足げに涎を垂らした。
(契約成立だ、ポンコツ執事。これから忙しくなるぞ。まずは……その右手のパイルバンカーで、俺のミルクの適温を測ってもらおうか)
***
翌朝。
目覚めたルークとマリアは、目を疑う光景を目撃した。
「……ルーク。私の目が変になったのかしら」
「奇遇だなマリア。僕も幻覚が見える」
そこには、殺戮兵器ポーンが、器用に指先を変形させて哺乳瓶を持ち、絶妙な角度でミルマにミルクを飲ませている姿があった。
「ごきゅ、ごきゅ……ぷはー!」
ミルマが飲み終わると、ポーンは背中を優しくさすり、ゲップをさせる。
『排気完了。続いてオムツの交換に移行します。湿度検知、不快指数上昇の予兆あり』
ポーンは手慣れた手つき(昨日生まれたばかりなのに)で、新しいオムツを展開した。
その動きは、ベテランの保育士も裸足で逃げ出すほどに洗練されていた。
「きゃっきゃっ!」
ミルマがポーンの鼻先をペチペチと叩く。
本来なら不敬罪で即処刑のアクションだが、ポーンは嬉しそうに目を細めている(ように見える)。
「な、懐いてる……?」
「いや、あれは懐いてるというより……崇拝?」
ルークは背筋に寒気を感じながらも、とりあえず命の危険が去ったことに安堵のため息をついた。
息子が、化け物を手なずけた。
その事実は誇らしいが、同時に「この子は本当にただの赤ちゃんなのか?」という親としての根源的な疑念も、ほんの少しだけ芽生え始めていた。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「ポーン様! エルフ女王ルナがお目通りを……ひぇっ!?」
飛び込んできた近衛兵が、跪いてオムツ替えをするポーンを見て、石化する。
その後ろから現れたルナ女王もまた、口をあんぐりと開けて固まった。
「ぽ、ポーン様が……人間の赤子の世話を……? しかも、あんなに幸せそうなオーラを出して……」
ルナ女王の脳内で、勝手な解釈が爆走する。
(あぁ、やはり! あの赤子は世界樹様の生まれ変わりに違いない! でなければ、あの高潔なポーン様がここまで傅くはずがない!)
「素晴らしい……! なんという尊い光景でしょう!」
ルナ女王は感涙し、その場で祈りを捧げ始めた。
「ミルマ様バンザイ! 世界樹様バンザイ!」
部屋の外のエルフたちも、それを見て一斉にひれ伏す。
ベッドの上でオムツを替えられながら、俺は冷ややかな目を向けていた。
(……やれやれ。勘違いが加速していくな。まあいい、この「神聖な赤子」というポジション、使えるだけ使わせてもらおう)
俺はポーンに向かって、ニヤリと笑った。
ポーンもまた、単眼を一瞬だけ光らせて応えた。
俺たちの「国盗り物語(脱出計画)」は、まだ始まったばかりだ。




