EP 4
命がけの出産(vs ポーン)~お母さん、逃げて~
その瞬間は、唐突に、しかし確実に訪れた。
(ぐっ……! 狭い! 苦しい! 押し出される!)
マリアの胎内で、俺は強烈な圧力に晒されていた。
陣痛。それは母体にとっても激痛だが、胎児にとっても命がけの脱出劇だ。
元外科医として帝王切開の現場には何度も立ち会ったが、まさか自分が「取り上げられる側」になるとは。
「んんっ……ああああっ!!」
「頑張れマリア! もう少しだ! 頭が見えてる!」
外ではマリアの絶叫と、ルークの必死な励ましが聞こえる。
そして、無機質な合成音声も。
『バイタル正常。心拍数、血圧、共に規定値内。産道拡張率95%。カウントダウン開始』
ポーンだ。
コイツ、分娩室(迎賓館の寝室)の最前列に陣取ってやがるな?
プライバシーの侵害も甚だしいが、今は文句を言っている余裕はない。
(よし、出口だ……! 30年ぶりのシャバの空気だ!)
ズルンッ。
生暖かい感触と共に、全身が外気に晒された。
眩しい光。肌を刺す空気の冷たさ。
肺が酸素を求め、横隔膜が痙攣する。
(さあ、第一声だ。この腐った国への宣戦布告を……!)
「――我、此処に生誕せり! 納税の準備はいいか貴様ら!」
と、叫ぶつもりだった。
しかし、未発達な声帯と本能は、俺の理性を軽々と凌駕した。
「――おぎゃあああああああああっ!! ほぎゃああああああああ!!」
(くそっ! 勝手に! 涙も止まらねえ! これが赤ん坊のスペックか!)
元気な産声が部屋中に響き渡る。
マリアは汗だくになりながらも、慈愛に満ちた表情で手を伸ばした。
「まぁ……元気な子……。ミルマ、こっちへいらっしゃい。おっぱいはここですよ……」
「よくやったマリア! 可愛い男の子だ!」
助産師のエルフがへその緒を切り、俺をマリアの胸に抱かせようとした。
感動的な家族の対面。
幸せの絶頂。
――だが、それは**「誤認」**の引き金だった。
『――警告。警告。警告』
部屋の空気が凍りついた。
ポーンの単眼が、穏やかな緑色から、危険な赤色へと変貌していたのだ。
『対象の絶叫を確認。ストレス値、レッドゾーン到達』
『原因をスキャン中……特定。直前に接触していた「母体」による、物理的圧迫および環境変化による苦痛と断定』
ポーンの思考回路は、あまりに単純で、あまりに暴力的だった。
「ミルマ様が泣いている」=「誰かがミルマ様を傷つけた」=「排除せよ」
「え……?」
マリアが俺を抱こうとした腕が止まる。
『加害行動の継続を予測。排除する』
ポーンの左腕から、無数の鋭利な蔦が弾丸のように射出された。
狙いは、産後の疲労で動けないマリアの首と手足。
「きゃあああああっ!?」
「マリア!!」
ガキィィィィンッ!!
金属音が響き、蔦が千切れ飛ぶ。
間一髪、ルークが腰の剣を抜き放ち、マリアへの攻撃を切り払っていた。
さすが元A級冒険者、神速の反応だ。だが、相手が悪すぎる。
「何をしている貴様! マリアはミルマの母親だぞ!」
ルークが怒号を上げる。
しかし、ポーンに聞く耳はない。
『障害を確認。対象の安全確保を妨害する者は、等しく敵対勢力と認定する』
ガシャンッ!!
ポーンの右腕が変形した。
鋼鉄をも貫く、処刑用パイルバンカー。
その杭の先端が、ルークの眉間に向けられる。
「ひっ……!」
助産師のエルフたちが悲鳴を上げて腰を抜かす。
外にいた近衛兵たちが異変に気づいて飛び込んでくるが、ポーンの殺気に当てられて動けない。
(やめろ! やめろバカ野郎!)
俺はマリアの腕の中でパニックになっていた。
父さんが殺される。母さんも殺される。俺を守るという名目で、俺の家族が皆殺しにされる!
(止まれ! 攻撃中止だ! キャンセル! アボート!)
叫ぼうとするが、口から出るのは「おぎゃあ! おぎゃあ!」という泣き声だけ。
そして最悪なことに、俺が泣けば泣くほど、ポーンの「排除モード」は加速していくのだ。
『対象の悲鳴が増大。脅威レベル引き上げ。殲滅モードへ移行』
「くっ……! このポンコツ人形がぁぁぁ!!」
ルークが剣に闘気を纏わせ、決死の覚悟で踏み込む。
だが、ポーンは植物特有の不規則な動きで剣を躱し、無慈悲にパイルバンカーを突き出した。
ドォン!!
壁が吹き飛ぶ。
ルークは紙一重で回避したが、衝撃波で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
「あなた!!」
マリアが悲鳴を上げる。
その恐怖が伝播し、俺はさらに激しく泣いてしまう。
恐怖の無限ループ。地獄の連鎖。
ポーンはゆっくりと、マリア――俺を抱いている母へと歩み寄る。
その単眼には、一切の感情がない。ただ「主を泣かせる元凶を排除する」という機械的な使命感だけがある。
『対象を回収する。母体は……不要』
ポーンの蔦が、鎌首をもたげる蛇のようにマリアを狙う。
マリアは俺を必死に抱きしめ、背中を向けて震えている。
(……許さない。俺の両親に指一本でも触れてみろ。俺は一生、世界樹を呪ってやる)
俺の中に、明確な殺意と、王としての「命令権」への渇望が芽生えた瞬間だった。
「――いい加減にしろぉぉぉぉッ!!!」
瓦礫の中から、血まみれのルークが立ち上がり、叫んだ。
「貴様のせいで!! ミルマが泣いているのが分からないのか!!!」
ピタリ。
ポーンの動きが止まった。
『……検索。私の……せい……?』
「そうだ! お前が暴れるから、マリアが怯え、その恐怖がミルマに伝わっているんだ! ミルマを苦しめている元凶は、お前だバカモノ!!」
ルークの魂の叫び。
それはポーンの論理回路に、致命的なパラドックス(矛盾)を突き刺した。
【論理エラー発生】
ミルマ様を守る行動 = ミルマ様を泣かせる行動
守護者 = 加害者
自己矛盾。自己矛盾。
『エ……ラー……。私が……害……?』
ポーンの単眼が赤と緑に激しく点滅し、ガクガクと痙攣を始める。
パイルバンカーの推力が落ち、蔦が力なく垂れ下がった。
その隙を見逃さず、ルークは剣を収め、マリアに駆け寄って二人を抱きしめた。
「大丈夫だ……大丈夫だ、ミルマ。父さんがいる。母さんがいる」
両親の温もりと、落ち着いた心音。
それが伝わり、俺の涙は自然と引いていった。
呼吸が整い、泣き声が小さくなる。
『……対象の沈静化を確認。脅威レベル、低下』
ポーンは膝をつき、再起動中のPCのようにフリーズした。
どうやらルークの言葉が「強制シャットダウン」として機能したらしい。
「はぁ……はぁ……。助かった……のか……?」
ルークがその場に崩れ落ちる。
マリアの腕の中で、俺は涙に濡れた目でポーンを睨みつけた。
(……何とかなったが、これは一時しのぎだ)
コイツには善悪がない。常識もない。
「ミルマのため」という大義名分さえあれば、次は本当に父さんを殺しかねない。
(教育だ。徹底的なしつけが必要だ)
俺は決意した。
この最強で最悪の暴走機関車を、俺の意のままに動く「忠実な下僕」に作り変える。
元外科医の指先と、元会計士の管理能力、そして赤ちゃんの「愛らしさ」を武器に。
俺はポーンを見据えながら、小さく拳を握りしめた。
「調教」の時間は、これからだ。




