EP 10
「さよなら、ママ」 ~その言葉、契約破棄につき~
『聖・植樹祭』当日。
世界樹の森は、かつてない熱気に包まれていた。
広場には数万人のエルフが集まり、彼らの視線は一点――祭壇の中央に鎮座する、豪奢な「若木の籠」に注がれている。
その中には、儀式用の純白の産着に包まれた俺、ミルマ・クラウディア(生後1ヶ月)がいた。
(……趣味が悪すぎる)
俺は心の中で毒づいた。
籠の周りは、色とりどりの花と、高価な魔石でデコレーションされている。
まるで生贄の祭壇だ。いや、実際これから俺は、世界樹の地下水脈に「接続」され、一生この森から出られない「生きた神像」にされるのだから、生贄と変わらない。
「さあ、皆さん! 歓喜なさい! 今日、ミルマ様は真に世界樹様の一部となるのです!」
女王ルナが、感極まった声で宣言する。
地鳴りのような歓声。
誰も疑っていない。これが「善意」であり「愛」であることを。
俺の横には、ルークとマリアがいる。
二人の顔は蒼白で、笑顔が引きつっている。彼らは知っているのだ。この儀式の意味を。
そして、俺の後ろには――漆黒のマント(儀礼用)を羽織ったポーンが控えている。
その単眼は静かに点滅し、俺からの「GOサイン」を待っている。
(準備はいいか、父さん、母さん。……そして、ポンコツ執事)
俺はチラリと、広場の隅を見た。
そこには、警備隊を指揮するカイゼル将軍の姿がある。
彼は俺と目が合うと、ほんの数ミリだけ顎を引いた。
『ルート確保完了。東ゲートの警備は、もっともやる気のない部隊に交代させてある』という合図だ。
さらに、群衆の後方。
宰相デデリゼが、ハンカチで汗を拭うふりをして、タブレットを操作した。
『ゴルド商会の輸送馬車、国境付近にて待機中』という信号だ。
(役者は揃った。……監査終了だ。これより、このブラック企業(国家)を退職する!)
「では、儀式を始めます!」
ルナが手を掲げると、祭壇の床が割れ、世界樹の本体から伸びた「黄金の根」が姿を現した。
それは蛇のように鎌首をもたげ、俺の足首を狙う。
あれに触れられたら終わりだ。魔力パスが繋がり、俺は物理的にこの土地に縛り付けられる。
根が、俺の素足に触れようとした、その瞬間。
俺はポーンに向かって、小さな指をパチンと鳴らした(つもりだが、実際はふにふにとした音しか出ない)。
だが、それで十分だ。
『――コマンド:契約履行』
ズドォォォォォォォン!!
爆音が轟いた。
ポーンの右腕、パイルバンカーが火を噴き、祭壇の床を粉砕したのだ。
黄金の根が千切れ飛び、石畳が舞い上がる。
「きゃあああっ!?」
「な、何事だ!?」
どよめきと悲鳴。
砂煙の中から、ポーンが飛び出す。
その左腕には俺を、右腕にはルークとマリアを抱えている。
「ポ、ポーン!? 乱心したか!?」
ルナが絶叫する。
ポーンは無機質な声で、広場全体に響き渡るように告げた。
『否定。これは乱心ではない。マスター(ミルマ)の「環境最適化行動」である』
『現在の環境(エルフ国)は、マスターの育成において「過干渉」および「自由の侵害」により、不適切と判断。よって、推奨エリア(国外)への転居を実行する』
「な……何を言っているの!? ここ以上の楽園なんてないわ! 戻りなさい!」
ルナが杖を振るう。
世界樹が呼応し、広場の木々が一斉に襲いかかってくる。
数万本の枝が、俺たちを捕らえようと壁となって立ちはだかる。
「くっ……! さすがに多勢に無勢か!?」
ルークが剣を抜こうとするが、ポーンに抱えられていて動けない。
逃げ場はない。
360度、緑の牢獄。
世界樹(ヤンデレ母)の本気だ。「行かせない」という執念が、物理的な質量となって押し寄せる。
だが、俺は焦っていなかった。
俺はポーンの腕の中から、迫りくる樹木の壁を見据えた。
(甘いな、ママ。……植物なら、俺の管轄だ)
俺はスキル**『植物愛』**を全開にした。
「愛される」だけじゃない。愛が重すぎるなら、こちらからも「愛(命令)」を返してやる。
俺は小さな手を、樹木の壁にかざした。
そして、心の中で強く念じた。
(道を開けろ。……俺のことが好きなら、俺の進む道を邪魔するな)
ザワッ……。
襲いかかろうとしていた枝が、空中でピタリと止まった。
殺気が消える。
代わりに、植物たちから伝わってきたのは『困惑』と……『切なさ』だった。
「行っちゃうの?」「行かないで」「でも、あの子が通りたがってる」「邪魔したら嫌われる?」
植物たちの会議は、0.1秒で決着した。
結論:推し(ミルマ)の願いは絶対。
ズズズズズ……!
驚くべきことに、行く手を阻んでいた樹木の壁が、左右に割れたのだ。
それだけではない。
割れた木々が絡み合い、地面を覆い、平坦で走りやすい「花道」を作り出した。
東のゲートへと続く、一直線のレッドカーペットだ。
「なっ……!? 世界樹様が、道を譲った……!?」
ルナが腰を抜かす。
エルフたちも、信じられないものを見る目で道を開ける。
『ルート確保。全速前進』
ポーンの背中からブースター(風魔法噴射口)が展開される。
【ナイト形態:疾風騎馬種】への部分変形。
下半身が馬のように変形し、爆発的な加速で花道を駆け抜ける。
「待て! 逃がすな! 追えぇぇぇ!!」
近衛兵たちが我に返り、追撃を開始する。
だが、その前に一人の男が立ちふさがった。
カイゼル将軍だ。
「おっと。……すまないが、ここから先は『事故』で通行止めだ」
カイゼルは「うっかり」という体で、広場の巨大なオブジェ(ルナの銅像)を切り倒した。
ズゴォォォン!!
銅像が倒れ、追撃部隊の道を完全に塞ぐ。
「将軍! 何を!」
「いやあ、手元が狂ってしまってな。老化かな?」
カイゼルは白々しく言い放ち、遠ざかる俺たちの背中に向かって、無言の敬礼を送った。
(あばよ、苦労人。達者でな)
ポーンは風となり、東ゲートを突破した。
デデリゼが手配した検問所は、なぜか「昼休憩中」で無人だった。
彼女の完璧な根回しだ。
そして、国境の森の切れ目。
そこには、ゴルド商会の紋章が入った頑丈な馬車が待っていた。
『到着。目標地点到達』
ポーンが着地し、俺たちを下ろす。
馬車の御者が、目を丸くして駆け寄ってきた。
「こ、これはデデリゼ様の紹介の方々!? まさか、そんな怪物連れとは聞いてませんが!?」
「話は後だ! とにかく出してくれ! 追手が来る!」
ルークが叫び、全員で馬車に乗り込む。
馬車が走り出す。
窓の外、遠ざかっていく世界樹の森。
だが、まだ終わっていなかった。
森の奥から、悲鳴のような、咆哮のような「風の音」が聞こえてきた。
『イヤァァァァァッ!! イカナイデェェェェッ!!』
世界樹の絶叫だ。
空が暗転し、森全体が蠢き、国境を越えて根が伸びてこようとする。
愛が重すぎて、物理的に国境線を侵犯しようとしているのだ。
(しつこいな……。最後通告が必要か)
俺は馬車の窓を開け、身を乗り出した。
マリアが「危ないわ!」と止めるが、俺は構わずに世界樹を見据えた。
そして、俺は初めて、明確な言葉を紡いだ。
赤ちゃんの未発達な喉を、魔力で無理やり震わせて。
「――ばいばい、ママ」
その言葉は、拒絶ではない。
「親離れ」の宣言だった。
ピタリ。
暴れ狂っていた世界樹の根が止まった。
「ママ」と呼ばれたことへの衝撃と、別れの言葉の重み。
ヤンデレ母は、その言葉を噛み締め、そして……泣き崩れるように、枝を垂れた。
森は沈黙した。
もはや、追ってくる気配はない。
俺は窓を閉め、シートに深々と体を預けた。
「……終わった……のか?」
ルークが呆然と呟く。
「ええ……。脱出できたのね……」
マリアが俺を抱きしめる。
俺はポーンを見た。
ポーンは馬車の隅で、小さく体育座りをしている(巨体なので狭そうだ)。
国を裏切り、主(世界樹)を裏切った反逆の兵器。
だが、その単眼は、今までで一番穏やかな緑色に輝いていた。
『マスター。次の目的地は?』
俺はニヤリと笑った。
懐から、デデリゼが餞別として持たせてくれた「地図」を取り出す。
そこには、東の大国――近代化された軍事国家の名前が記されていた。
(行くぞ、ポーン。父さん、母さん)
(次の舞台は、あの「ラーメンと銃の国」だ)
俺たちはエルフの森を背に、新たな混沌へと旅立った。
第一部『エルフ国編』・完




