EP 1
激突、そして最強の胎児爆誕
「……チッ、今月の外科の赤字、また消耗品の在庫管理が甘いせいか」
俺、赤井護、30歳。
地方の総合病院で外科医としてメスを振るう傍ら、趣味で取得した日商簿記1級のスキルを活かし、経営陣にコスト削減の嫌味を言うのが日課となっていた。
早朝の通勤路。愛車である軽自動車のハンドルを握りながら、脳内では昨夜見た貸借対照表が踊っていた。
命は尊い。だが、それを救う現場が赤字垂れ流しでは、持続可能な医療とは言えない。合理性こそが正義だ。
交差点に差し掛かった、その時だった。
キキィィィィィ――ッ!!
鼓膜をつんざくブレーキ音。
横を見ると、居眠り運転だろうか、巨大なトラックが俺の軽自動車に向かって突っ込んでくるところだった。
(あ、これ物理的に助からないやつだ。……借方、車両運搬具。貸方、俺の命。減価償却にしては早すぎるだろ……)
ドガァァァァァァァン!!
衝撃と共に、俺の意識はブラックアウトした。
痛みは一瞬。
そして、次に訪れたのは、奇妙な浮遊感と――圧倒的な温もりだった。
***
場所は変わり、マンルシア大陸。
軍事経済超大国『太郎国』。
その首都タロー・シティの一角に建つ、鉄筋コンクリート造15階建ての巨大集合住宅――通称『マンモス団地』。
その5階、502号室で、一組の夫婦が旅支度を整えていた。
「ルーク、戸締まりは確認した? 『タローソン』で買った旅行用のパンとお茶は持った?」
「ああ、大丈夫だマリア。ガス魔法コンロの元栓も閉めたし、『タロウ寝泊まりカフェ』に借りてた漫画も返却ボックスに入れてきたよ」
夫の名は、ルーク・クラウディア(30)。元A級冒険者の剣士。
妻の名は、マリア・クラウディア(30)。元A級冒険者の僧侶。
かつては戦場を駆け抜けた二人だが、今は引退し、この近代的な団地で慎ましい生活を送っている。
ルークは黒髪に碧眼の好青年、マリアは金髪の美女。美男美女のカップルだが、二人の顔には拭いきれない憂いがあった。
子宝に恵まれないのだ。
太郎国が誇る最先端医療――サリー魔導科学相が監修した不妊治療も試した。
『スーパー銭湯 極楽の湯』の子宝の湯にも通った。
それでも、マリアの腹に命が宿ることはなかった。
「……これが最後の頼みの綱ね」
「ああ。エルフの国にある『世界樹』への祈願。科学でも魔法でも駄目なら、もう神頼みしかない」
二人は玄関のドア(鉄製・郵便受け付き)を閉め、エレベーターで1階へ降りた。
団地の前にあるバス停には、すでに『バイソン・バス(快速・国境行き)』が到着していた。
「行こう、マリア。きっと世界樹様なら、僕たちの願いを聞き届けてくれるはずだ」
文明の利器であるバスに揺られ、二人は近代都市を後にした。
彼らが向かうのは、太郎国とは対極にある、太古の森。エルフたちが住まう『世界樹の森』だった。
***
数日後。
ルークとマリアは、エルフの国の中枢、世界樹の根元にある祭壇に跪いていた。
空気は澄み渡り、視界を埋め尽くすのは圧倒的な緑。
太郎国のネオンやコンクリートジャングルとは別世界の、神聖な静寂がそこにはあった。
目の前には、雲を突き抜けるほどの巨木――世界樹ユグ・アナステシアが鎮座している。
「世界樹様……どうか、どうか私たちに子供を授けてください」
「どんな代償を払っても構いません。私たちの愛の結晶を……」
マリアの悲痛な祈りが、森に響く。
ルークもまた、額を地面に擦り付けて祈った。
その時である。
(……ん? ここは……どこだ?)
虚空を漂っていた『俺』の魂が、強烈な引力に引かれ、マリアの胎内へと滑り込んだのは。
ドクンッ。
マリアの腹部で、小さな、しかし力強い鼓動が始まった。
「あっ……!」
マリアが目を見開き、自分のお腹に手を当てる。
元僧侶である彼女の鋭敏な感覚が、確かにそこに宿った『魂』と『生命』を感知したのだ。
「ルーク……! きた……きたわ! 赤ちゃんが……!」
「本当か!? マリア!!」
抱き合う二人。
涙を流して喜ぶ夫婦。
だが、感動的なシーンはここまでだった。
俺がマリアの腹に宿った瞬間――世界樹が、とんでもない反応を示したのだ。
『――検出。検出。検出』
『特異点を確認。魂の波長、適合率12000%。』
『あぁ……やっと見つけた。私の……私の愛し子……!』
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!
突如、大地が激しく揺れた。
地震ではない。世界樹そのものが歓喜に打ち震えているのだ。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
ルークが反射的に腰の剣に手を伸ばす。
次の瞬間、地面のアスファルトならぬ土が爆ぜ、極太の『木の根』が四方八方から飛び出した。
「マリア! 危ない!」
ルークが妻を庇おうとするが、根の動きは攻撃ではなかった。
シュルルルル……フワッ。
太い根は、まるで熟練の職人が編み込むように絡み合い、一瞬にして『巨大な鳥籠のようなドーム』を形成。
さらに、マリアとルークの足元が隆起し、最高級の羽毛布団よりも柔らかい『苔と花のソファ』を作り出した。
「え……?」
呆然とするマリアを、根が優しく、しかし逃さないという強い意志を持って包み込む。
『愛でなさい。育みなさい。決して傷つけず、決して腹を空かせず、決して不快にさせず』
脳内に直接響くような、重厚で、ねっとりとした甘い念話。
(うわ、なんだこの粘着質なプレッシャーは……。俺、なんかヤバイところに再就職(転生)しちゃったか?)
胎児となった俺は、羊水の中で戦慄した。
これは祝福なんて生易しいものじゃない。
これは――依存だ。
そして、世界樹の幹が輝き、そこから『一つ』の種子が地面に落ちた。
種子は急速に発芽し、人の形を取り始める。
植物でできた筋肉。
宝石のような緑の瞳。
左手には砲門、右手には杭打機。
世界樹が生み出した、最強の守護者にして処刑人――ポーンの誕生だった。
ギギギ……と、生まれたての木人形が首を動かし、マリアの腹(俺)を見据える。
「――対象、確認。我が命、我が存在の全てを捧げん」
エルフの女王も、将軍も、誰も見たことがない『世界樹の過剰反応』。
元外科医の俺が計算するまでもなく、この先の人生の『平穏指数』がストップ安になった瞬間だった。




