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雷に打たれて死ねば  作者: 莞爾
1章 親父編
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1-3 少年期

 さて、北海道の親父〈雅人〉の話は終わり、舞台を新潟に移す。 やよい荘への入居、他諸々を工面してくれた母の再再婚相手の名は〈井神一馬(仮名)〉。衣食住を整えてくれた彼は面倒見が良いように思えるが、果たして……。


 井神家は豪農の家系で、本家は幼稚園を営むほどの裕福な家だった。私は転入した幼稚園はまさに井神家の大黒柱が園長をしている。 当時は一級の品質と評され、その地位を盤石にしていた新潟県産コシヒカリの田んぼを数えきれない程所有し、親父はその稼ぎで株式投資も行っていたようだ。後に小耳に挟むが、最低でも資産は二億あったらしい。


 私の人生の中で、最も大きな家に住んでいた時代である。信濃川沿いに見渡す限りの田んぼがあって、その他山の各地にも田んぼ、田んぼ、田んぼ。牛舎に畑。どっしりと大きな家にはダイナミックにうねる桜の木が植わっていた。 友達は「こんな大きな家、初めて見た」と尊敬の眼差しで言っていたが自分の手柄ではないのでピンと来なかった(おそらく多くの人間がそうであるように、裕福な暮らしをしている時には自覚が無いものなのかもしれない)。


 なにより、見た目だけは大きな家だとしても、この家は古い。トイレなんか〈ぼっとん便所〉だった(落ちたことあります!)。


 ここで暮らす息苦しさは、やよい荘とそう変わらなかった。 一番裕福で、一番辛い暗黒時代の始まりである。



 新しい親父〈一馬〉は、母とは歳の差があっただろう。子供ながらに「オジサンだな」と思っていた。 見た目は中肉中背で、禿げてはないが撫で付けた七三分けにボリュームはなく、家では着古した袖無しシャツ(ノースリーブ? タンクトップ?)とパンツ姿の、如何にもなおじさんだった。


 生活ぶりも古風で、味噌汁に入れる煮干しは頭も腑も取らないし、具の一つとして食べるようにと教わった。私は程なく煮干し嫌いになった。残しているのがバレると親父は厳つい顔で怒るので怖かった。


 そうそう。この親父は子供を叱る時には妙な癖があった。 なぜかその場で怒るのではなく、その晩に寝込みを襲うように怒るのだ。布団に横になっている私の体を掛け布団ごと押さえつけてのし掛かり、大きな顔面が暗闇の中で迫る。そして囁き声でその日やってしまった失態を責める。これが異質の怖さで苦手だった。……苦手なんてものではない。妖怪の類だ。トラウマものである。 それでなくとも、いかにも昭和世代らしいやり方として、外に締め出したり、地下に閉じ込めたりもした経験もある。厳しい親父だった。泣きながら窓から侵入したり、必死で抵抗したものだ。


[余談:このあたりの親子の有り様は『CRUMBLING SKY(私が書いた小説)』に反映されているのかも。執筆時は意識していなかった。]


 なので、ふやけた煮干しを口に含んで食べたふりをして、トイレで吐き出すなり、ティッシュに包んで捨てていた(この体験のせいで煮干しラーメンを長らく食わず嫌いしていた)。


 不思議なことに兄は煮干し好きになっていた。とはいえ齧るのは(もっぱ)ら乾物の煮干しで、味噌汁の具としては「無し」判定だっただろう。 兄はよく食べる子供だったと記憶している。わんぱくで、肉が好きで、明るい性格だった。私からすると「なんで元気なんだろう?」と不思議だったが、その明るさに救われた部分は多い。



 冬。新潟は豪雪地帯で、この季節は一夜にして景色が真っ白に様変わりする。


 私と兄、そして近所の兄の友人であるタカシ君の三人で登校している途中、すぐ近くの棚田が綺麗な雪原になっていた。それこそテレビで見るような、スキー場を彷彿とさせる新雪の柔らかな坂道が小学生の前に現れたのである。


「学校行く前にちょっとだけ遊ばない?」


 誰が提案したのか覚えていないが、魅力的な誘いを断る者はいなかった。そうと決まれば我先に坂を登った。 ジャンパーのフードを目深に被り、頭から坂を滑る。仰向けに見上げた快晴が心地よく、滑り降りる体感覚は何とも言い難い楽しさだった。ランドセルを腹に抱えてうつ伏せで滑ったり、暑くなって脱ぎ捨てたジャンパーを敷物として扱い、何度も坂を滑っては登り、また滑っては笑い合った。誰が一番遠くまで滑ったか競ったりした。登校途中だということをすっかり忘れ、気がつけば日が暮れかかっていた。


 学校では捜索願いが出される寸前だった。 きっととんでもなく怒られたはずだが、遊んだ思い出しか残っていない。 霜焼けた冷たい記憶が暖かい思い出になっている。



 井神家で生活して数年。 なんとなく、ここでの生活が《《長いな》》と感じていた。


 住処を移して生きることが当然だったので、旅が立ち往生しているような息苦しさがあった。新しく生活を共にしている謎の男『親父』という存在はなんだかでかくて怖いし、別の場所に移るのはいつだろうとばかり考えていた。 この頃の私は、衣食住は満たされていたが、どこかしっくりきていなかった。


 『親父』とは何か。 『家族』とは何か。 『大人』とは何か。


 親は、子供には何も知らせないまま、無垢なまま育ってほしいと思ったのかもしれない。言ってわかってもらえるような内容ではないことは確かだ。


 だが、無知なままでいることを求められている疎外感は子供ながらに感じていた。北海道産まれであることも、夜逃げしてきた理由も教えてもらっていないので、ずっと《《しこり》》を感じながら過ごしていた。



 親父との距離感はずっとチグハグしていた。 保管していた漫画コレクションを読ませてもらったことがある。確かあれは『水滸伝』か……。あとは物置で埃をかぶっているアコースティックギターもあった。少し遊んで私は飽きた。広い家だが退屈だった。


 親父が持っていたテレビゲームは〈スーファミ〉だった。兄とよく遊んだ。レバガチャして訳もわからないうちに勝敗が決まるのでゲラゲラ笑った。 流行り廃りを知らない子供だったので、ゲームキューブの存在を知らなかった。親父は気を利かせて買ってくれたので、「未来が来た!」と感じた。


 二〇〇一年。ニュースで『911テロ事件』が取り沙汰されていた頃、私は小学生になった。

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