1-2 北海道の親父
前書きで触れた通り、『地震雷火事親父』にリーチがかかっている私の、特に親父に焦点を絞ったエピソードが中心となる。
「おいおいエッセイの最初が『親父』って面白くなさそうだな」
――とか思っているかもしれないが、まぁ読んでみてほしい。 ある程度時系列に沿って語る都合、どうしても親父から語らなければならないのだ。
※本作には、精神疾患、家庭内の問題に関する描写が含まれます。読まれる方の心身の状態に応じて、無理のない範囲でお読みください。
新潟で再婚した新しい親父について語る前に、北海道の元親父〈池田雅人(仮名)〉のことを語っておかなければならない。
母が夜逃げ同然でフェリーに乗り込み、北海道から飛び出すこととなった、私達のビギンズナイト。
とはいえ、私が物心がつく前の出来事であるため、母から聞いた経緯をそのまま書くことしかできない。主観的で父側の言い分が介在しない偏向の向きがあるとしても、そこは容赦願いたい。
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ざっくり数十年前、若かりし頃の母はかなり荒れた若者だったようだ。跳ねっ返りで教師との折り合いも悪く、時代的にも『スケバン』みたいな人間だったのだと思われる(かなりマイルドに言っているが、自分で刺青入れたりしているので、日本基準では測れないアウトローだ)。
出稼ぎに日本へ向かうとき、まず目指したのは北海道の小樽市だった。南の出身だから北国に憧れたのだろうか、選んだ理由は聞いていないが少なくとも繁華街があり、外国籍の飲み屋は多かったようだ。
母は気に食わないことがあると異を唱えずにはいられない質で、かっとなれば歯止めの効かない人間だった。むかつく客にはビール瓶を投げたりしたのだと聞いた。 揉め事を起こすのは毎度のことで、「客が悪い」と居直るのがいつものことだった。キャストとしてかなりピーキーでビビットな存在だっただろう。 壁に激突したビール瓶の破片を片付け、喧嘩の火消しに忙しくしているのが、後の父となる雅人である。彼はボーイとして働き、別の店ではホストもやっていた。
当時は1990年代、ホストといえば後ろに暴力団がいるのも珍しくなかった。〈池田組〉は雅人の父(私からみて祖父)が元締めをしていたらしい。 元締めの息子である雅人は果たして稼ぎ頭だったのだろうか……おそらく、いわゆる“できる男”ではなかったのだろう。少なくとも、家庭を支えるタイプには見えない。
雅人は夜の街で母と出会い、結婚して子供二人を設けた。それが兄と私である。……実は母は、この時点で二度目の結婚だった。父親違いで十歳離れた長姉と八歳離れた長兄がいる。二人は海外の実家で生活しているため数えるほどしか会ったことはない。もちろん言葉も通じない。どんな父親だったのかもわからないので語ることができない。
……ややこしくなってきた。 簡単にまとめると、
母の初婚(おそらく十代後半)で姉と長男が生まれた。 離婚後に北海道へ。雅人と再婚して次男と私が生まれた。 雅人とも離婚後、北海道から新潟へ移動。という流れだ。
ええい、これは母の懐古録ではないのだ。 話を戻すぞ!
私は自分の父親のことを忘れてしまっている……これは幼かったからではなく、幼少期に母が命じたのだ。『あいつのことは忘れなさい』『お父さんは死んだってことにしなさい』と。 だから思い出さないように努め、そのうち本当に忘れてしまった。そう思っていた。 今回懐古録を書くにあたり、深く沈んだ泥流の中から雅人に関する記憶をいくつか掬い上げることができた。
朧げな記憶だが、父に開店前のホストクラブに連れて行ってもらったことがある。窓のない真っ暗な室内にスポットライトだけを灯して、ルーレットの卓が照らされている。 私と兄は誰もいない卓で遊んだ。兄がルーレットのハンドルを回して、私が溝に球を転がす。ゴロゴロと音を立ててよく回った。賭け金のないまま球をずっと見ていた。 それとは別に、小さな鳥かごのようなものもあった。ビンゴマシンだ。兄は中に詰まっている番号の書かれた白い球を出すために、ハンドルをガラガラ回した。
また、家族でドライブに行ったような思い出もある。道路は渋滞で、暇を持て余した雅人は運転席の何かを操作した。車体は力を溜め込むように軋み、閾値を超えるとバネのように跳ねた。車種はわからないが、もしかしたらローライダー的な車に乗っていたのかもしれない。私はジャンプする車のことを覚えている。
離婚するまでの経緯はよくわからないが、母が言うことには、姑との関係がとにかく険悪だったそうだ。その上雅人は育児を手伝わないどころか碌に家に帰ってこない。挙句別の女と子供をこさえたのだという。
「あんたたち託児所で過ごしてたの覚えてる?」
大人になってから聞いたことだ。 母は言う。
「そこで女の子も二人いたんだよね。それが浮気の女との子供だよ」
「一緒に遊んだよ俺! えーっ、浮気相手の子供だったの!?」
……いた気がする。私はぼんやりとしか覚えていないが、兄は相当驚いていた。
「託児所にいたのなんて俺たち四人くらいだぜ? 全員雅人の子供かよー」
「あのときはホントめちゃくちゃだったんだよね。託児所で浮気相手の子供とあんたたちが一緒にいて、姑は《《そっちの方》》ばっかり可愛がって私をいびるんだよ。殺してやろうと思ったもん。ホントに」
母は元来間違っているものを見過ごせない性分から意地悪な姑に強い憎悪を抱いていた。ストレスを抱え、遅い夜中に包丁を持って、いざ殺してやろうと待ち伏せたこともあったが、偶然先に帰ってきた雅人に止められていよいよ家族は破綻。この家に住んではいられないと子供を連れて飛び出した。
これがフェリーの記憶に繋がる顛末である。




