4-3 進学
私はまだ死んでない。 人生に置いて私の身に危険が迫ったことなんて幾度もある。火事で焼け死ぬ可能性や、地震で生き埋めになって死ぬ可能性はあった。だが、それら全てを潜り抜けて私は生き延びてしまった。
死というのは、てっきり向こうからやってくるものだと思っていた。それはタクシーのように、電車のように、バスのように。向こうからやってきて、私を殺してくれるものだと思っていた。
死にたいのに、死神はやってこない。それこそ雷に打たれて「はいお終い」――これでいいのに。
高校卒業を控えた私は、先にやってきた進路選択に直面していた。
選んだのは進学だった。 絵を描くことが好きだったし、他にやりたいことはなかった。 幸いにも新潟には専門学校が沢山あり、社会へ出る勇気がない若者にモラトリアムを与え、莫大な学費を巻き上げるシステムがあった。世間知らずな私は馬鹿正直に専門へ進んだ。お金は奨学金で賄った。
……消極的な生き様だったが、意外なことにこの進学によって私の人生は好転した。新潟市で一人暮らしを始めたのが運命の転機だった。
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絵を学べるならどこでもよかった。とはいえ急に「美大に行こう」とはならない。あそこはもっと早い段階から進路を決めている者が志し門戸を開く学舎だ。私の言う『どこでもいい』は、悪い意味でこだわりがないことを意味する。
将来的には映画やアニメ、ゲームなどのイラストを描いて生きていけたらいいなと考え、一人新潟市に移り住んだ。
家族と離れて暮らすということに特段の寂しさはなかった。むしろ開放感の方が強い。家族というのは互いの足を引っ張り合う鎖でしかなく、あのボロアパート〈やよい荘〉は檻のような閉塞感だったのだ。
一人で暮らしてみると親のありがたみがよくわかる……? 全然理解できない。部屋を誰かに荒らされることもないし、金をせびられることもないし、綺麗な部屋の全てが自分の管理下にあることに喜びしかない。
新潟市には、誰も私の過去を知る者はいなかった。『犯罪者の子供』というレッテルも、『不出来な弟』という肩書きもない。 私は本当の自由を感じていた。
おそらく人生で最も楽しく、充実した日々だった。 小中高では、授業中に絵を描いていたら先生に怒られるのが常だったが、ここでは価値が逆転していた。褒められるのだ。なんと生きやすいことか!
専門学校は確かに学費は高い。ただのモラトリアム(ここでは『社会に出るのが怖いため、猶予を設ける逃げ道』という意)で過ごしているときっと大損だろう。しかし最初のレクリエーションできちんと先生は説明してくれていた。
「皆さんの学費は一年につき大体○○万。この学校で、一時間ごとに千円分の学びがなければ損をします。だらけないように」
私はその言葉を意識して過ごした。 みんなが私を優秀だと言ってくれた。存在を認めてくれたような気がして嬉しかった。 デッサンやイラストの他にも3Dモデリングにも手を出した。バイトを始め、描くか働くか寝るか……そんながむしゃらな日々を送った。充実していた。
川島はたまに遊びに来てくれた。遠距離恋愛という関係だった。ソレユエさんのことを引き摺りつつも、トラブルなく三年間を過ごし、ゲームグラフィッカーとして東京に就職した。




