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若き執事見習い、決意を新たにする

 令嬢がユリウスを重用するようになってから、数年が過ぎた。

 今や令嬢は十三歳、ユリウスは十八歳になっていた。


 あれから、令嬢がユリウスの名を呼んだ回数はそれほど増えてはいない。

 呼ばずとも傍に控えているし、視線や指先の動きだけで意思を汲んでユリウスが動くからだ。


 それでも令嬢は「おはよう、ユリウス」などと時たま声に出す。

 これは「令嬢はユリウスに目をかけている、期待している」ということをユリウス及び邸内へ言外の通知をするためである。


 ユリウスはこの年、晴れて「執事見習い」への昇格を果たした。

 厳選された少年たち十数名のうち、最後まで残ったたった一人であること、令嬢の覚えもめでたいことの二点の理由からだ。

 これまでの「行儀見習い」「従僕見習い」といった雑然とした下男の括りではなく、正式な「公爵家御令嬢の御側仕え」として進む道の、第一歩だった。




 さてこの年、令嬢は十三歳である。

 社交界へのデビュタントが二年後に迫りつつあった。

 早咲きの薔薇ほど手入れを欠かしてはいけない。


 その準備の一環として、公爵家本邸では、今年デビュタントを迎えた若き令嬢数名を迎えて、茶会を開いていた。

 今年の社交界が「新人」をどのように迎え、どのように拒んだか、探ることが目的である。


 あくまでも私的な、少女たちの()()()としての茶会なので、庭園の池を臨む東屋での開催である。

 しかしながら、東屋を囲うように植えられた咲き初めの薔薇はつぼみさえも美しく、実に彼女たち少女に相応しい。




 今年、最も話題となった令嬢——十五歳の子爵令嬢イザベル・マーガレット・モランが、今日の茶会の主賓である。


 イザベル嬢は、絹のジョーゼット・クレープで仕立てられた夏用のアフタヌーンドレスを身に纏い、栗色の巻き毛を大きく軽やかなリボンでまとめあげていた。

 容姿は確かに華やかで、衣服も髪型も最新の流行のものだ。

 社交界で話題になるのも頷ける。

 だが、その所作には洗練されているとは言い難いものがあった。


「我がモラン家は祖父の代に子爵の位をいただいたばかりの粗末な家柄ですので、ご参考になるかは分かりませんが……」


 などと殊勝に言いながらも、忙しなく扇子をパチパチと手で弄ぶ様などは、高貴とは言い難い。

 扇子言葉のひとつも知らないようでは、この先、彼女が社交界で躍進することはない。


 そもそも扇子の扱い以前の問題である。

 所作のひとつひとつに無駄が多く、やたらと手首がガクンと落ちる。

 手首を内にいれる動きは淑やかな女性らしさを表すが、イザベル嬢は形ばかりで、そこに至るまでの柔らかな動きも、その意味も教えられていないのだろう。


 イザベル嬢の手首がガクンと落ちるたびに、主たる公爵令嬢の片目がほんの少し眇められるのを、ユリウスは黙って見ていた。


 対して、公爵令嬢の所作は、まるで一曲の演奏会のようであった。

 一流の奏者の如く、背筋は凛と腰から立て、しかし肩は決して力まない。

 控えめに顎を引いた基本の姿勢から、話し手の方へと向ける眼差しは、柔らかくも涼やかに。

 紅茶をひとくち飲むにしても、肘や手首の角度、指の揃え方、ソーサーへの置き方、その全てが整然として、意味のない動きはひとつもない。

 仕草のひとつひとつが調律された旋律のように、流れるように美しかった。


(……やはり、お嬢様しかおられない)


 その所作の美を目の当たりにするたび、ユリウスは思いを新たにしていた。


「完璧な忠誠」を捧げるには、捧げられる主の側にも、相応の「完璧な高貴」が必要だ。

 生まれついてその手に握っていた孤高と、誰に教えられずとも身についた品位。

 公爵家本邸に招かれる老若男女、あらゆる客人を観察してきたユリウスだが、いまだお嬢様にしか、その資格を見出せなかった。




 だからこそ——そのお嬢様の前で、下卑た眼差しを向けられることは、なによりも堪えがたかった。




 イザベル・マーガレット・モラン子爵令嬢。

 先ほどからたびたび視線を東屋の()()に寄越してくる彼女は、明らかにユリウスに興味を持っていた。


 頬杖の角度を変えながら、ちらちらとこちらを盗み見ては、気のないそぶりで目を逸らし、次にはあからさまに微笑みさえ浮かべる。


 仮にも貴族の令嬢が、他家の従僕に色目——しかも、それがお嬢様の目の前で、とは。


 ユリウスは暗澹たる思いだった。

 このようなはしたない娘が子爵令嬢か。

 このような慎みのない娘が今年最も話題となった令嬢か。

 貴族社会も落ちたものだ、という失望と、それをお嬢様の視界に入れざるを得ない状況が許せなかった。


(……信じがたい。許しがたい)


 ユリウスはモラン子爵令嬢とけして目を合わせない。

 ユリウスはただお嬢様の安全への配慮と、お嬢様のお心を汲み取ることに集中することにした。


(……やはり、我が主君しか、おられない)


 その確信がまた一つ、深く胸に刻まれる。


 いずれ筆頭執事にまで上り詰めれば、このようなお嬢様の視界に入れるに相応しくない客人など、片っ端からお断り申し上げられる。

 比較的まだマシな人間をおすすめすることができる。

 現在の筆頭である老執事には学ぶべきことも多いが、お嬢様にお仕えする者としては、()()


 ユリウスはこれまで、お嬢様にお仕えすることさえできればどんな役職でもよい、と考えていた。

 しかしこの日、その考えを改めることになった。




 ユリウスは心の中で、出来うる限り最速で出世することを、お嬢様に誓った。

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