木苺摘みの娘と、三冊の手記
木苺摘みの娘は、二人の横をすり抜けて室内へ入った。
庭園を臨む部屋は神殿のようにすがしい空気だったのに対して、一歩進むと、空気は重たくなった。
屋敷内はどこの窓も締め切られていた。
廊下から部屋をのぞいて回ると、ちりひとつ落ちていない場所と、埃のつもった場所とが混在していた。
完璧に掃除されているいくつかの部屋と、荒れた——というより荒らされたままで埃をかぶっている、ほとんどの部屋。
誰かがここで生活をしていたのがわかる。
生活に使ったと思われる部屋だけが掃除され、家具が磨かれ、花が飾られていた。
美しく拭きあげられた、小さな文机が目に留まった。
正確には、文机の上。祭壇に安置するかのように置かれた、本のようなものたち。
娘は、これらは誰かに読まれるために置いてあるのではないような気がした。
触れてはいけないもののように感じつつも、しかし無性に心がざわめいて、触れずにはいられなかった。
花瓶に残っていたわずかな水で指を湿らせ、自分の着ているエプロンで手をぬぐい、木苺の赤い汁を念入りに落としてから、娘は手を伸ばした。
一冊は、深紅の革に金糸で装丁と刺繍が施された、贅沢なつくりのもの。
冒頭の数ページを見ると、華奢で優美な字で日々の退屈や、ささやかな愚痴が書かれている。
「日記」のようだ。
もう一冊は、紙質こそ上等なものの、簡素な作りの厚手の手帳だ。
乱れのない几帳面な字で、細かく丁寧に書かれた、業務の「日誌」のようだ。
最後の一冊は、見るからに安物の、薄手の「帳面」。先の二冊の脇に、控えめに置かれていた。
前半のページが大きく破り捨てられていて、何かに使った後の残りのページに書きつけた、といった風だ。
最初のページには、日付と「感情の記録」とだけ書かれている。字体は日誌の書き手と同じように見えるが、文体は大きく異なる。手紙のような、誰かに語りかけるような文章だ。
娘は、「感情の記録」と題された「帳面」のページをめくった。
この「帳面」が最も粗末だが、娘はこれに最も心を惹かれた。
字の癖こそ几帳面さがあるものの、歪んだり、かすれたり、にじんだり、書き手の心の動揺が如実に表れている。