第32話・第3節「灰の中の種子と、失われた王権」
王都ユゼルヘイムの中心部にある「王家の記録殿」は、かつて王権の象徴とされていた。しかし今、その建物もまた、半壊し、無人のままだった。
ルークスは重たい扉を押し開けた。埃と煤が混じった空気が鼻をつく。
だが、内部の書架や記録巻物の多くは奇跡的に残っていた。
「これが……王家の系譜と、治世の記録……?」
ミュリナが古びた書簡を手に取る。ページには、かつての王たちの決定、戦争、同盟、税制改革などが克明に記されていた。
「ここには……教会の影響が及ぶ前の、純粋な政治の痕跡が残っている」
「つまり、“信仰”ではなく、“法”で治めていた時代か」
ジェイドが壁際の王族の肖像画に目をやる。そこには、凛々しい面持ちの先代王と、その隣に立つ少年――現王とされていた少年の姿があった。
「この子が、失踪したと噂されていた“リアン王子”か……」
「十年前、王権が急に教会へ譲渡されたとき、誰も彼の名を口にしなくなった。それ自体が不自然だった」
ルークスが眉をひそめる。
「待って。これは……?」
壁の裏に隠された収納棚を開くと、そこには一本の鍵付き金属筒があった。
ジェイドが解錠用の魔導針を使い、蓋を開くと、中から羊皮紙に記された密書が現れた。
「『正統なる王権を放棄する』……?」
その文面は、リアン王子が自ら記したとされるものだった。しかし、違和感があった。
「この筆跡、……強制的に書かされた跡がある」
「王権簒奪の証拠……教会が裏で動いたという、明確な物証」
ミュリナは固く唇を結んだ。
「でも、リアン王子の生存の可能性も……ゼロではない」
「そうだ。彼が生きているなら――“王としての正統性”を取り戻す鍵になる」
ルークスはその場で思考を巡らせた。
“虚偽の神”を倒し、“真実の教義”を取り戻すだけでは、秩序は安定しない。
“正統なる世俗の象徴”――それが、新たな拠り所として必要になる。
「再建評議会には“民の声”がある。だが、それを統合し象徴する“顔”がなければ、国はまた分裂する」
ジェイドが頷く。
「王族血統の再興と、民による合議。両立させるなら、リアン王子は最良の駒だな」
「見つけるしかない。彼がどこかで生きているなら――必ず、この国のために立たせる」
その決意と同時に、王記録殿の壁が軋んだ。
外では、再建に動く人々の足音と声が響いていた。
「ルークス、評議会の初回招集が始まるわ。各地から代表が集まり出してる」
セリナが広場から戻ってきた。
「……王族の証拠も提示しよう。事実を開示し、選ばれし者ではなく、“知る者”として民に託す」
そう言って、ルークスは密書を抱きしめるようにして胸にしまった。
王のいない国。
神のいない王都。
だがそこに、少しずつ“人の手”による新たな秩序が芽吹き始めていた。
それは、灰の中のかすかな種子。
熱も、痛みも、記憶もすべて飲み込んで、やがて大地に根を張る“未来”の兆しだった。